レイキの効用。

レイキの効用で自分が一番、ありがたいと感じていることを幾つか。

なんといっても、日々人と向きあうことがさほど辛いとは思わなくなったこと。若い頃は非常に人付き合いが苦手で、会社員だった頃、成り行きで管理職になってしまったあたりから、毎日胃がいたかった。エンジニアだった時代は慢性的な十二指腸潰瘍もちだったのに、ますますストレスがつのってしまい、安定剤の他に胃腸薬も手放せない…といった始末。あの頃に飲んだ薬の毒気が相当、体内に蓄積されていたに違いないのです。

30代にはいってから一年奮起して、徹底的に身体を鍛えるようになりました。週に3回はジムやプール通い。毎日のジョギングは必修。週末は2〜3時間の走り込みや、登山などをやるようになりました。仕事もばりばりこなしたり、霊的な修行もはじめたり…いったいどこにそんなに時間があったのでしょう。今となっては本当に不思議ですが、どれもこなしていましたのでなにかを犠牲にしていたのでしょう。充実感と同じぐらい悲壮感と喪失感がありました。なにをやっていても孤立感が強くなるし、焦燥感もありました。現実には順風満帆にみえていたでしょう。でも内面はとても悲しい時代でした。

やがて40代にはいろうかという直前で、レイキに出会い習得します。そのいきさつは割愛しますが、レイキを習得してから、年を重ねるにつれ現実がどんどん加速するようになります。他にもいろいろな要因があります。が、ここではそれらをはぶいて純粋にレイキの効用という点にフォーカスしてみます。

一番、大きかった変化は「体質」でしょう。十数年の悪い蓄積が、体内から少しずつ排出されていきました。ときどき、熱が出るのです。風邪のような症状ですが、単に高熱がでるのです。ただじっと寝ていると2〜3日で身体がすっかり軽くなり、解毒されたのがわかりました。その他、身体のあちらこちらに微妙な変調がでるようになりました。発疹、かゆみ、痛み、鈍重な感覚…その都度、部位や症状はさまざまでしたが、まるで「どろろ」の百鬼丸のように身体の部品が順番にオーバーホールされていきました。ゆっくりですが、確実に身体が新しくなっていったようです。

この「ゆっくり」度合いは、後で気付いたのですが年齢相応の代謝の速度に準じたものだったようです。

そうこうしているうちに、精神的な疲労の回復が早くなっているのに気付きました。つまり、昔からすごく苦手だった人付き合いが、回復が早くなるのですから、だんだん苦痛ではなくなってきたのです。これはカウンセラーという仕事を選んでから、非常にありがたいことでした。

今、瞑想と同時にレイキによって自らのオーラを浄化するということを、毎日のように実践しています。今でもより上手に効率よく、オーラをリフレッシュする方法論の確立に余念がありません。日進月歩ですね。毎年、ちょっとずつ上達しています。

精神的なバランスを崩しやすい人は、オーラが乱れているととても苦しいのです。オーラを浄めてバランスを回復させる方法がなにもないと、それ以上、精神的な活動ができなくなってしまうのですから、結果的には限りなく内なる世界にとじこもっていかざるを得ないでしょう。これは誰よりも本人が辛い。

自分もかつてそうでした。今でも、精神疲労がつのると、言葉がでなくなります。思考回路と言語中枢がオーバーヒートして寸断されるのです。対話できない自分を周囲が心配したり、気を遣ったり、嫌な思いをさせるのが苦しいので、自らを消したくなります。とても悲しいことです。

今では自分になにが起きて、なぜ言葉がでなくなるのか理由がはっきりわかりましたし、どれぐらいの時間で回復するかもわかるようになりました。

以前「うつ」と診断された若い方が相談にみえました。その方も精神的な感受性が非常に豊かで繊細なので、消耗が激しすぎたのですね。それで、消耗しないようにする幾つかの工夫の仕方を教えました。自分の性質を理解し、うまくコントールして回復をうながしてやれば、ほとんど普通に暮らしていくこともできるのです。その為に人には理解してもらえない特殊な時間や労力をかけなければなりません。また、なぜそんな余計なノルマを背負って生きていかなければならないのか、も理解しておいたほうがいいですね(魂の持ってうまれた役割ということです)。

