お詫び

どうしても先にやらなければいけない仕事がたまっていて、かなり多くの人をお待たせしている事態になってしまった。月末はなにかと仕事が溜まるのである程度、前倒しでやっておけばよかった。が、以前から決まっていた予定は必ずクリアしなければならないので、日々の行程管理が非常に大切だ。もう8年にもなるのにまだ仕事配分のペースを完全にコントロールできていない。つまり予定を入れ過ぎなのだ…。反省しなければ。諸々、お待たせしている方には大変申し訳ありません。順次取りかかっているので今しばらくお待ちください。

わかること、わからないこと。

なんでもわかった方が人のお役にたてるのではないか…。最初はそう考えていた。先日も「落とし物」は見つけられるかという打診があり、できないしやらないとお答えした。以前ならやってみようとしただろうが今は新しい能力開発は時間が限られているので本当に自分が極めたいと思う分野に限ることにした。霊能者だからなんでもわかると思われている節がある。実際、わかる事ならなんでも教えてくれ、という空気になることは多い。が、基本的にご相談のテーマから外れる方向については回答しないことにしている。それは自分のポリシーとして決めたから。本当のことをいえば、尋ねられていない事でもいろいろなことがある程度は見えてしまっている。でも、それは一生自分のなかにしまっておく事にしてある。とはいっても自分だって人間だから、影の情報に共感もするし、なんとかしてあげたいと思う。でもきりがない事になってしまう。だから限られた時間、ご相談のテーマを確認してそのなかで精一杯のお手伝いをこころがけている。年月がかかってやっと真のテーマにたどりついた方から最初からわかっていたのならなぜもっと早く教えてくれなかったのかと意見されたことがないわけでもない。でもそういうクレームは受け流すことにした。自分にはその人の人生を肩代わりする力はまったくないのだし、守護霊さんに逐一確認をしながら本人にとって最善のバランスでメッセージを伝える。それが精一杯。その加減がわからなくてたくさん苦労したし、たくさん傷ついてきた。だから少しは自分を守ってもバチは当たらないということに気づいたのだ。必要以上のことは見ないし、記憶にもとどめない。これからもそうしていこうと思います。それにもし自分のようなスタイルが気にいらないとしても有能なチャネラーは他にもいるのだし、きっとご本人が選んでいくのでしょう。

カメよりも遅く

諸々、告知も遅れ、返信も遅れ、なにもかもが滞っている今日この頃。お待たせしている方には本当に申し訳ありません。せめて土日はメールの対応はお休みにしているのも、少しでも遅れを取り戻すべく集中して…と思ってのことなのですが、それでもメールはくるので月曜日に溜め過ぎない為にもやっぱり土日も相変わらずの様相。今日この時刻になってもまだ資料の整理すら終わらずやはり予約がある日は、すべてが滞るのだから予約を減らすしかないという理屈。でもですね、予約をこなさないと光のサロンは運営できないのです。やっぱり無理してでもがんばるしかない現状。なんでメールの返事が何日も返ってこないのか、といぶかしく思われる方もあると思います。ブログ更新している暇はあるではないか…といわれそうですが、これも仕事の一環ですしせめてブログだけでも更新しておきたい。

現状、もっとも反省せざるをえないのはセミナー関係の日程が組みにくくなってしまっていることです。レイキのトレーニングをもう少し受けたいというご希望は多いのですが、考えてみれば毎年数十名ずつ生徒が増えていて皆がセミナーを希望したらいったいどういう事になるのか。考えてみればわかっていたはずなんですよね。セミナーのあり方も根本的に見直さなければならなくなってきました。もう少し分科会が活発に開かれるともくろんでいましたが、結局そういう事にはならなかった。他力本願はいけない、ということでもっと自分でセミナーを主催しなければいけないと反省しきり。今後、具体的に業務のアシストをお願いできることになりましたので、少しずつアウトソーシングは実現できるかと思っています。もっとも、その準備もなかなか前に進まないのですがとにかく少しずつ形にしていかなければと思っています。途方もなくのろまなカメですが、どうか飽きずにお待ちいただければあり難いです。しかし、いったいカメより遅いものってなんですかね…。

白い紙

月末ということもあって仕事が滞り気味。なんとかピークを過ぎたかな…。
今日は4件ほどどうしても引き受けなければならない依頼があって、一応ひととおりは対応。でもこれで完結したわけではなく、まだ続きがあるのかもしれない。