肉体がかなり若いうちは、体力・気力で勝負することもできるかもしれません。状態によりますが、レイキを習得することで自己実現が非常に加速できる場合も多々あります。

独り立ち事始め。

最近、開業する人が多くなってきたので、記憶をたどってみる…。

脱サラして、違う道に歩みだそうとした時にどんなことをしたんだっけか、と思い出してみると。例えば…

○名刺を作った
音楽活動を始めるにあたって、まず自分個人の名刺を作りました。デザインを頼んで、印刷会社に依頼したら最小500枚単位だった。今ではもっと少数でも作れるでしょうけれど。結局、使い切れないうちにメールアドレスが変わってしまった。。。

○ドメインを取った
名刺の件で反省して、ひとまず電話番号とメールアドレスが変わらないようにしなければ、と思い立った。で、独自ドメインというものを取得。ついでにホームページも作り直したり。comドメインは安価なので、とりやすい。長く使うものなのでよく考えるべき。ある程度知られてしまうと、後で変更しにくくなってしまう。

○サーバーを借りた
回線速度が上がっていくのと同時に、いろいろな事情でプロバイダーを変更することがある。プロバイダーにはホームページを作れるサービスがついてくるが、ドメインを取得したのと同時に、プロバイダーに依存しないようにレンタルサーバーを借りてHPを構築。

些細だけれど、これだけのことを自分でこなすのはなかなか大変。でも時代はどんどん変化している。名刺もネットで少数から注文できてしまう。最近のパソコンとプリンターは性能がいいのでけっこう高品質な名刺が自分で印刷できるから不便はない。

ドメインをとったりするのも、とても安くて便利なサービスも探せばあるから、どうせ開業するんなら自前のドメインを取得して、覚えやすいシンプルなメールアドレスとURL(HPのアドレス)を決めたほうがいい。維持費はかかるけれど永続的に使える。今という時代は、URLとメールアドレス、この2つが社会的な顔みたいなもので、電話番号よりもずっと重要ではないかな。

電話番号は、サロンや店舗を持つ時点で固定電話で、独自番号を取得すればいいでしょう。

開業する時の心構えを一番、親身になって教えてくれたのがランディさんで(彼女は会社経営をしていた事がある)、雑務がいかに多いか、立ち上げてからしばらくは安定しないことなど、経験談を語ってくれた。厳しいアドバイスだったけれど、それもあって肝がすわった面もあるので今思えば、現実を知っている人が身近にいるというのは実に心強いもの。未知の世界にたったひとりで立ち向かうのはやはり無謀だし、疲れてしまいますよね。

実際、自営業は雑務だらけ。パソコンが苦手な人は早めに勉強を始めておくか、思い切って得意な人に全部任せてしまうか…方法論を決めておいたほうがいいですね。もちろん、自分で全部まかなったほうが経費節減になるし、自由がきくからなるべく自分でやれるところまでやってみるのは大事かもしれません。

追記:
HPをブログで代用することもできるし、ブログだと非常に更新はしやすい。ただし、無料サービスは「営利」での使用が禁止されていることもあるので、使いにくい面も。実際、使いやすいサービスほど営利は禁止だったりするのでプロとしてスタートするなら、維持費をかけてでも営利での使用が許可されているサービスを利用しましょう。

尚、レンタルブログサービスは、仕様に制限がある(できないことがけっこう多い)。一方で、サーバーを借りて自前でブログを構築すると、まったく制約がない変わり、ブログの内部をいじることになってかなり勉強しなければならなくなる。後者はサーバーをいじる知識も必要になり、途端に敷居が高くなってしまう…。このあたりがなかなか判断しにくいところかもしれない。

HPを構築しようとする時に、大切なのは「どんな情報をどんな形で発信したいか」なので、サイトのイメージをノートに書き出してみたり、必要な機能を割り出しておくと判断しやすくなるでしょう。例えば、ショッピングカート機能が欲しいとか…(普通のブログではそこまでできない)。青写真さえ作れば、そこから先自分で手におえなくても詳しい人に相談すれば判断も楽になります。

人生航路の灯台として。

気付くと、とても幅広い年齢層の人達にお会いしてきました。十代から八十代まで。どんなにお若い方でも、そしてどんなに人生の終着駅に近づいた方でも、気付きがあり、広がりがあり、そして日々の「人生の流れ」があります。そこにおいて、できるだけ迷わず、しっかりと皆さんそれぞれがあるべき姿で生きていけるように応援できれば、と願っています。いわば人生航路の灯台のようなお役目なのだな、と思います。

どんなに濃い霧がたちこめたとしても、しっかりと光を届けてあげたいのです。

幸せにとまどうこと。

はたからみると、幸せのまっただ中。それなのに本人はちっとも喜べないでいる…。どんなに運気がよく、いい人生の流れの中にあるとしても、ご本人の心が閉ざされていると、楽しいパーティもただの喧騒でありノイズでしかなく、かえって苦しくなったり辛くなったり。人の心というのはなかなかデリケートにできています。誰も本人の心のなかにふみこんで強引に楽しませたり、喜びの美酒で酔わせることはできないのです。

でも、いい流れ、いい運気というのは永遠に一定のまま待っていてはくれない。ふと気付くと、宴は終わり、あたりに誰もいなくなってしまうかもしれません。やはり、物事には「最善のタイミング」というものがあって、それを逃すとなかなか次のサイクルがやってこなかったり…。どうやったら好機を逃さずにいい波に乗れるのか。ひとつは十分に内観をすることでしょう。そのうえで、自ら解決できない疑問や葛藤、矛盾についてあらいざらいぶちまけてみることではないでしょうか。

よく「こんなレベルの低いことを尋ねるのは恥ずかしいのですが…」と前置きをする方がいらっしゃいます。でも、その次に発する言葉がとても大切で重要なポイントであることが多いようです。人は自分で自分の評価を決めてしまい、思いこんでしまう傾向があるのでしょうか。自分で自分が恥ずかしい、と考える意識。でも、その意識はけして客観的ではないようですよ。ですから、勇気をふるって恥ずかしさから脱出してみることも、起死回生のきっかけになるでしょう。いい運気を逃さないうちに…。是非。

それぞれの癒しの道

セラピスト、カウンセラーなどといった肩書きを持つ方もいらっしゃるし、医療や福祉の世界でがんばっていかれる方…それぞれの癒しの道があります。人の身体、心、精神を癒すお仕事についている方に、ずいぶんたくさんお会いしてきました。またこれからいよいよその道にはいっていくという段階を迎えた方…。癒しの道にも、さまざまな道中の出来事があるもの。時にトラブルに遭遇する方、疲れてバランスを崩してしまった方、方向転換を図る方、そしてすべてやり遂げてそろそろ長い旅路の終焉に近づきつつある方…。

どの段階においても、心がけるべきこと、注意すべきことがあります。時にはもっと努力が必要なこともあるけれど、時には勇気ある撤退をすべきタイミングもあるし、じっくり養生して次なる機会をじっくりうかがうべき時もあります。大切なことは、臨機応変な状況判断ではないでしょうか。常識や既成概念にとらわれてしまうと、思わぬ問題に遭遇します。直感を信じ切れればおおむね問題はないけれど、その直感のアンテナが間がっていたり、受信機が不調になることもある。そんな時にはきっとお役にたてると思います。

お告げ。

霊的な能力をどういかすのか。その方法論を模索する以前に、霊能者としての根本的な能力、つまり間違った情報を受け取っていないかどうか…。その検証の為にずいぶん長い時間がかかりました。とても一人では確認できないので、はじめのうちは自分と同レベルの能力を持った人にチェックをお願いしていました。そうやって何年か少しずつ仕事をこなすうちに、次第にひとり歩きできるようになってきて、今ではほとんど検証の為に時間を費やすことはありません。その代わりに、精神的な回路を疲労させないように維持することがとても大切だとわかってきたので、十分な瞑想の時間を取ったり、自分の能力を維持する特別な工夫を怠らないようにしています。そういった事は、プロとしては当然なのだと思いますが、誰も教えてくれなかった非常に特殊な工夫なので苦労はしました。これからスピリチュアルな能力を開花させていこうという若い人達にとっては、貴重な情報、ノウハウになると思うのでしっかり磨いて後世の人達に残していこうと思っています。少しずつですが、後をついてきてくれる若い人達が現れてきたので、心強いですね。