この仕事をはじめた頃はまだ経験も浅くて、人の人生がどのように移り変わっていくのか予想もつかなかった。自分の霊的なポテンシャルに気づいておらず、未来をみることを怖れてもいた。それが今ではあっさりと断言してしまう。自分の変わりようったら…。人間ってここまで変われるんだな、と我ながら実感。経験に勝る知恵は無し、ということか。霊視できても、伝えられるだけの自分の器がなければいくら本当のことがわかったところで、受け止めてもらえないのだと思う。お互いの人としての心のバランスがあって、いわば一瞬のシーソーのように関わり合っていてそのバランスゲームの間にメッセージを伝えていく。ほどよい加減というものがある。だから伝え過ぎてもいけないし、かといって十分な霊視ができていなければ役に立てない。このほどよい加減というのは現場で味見をしてその場で判断することを日々、重ねていく他に上達の道はないのだろうと思う。

本当にありがたいことに仕事が日々増えていく。昨年ぐらいから、もう限界と感じていた。が、まだ工夫の余地があると思い、毎月のようになにがしか打てる手を打って仕事を増やしてきた。先月あたりから、また少し件数を増やしている。今月も大変だったがなんとか月末までがんばれた。最近は仕事以外にも新しいプロジェクトを立ち上げて打ち合わせもこなしているので潜在的な仕事も減るどころか増加傾向。

でも、多分自分はこうやって毎日、仕事(つまりご依頼)にまみれているのが好きなんだと思う。整理しなければいけない書類が山積み。旗のついたメールが画面一杯(要返信のメールには旗印をつけてあるのです)。机の上に作りかけのブレスレット。そこら中になにがしか作らねばならないもの、取り組まねばならないものの断片が散逸している。

子供の頃から僕の机の上はこんな感じだった。自分で設計して組み立てた紙飛行機だとか部品を一から集めて作ったラジオだとか脳波測定器(笑)だとか。電子部品がパワーストーンにおき代わり、電子回路の設計図が霊視鑑定の下書きにおき代わっただけだ。僕のリーディングペーパー(鑑定用紙)には、わけのわからない図形がびっしりと書き込まれている。聖霊から教わったホログラム図形を使っているので、見ようによっては物理学か電子回路の論文みたいにみえなくもない。夜な夜なかりかりと白い紙に書き込んでいく。なんの道具もつかわず、すべてをインスピレーションに委ねて次から次へと未来の流れを読み解いていく。子供の頃からそんな仕事をしてみたいと漠然と思っていた。おそろしい、きっとこういう未来の流れが見えていたんだな(こういう人生になるってことが定まっていたのかもしれない)。

子供時代、畳一枚分ぐらいある大きなケント紙を買ってきて真っ白い紙に自由に設計図をかいて紙飛行機を組み立てるのが好きだった。どんなふうに風にのって飛んでくれるのかイメージをしながら線をひく。コピーなんてとらないから皆、唯一のデザインになる。ある時、とってもよく飛ぶ飛行機が完成した。いい風がふく日に飛ばして遊んでいたら、どんどん上昇気流にのって遠くへ飛び去ってしまった。その後、それ以上に飛ぶ飛行機が作れなくなって、そうこうしているうちに飽きてしまった。形のあるものなんて限界があるからつまらないと思った。自分の感性を自由に解き放った時に、いったいどこまで自分の想念は広がっていくのか。それでなにがどうなる、ということよりもひたすら純粋の自分の意識はどこまで空想し、創造し続けられるのか…。そのことだけを飽きずに探求してみたかった。結果をだしてもその達成感は、瞬間に風に乗ってどこかへ消えてしまう。だからまた新しいなにかを追い求めていく。形のあるものではあまりにも限界がありすぎていけない。もし霊能者になれなかったら物理学か生命科学を研究していただろう。あるいは未知のフリーエネルギーとかね。とにかく無限に探求しつづけられるなにかを間違いなく追いかけていっただろう。

きっと今でも自分は日々探求し続けているんだと思う。自分の感性の可能性を。まだまだいける、と思っているんだ…。きっと見極めるまで止まらないんだと思う。でも見極められる日が来るとも思っていないから、一生止まらないのかもしれないなぁ。