古来、霊的な能力を持つ人はただ「お告げ」をすればよかった。そこには対話はなかったようです。古い概念では、霊的な世界からの情報、メッセージは一方的なもので、現実世界の私たちはそれをただ受け取るしかなかった。ところが最近はその概念が崩れつつあるようです。お告げをききたいという感覚で相談にくる人はほとんどいないのです。占いの延長と考えている人もあるようで、そのギャップにはかなり悩みました。お電話やメールでの問い合わせでも「占いですか?」「占いと違うのでしょうか?」と尋ねられて、答えにつまることがありました。

占いではないのになぁ、と心のなかでつぶやいてみるのですが、ではいったい本質的に霊能者が守護霊からのメッセージを受け取ったりすることと、占いの人達が人生相談で受け答えをすることの違いはどこにあるのだろうか?と考えてみた時…ご相談者のお役にたてなければ、それがどんな情報やアドバイスであろうと意味がないと思ったのです。

はたして自分は霊的な能力を磨く事にばかりとらわれていて、相談者の立場、視点になりきれてはいなかったかもしれません。この事にきづいた時に、占いではないのになぁ、とぼやく事は辞めようと思いました。どのように理解(あるいは誤解)されようと、ご縁があればその機会を最大限に生かせるように尽力させていただく。ただその一点に心をこめていければいいのではないか。

できるだけそんな心がけを保ちつつ、お告げのようでもあり、、占い?のようでもあり、自分なりのスタイルを創り上げていけたらと考えているのです。

しかしながらカードを使ったりチャートを作ったりするわけでもないのであまり占い的ではないかもしれません…。

ピアノも弾くんですか?

このご質問も、よくありますね…。というより、霊能者としての噂をききつけてご来訪になった方は、BGMで流れているピアノが自作自演だと気付く人はほとんどいらっしゃらないようです。音楽家としては気恥ずかしいような、申し訳ないような気がしたりします。でも、ここ1〜2年は音楽家としての活動の比率はほとんどゼロに近いのですから、仕方のないことです。実質、今は両立するのが難しい時期なのですが、いずれ余裕ができたら活動を再開したいとは常々思っています。

ピアニストなので、ピアノはちゃんと弾けます。作編曲もします。ピアノ以外にもキーボードを演奏します。ただし自作自演がほとんどで、クラシックのレパートリーはありません。小さい頃からピアノを習っていたわけではないので、ほとんど我流です。普段はほとんど音楽はききませんが、影響をうけた演奏家、音楽家はもっぱらジャズ系のアーティストが多く、古典〜ジャズ〜ポップスまで幅広く、浅くかじったかな、というところでしょうか。

普段はあまり音楽はききません(疲れるから)。聴いていて疲れない音楽、というとけして自画自賛ではなくて自分の演奏したものぐらいでしょうか。

自分のスタイルで演奏をし始めてから今に至るまで、音楽家としてのモチベーションを維持してこれたのは、お手本にしてきたピアニストがいたからです。その人はウォン・ウィンツァンさん。今ではとても親しく交流させてもらっています。瞑想仲間でもあり、音楽に限らず哲学から雑学まで幅広く知的な交流が楽しい方です。彼は写真家でもあるので絵心を勉強させてもらっています。

演奏家として活動をはじめてしばらくしてから「音霊(おとだま)」という方向性を打ち出して曲を作っていました(今は休止しています)。その時は自分でもなにをやっているのかよくわからなかったのですが、非常に評価してくださった方がいました。今となってはとても有名な人になってしまいましたが、小説家の田口ランディさん。縁があって彼女の為につくった音霊をすごく気にいってくれてNHKラジオでオンエアしてくれたこともあります。その後、小説の題材にもとりあげてもらったり、自分のつくった音霊をずいぶん可愛がってもらいました。

「音霊」は魂の本質にひびくものだと思います。受け取った人には、とても深い意味があるようです。作るのはとても骨がおれるので最近はすっかりやめてしまいました。再開するかもしれませんが、今はその余裕がとてもありません。

混とんとした空気。

霊感のある人達がサロンにみえると、よく天気の話題になります。天気といっても気象のほうではなく…霊界のほうです。霊的な時空にも天気があります。その話題になるのです。気象的な天候とは違う、もうひとつの事象があってその話題になると、皆非常に感覚が一致していることがわかります。霊界の気象が荒れるといろいろな事件が多くなるようです。詳しい解説ははぶきますが、そういうこともあるのだな、ぐらいに考えていただいて…なにが言いたいかというと。

霊感というものはどんな人にもあるのです。ただ、私たちが普通の人と少しだけ違うのは「霊感をいかに研ぎ澄ませ、人様のお役にたてるようにそれを道具として役立てるか」という研鑽を積んでいる点です。ふとなにかを感じる、ということは誰にでもあります。広い意味でのインスピレーション=霊感、ともいえるでしょうか。なんらかの形で直感を表現するアーティストも皆霊能者のようなものだと思うのです。

それを私たちは言葉にして、直接、誰かに伝えたりします。そこがアーティストとは違うのですが、かなり近いことをやっていたりする場合もあるわけです。

で、誰にでもあるこの直感の延長線上である霊感というもの、そこで感じ取るものの大きな波動=エネルギーに、霊的な世界の気象状況があるわけです。宇宙的なゆらぎともいえるかもしれませんが、惑星の影響というのとも違って地球上のものです。いわば地球全体の「気のゆらぎ」ともいえるでしょうか。地球を生命体として考えれば地球さんにもオーラがあって、人間と同じように日々、刻々と変動していますから…。地球さんのオーラの影響は誰でも受けています。

この頃、混とんとした空気を強く感じるのです。地球さんが疲れているのかな、と心配になります。エネルギー問題はとても大切な人類共通のテーマです。

経験値。

過去をふり返ると、自分に不足していたものはひたすら「経験」だと思います。実地でどれだけの相談をお受けしてきたか…。その点につきる、といえます。

時折り、自分とすごく近い能力をもった人に出会います。本人がうすうす気付いている場合もあったり、まったくよくわかっていないこともあったり様々ですが、そんな若い世代の人に会うとかつての自分を投影して思い出してしまう。完全に心をとざしていた少年時代のこと、もはや記憶もおぼろげな現実感の希薄だった学生時代の自分、中退して会社員になりたてのころ、パニック障害を発症して苦しかった頃、安定剤がないと生きていられなかった日々…うつうつとした時代が長くありました。霊的な能力を持つ人は、それだけで精神的に消耗しやすいのです。そんな自分を単に役立たずでどうしようもないダメ人間で終わらせてはいけない、負けてはいけない…なんの力もないくせになぜかそういうプライドだけは消えませんでした。せっかく生きるからにはなにかを見つけ、そしてできればなにかを為し遂げたい。そんな願いが常にあったわけです。

40歳にして転機をつかむことができた自分はある意味でとても幸運だったのでしょう。でも、そこからはまた地獄のような日々でした。右も左もわからず、独立してみたものの。誰も自分を知らない状況で、お客さんが来てくれるはずもなく…。いったいどうしてこんなにリスクの大きな生きかたを選んでしまったのだろう。今、ふりかえるととても正気の沙汰とは思えないわけです(苦笑)。でも、そうしなければいられない当時の状況だったのです。ある意味、人生が煮詰まっていましたから…。それまでの会社員生活とは違う、スピリチュアル業界に足を踏み入れてからはや7年の歳月が経過しました。この間にご縁があった方は千人を超えるでしょう。昨年はご来訪になる方はいっきに増えて、毎月50名ぐらいカウンセリングやセミナーでお会いしましたので単純計算で一年でのべ600人です。数の問題ではないかもしれませんが、実地の件数もとても重要です。ひとつも手をぬいた事はありません。集中力を欠いたことも皆無です。これだけは明言します。

でも、すべてが納得できる内容だったわけではありません。現実的なアドバイス、助言ということでいえばまだまだ人生経験未熟な自分が、人様の生きかたに口出しをするなど、おこがましいことも事実。遠慮もありました。怖れもありました。人として我が心に迷いは無数にありました。そんななかで、なんとか力になれないかと必死に模索をし、最善と信じる対応をしてきました。そこにおいて、自分は霊能者でもなんでもなく、一人の人間でした。