こんなに忙しいのに、寝る暇もないと言っているほどなのに、摩訶不思議な夢をみてしまった。夢解釈する自分ですらまったく意味不明で理解不能で実に面白い夢だ。意味はわからないが、それがいつか現実になるということだけはわかっている。いったいどう変化していくのやら。自分で自分が楽しみで仕方ないこの頃である。

その代わりに…とにかくめちゃくちゃ忙しくて大変だよ〜(笑)

最近の研究テーマ

今日も忙しいです(笑)。仕事が減るどころか増えつつあります。いったいどうなっていくんだろう。なるようになるので、あいかわらず行き当たりばったりの人生です。

最近はレメディの研究にフォーカスしています。もうすぐ講座をはじめなくちゃいけないし…みんなやってるのかな。。。日々、気づきがたくさんあります。時間は全然ないんですけど勉強をしないと全てが止まってしまう気がするので、仕事と勉強ばかりです。それでもなんとか人生は回っていくものなんですね。

政策秘書

政権が変わると、政策秘書がいっきに不足するそうです。今から応募したら間に合わないかな、と思ったけど採用の基準はさすがにものすごく敷居が高いですね。当然といえば当然ですが、条件を満たす人にとっては転身のチャンスなのかもしれません。

スピリチュアルな観点からも言えることですが、今はすべての人にとって転身のチャンス。この機会をうまくいかせたら、いい追い風が吹くことでしょう。

あいつぐ。

なにか事が起きると連鎖して同じようなことがあいつぐものだよね。
石をたくさん仕入れるので、時にトラブルが発生する。種類も多いので先方もよほど注意していても、やはりミスがおきる。請求のミスだったり。でも一番こまるのは注文したものが届かないことかな。違うものが届いたり、サイズが違ったり。万全ということはないから、受けとった側でもよくよくチェックをするしかない。

先日の配送でも欠品が発覚。別の取引先からは請求ミスがあった。どちらもすぐ電話対応していただけて助かった。メールを送る。数分後に電話がかかってくる…。その場で即、対応が完了する。こういうテンポで世の中、動いている。すごいことだな。

#海外からの仕入れだと英文メールでクレームをいれるしかないけれど。国内だと電話で済むこともあるし、やっぱり便利。仕入れ先はなるべく国内に限りたい。

箱館奉行所

箱館奉行所が復元されたらしい。費用は27億円ほど。すごい金額だが当時の幕府も同等の費用を出せたということだよね。

五稜郭公園といえば函館の中心にあるユニークな形をした「公園」ではあるが、もとはといえば戦う為の要塞。実際、石垣には弾丸の跡がたくさん残っている。中高生の頃は、学校帰りにちょっと遠回りして五稜郭公園をぶらぶら散策したものだった。これといってなにもないのだが、ぐるっと一周するとなかなかいい距離を歩ける。

函館の街は、あちらこちらに幕末の気配が色濃く残っている。住んでいた頃はまったく興味もなかったが、歴史や伝統がかもしだす独特の雰囲気があることは、離れて札幌に暮らしてみるとはっきりと感じられるようになってきた。いずれゆっくり故郷の街をあらためてぶらりと散策してみたいと思うが、引退するまでは無理かな。

一方で縄文式土器もたくさん出土する。そういえば畑に拾いにいったっけ…。まだまだいろいろなお宝が地下に埋もれているかもしれませんね。でっかい遺跡がいつか発掘されたりして。

17年前。

思いで話ばかりで恐縮だが。
自分の足で走り抜いた最長不倒距離。85キロメートル。

あの頃は若かった(笑)。よくそんなに走れたものだ。ただしこの距離は「クロスカントリースキー」の話だから、正確には走ったではなく「すべった」であろうか。でもクロカンなので、自分の足で雪を蹴って進むわけだし走ったということでもいいだろう。当時は夏はフルマラソン、冬はクロカンをやっていた。クロカンは札幌国際スキーマラソンの50キロを走ってしまったのでもう少し距離を走りたいということでオホーツクで開催されているスキー大会に出場したのだった。2月下旬のスタート時の気温は氷点下10度を下回る。前夜、現地入りして車中泊(!?)。やっぱり若かったよね。当日は85キロを完走して、その日のうちに6時間ほどかけて自宅まで車を運転して帰ってきた。
なぜだかわからないんだけど、持久力だけはあった。胃腸が弱くってすぐ身体をこわすのに、ずっと走りつづけるということにはなぜか執着する傾向があったかもしれない。

そんなわけで、延々と同じような日々が繰り返されることにもすっかり免疫ができてしまったんだと思います。ずっと休暇もとれず、毎日朝から夜中まで仕事ばかりなんだけど、どこまでも走りつづけてしまえるのも、当時の修業のたまもの?なんでしょうね。

人生、うまいことできているのかもしれませんが、時にはちょっとやすみたくなることがないわけでもない…。でも休むと二度と走り出せない気がするから多分、もうずっとこのまま走りつづけると思う。

そんな30代前半だったので、その後の瞑想にしても滝修業にしても…実に延々と続いたものでした。仕事も忙しく、修業も忙しい日々。いったいどんな毎日だったのか!? それが今でもそうかわんないんですよね(笑)すでに普通の人の3倍ぐらい仕事しちゃったような気がします。でも、まだまだ先に行きますけどね。これから初めて着手しようってものもたくさんありますし。

23年前。

23年前の晩秋の頃だったと思う。ある大手メーカーと共同開発の仕事があって、数週間、出張先の工場に缶詰めになった。朝の9時半ぐらいから打ち合わせがあり、その後、各自の仕事にとりかかる。夕方には再び打ち合わせがあって少し残業して一日の仕事がおわる。山の中の工場で、周囲には民家すらないようなところだったから、ゲストハウスに軟禁状態だった。ところが日曜日だけはメーカーの人達は休みなのでオフになってしまう。することがないので仕方なく一番近い繁華街がある松本市内に出向いて一日ぶらついた。土地勘もないし、行くあてもないからお城を見物して、駅前の食堂でご飯をたべて帰った。

仕事も後半になると自分の担当はもう終わっていて待機時間ばかりになった。一日することがないので終日、音楽をきいたり持参したハーモニカを練習したりしていたっけ。僕が設計にかかわったそのゲーム機は翌年、某電気メーカーから売り出された。CDが接続できるというのがウリだった。当時のゲーム機はカセットを差し替える方式で、容量が限られていたのと、音源がチープな機械音しかだせなかったが、CDを搭載することでBGMが高音質にできたし、音声をいれることもできた。本体内部の音源の基本設計を任されちゃって(単に適当な人材がいなかっただけなんだけど)、それで部品製造メーカーに派遣されちゃったという次第。当時、発売された最初のゲームタイトルのほとんど全ての音楽や音素材の制作や行程管理を任されていて、めちゃくちゃ忙しい日々だった。とにかくはったりのきく会社だったので、自分たちのスキルより一回り難しい仕事に挑んでしまう傾向があった。自分にとっても未知の仕事が次々にやってきてしまう。誰も教えてくれないから、とにかく調べたり、わかる人に相談したりしてなんとかこなしていった。面白かったけれど、本当に大変だったのだ。

その後も某パソコンの音源設計にも関わったり、なかなか得難い体験を幾つかしていくことになる。最初はとても無理、と思いながらも挑戦して少しずつこなせるようになっていく課程が面白かった。

多分、今でもこうして自分はもちろん、周囲でも誰も取り組んだことのない、いったいどうやったらどうにかなるのか想像すらできない未知の仕事に日々取り組める精神の免疫は、その頃に培われたものなんだろうと思う。だからなにごとも本気になってやれば必ずなんとかなる、と思っている。

なぜ回路設計ができたのかというと、電気工学が子供の頃から趣味だったから。中学1年の時にアマチュア無線技士の国家資格に合格したのでラジオを組み立てるぐらいは簡単にできた。高校生の時は音楽に傾倒していたので、買うと高価でとても手がでなかったシンセサイザー(電子キーボード)を自分で組み立ててしまった。体裁はひどかったが、一応、ちゃんと音もでて音階もひけた(鍵盤まで自作した!)。というツワモノだったので、音源回路の基本設計ぐらいならなんてことはなかったのでした。ふりかえると人生ってちゃんとひとつにつながるようにうまくできているのだな。

あの頃もかなり忙しかったけど。今のほうがずっと忙しいような…。それにあの頃のほうが今より稼いでいたような気もする。それは仕方ないけどね。