霊的な能力をいくら駆使しても、そこから先、もう言葉がでないという領域があります。親族を失って悲しみでいっぱいの方にかけてあげる言葉は、霊能者のそれではなく、一人の個人としての自分が発するものです。自分にそんな器があるんだろうか…。そんな葛藤がまずよぎります。相手の涙を受け止める以前に、自分の心のゆらぎが先立ってしまう…。そんなことを日々、くりかえしながら7年です。やっといろいろな現実の人生模様に慣れました。

日々、死別、離別の痛み、悲しみのどんぞこにある人達と、がっしりと向きあっています。新たな転機をむかえ夢と希望にあふれる人達と共に、喜びの笑みを共有しています。閉ざされた闇の世界を共有し、一緒に歩んでいます。

昨日、今日もそんな日々です。明日はどんな一日になるでしょうか。

サロンの方向性。

昨年は本当にたくさんの方においでいただいた。どんなご縁であれば、ご来訪いただけたことについては深く感謝しています。また、ご紹介くださる方も多くて、なんらかの形でご友人やご親族をサロンに導いてくださった皆さんにこの場をかりてお礼もうしあげます。

ただ、まだまだ未熟な自分を痛感する場面がおおく、けしてすべての人に満足していただけてはいないと思います。反省すべきセッションもあって、まったくご期待にそえなかったこともありました。それはとても辛く、苦しいことでした。非常に深く、重く受け止めました。それでもご厚意での支払いしてくださる方もありましたから、どちらかといえばこちらが勉強させてもらったようなものなのに、そのうえお金まで払ってもらうのですから、なんとも申し訳ない気持ちでいっぱいになります。そんなことが何度かあり、なにが足りなかったのかを真剣に考えるようになりました。多くの人に接するということはご相談内容、ご要望もまた多岐にわたるわけで、時にはそんなことも起きてしまいます。

自分としてはどのように対応していきたいのか、ここで改めて方向性を考えてみました。

昨年までは、自分に不得手だったり、自分が応じなくても誰かが代わってくれるだろうというケースについては積極的に取り組んできませんでした。たとえていえば、それは「占い」的なご相談がそうでした。また、とてもシンプルなご相談は電話で済ませてしまったりして、予約をお断りしたこともあります。こういう姿勢はとの時はやむをえなかったのです。とても忙しかったり、自分が手いっぱいだったり…。また、どこかでそんな自分の横柄な態度を甘く見逃してもいたと思います。ただ、スピリチュアルな世界への入り口はまだまだ狭い。けして十分な数の相談窓口があるわけではありません。こんな時代になり、こんなに需要が増えてきたのに、プロの人はどれほどあるのだろう。少なくとも、自分の周囲に紹介できる人がさほど多くないという現状で、もしも私のサロンを希望してくださる方をお断りしてしまったら、その人達はどこへ行けばいいのだろう。路頭にまよわせるようなことはけしてしたくはありません。

幸いなことに、最近は少しずつ自信をもってご紹介できるサロンや、個人で開業(本業、副業とわず)している人達が増えてきまして、もしも私が対応しきれない場合でも、なにがしかご案内ができるようになってきています。まだまだ十分にカバーしきれていないかもしれませんが、おそらくそろそろ間口をもっと広げてもいい時期にきていると思います。

以前、ご相談にみえて、対応しきれずにお断りしてしまった皆さん、こんな場でなんですがその節は本当に失礼しました。自分の器が小さかったのだと思います。これからは、どんなご相談でもしっかり受け止められるように自分を磨いていこうと思います。

プロを目指す方の厳しい、難易度の高いトレーニングも行なっています。自分自身を高める為の自己研鑽も怠らず、日々精進しています。でも一方で町医者のようにどんな人でも気軽に相談にきてもらえる姿勢を持っていきたい。どこまでやれるか挑戦ですが、取り組んでいこうと思います。

昔の医者は、専門領域はもたず、あらゆる診断、処置をしたことでしょう。時代がすすみ、技術と知識が深まるにつれて専門分野毎に細分化されていった。スピリチュアルもいわば黎明期。専門分野をカテゴライズできる状態ではないようです。表向き、あまり難しい用語はしばらく慎んでいこう。もちろん、専門的な勉強をしたい方も受け入れていきますし意欲ある方、この道を目指す方もどんどん道場に通って欲しいものです。