月間雑記

この1ヶ月をざっくり振り返ってみる。
仕事以外の打ち合わせを幾つか持った。これらは新しいプロジェクトで、まだ結果は先だが自分なりに試行錯誤をはじめてみた。一部の人達はおおいに振り回してしまい申し訳ありません。楽しんで付き合ってもらえたら嬉しい。また神様からの指示があったら臨時集会を招集するかも(笑)。

そのなかでひとつの取り組みは新たな局面を迎え年内にも具体的な形にできそうである。予告してしまうと楽しみが半減するが、ここ最近は中断していたあるイベントを形をかえて再開する予定(もう十分、半減してないか?)

ご相談内容も少し変わってきたし、ご来訪になる人達もまた新しいタイプの人達と出会うことも増えてきた。これもまた時代の流れなのだなと思う。差し支えない範囲で書くと、ビジネス、不動産に関するご相談がいっきに増えた。個人の方だけでなく法人を持つ方、社会的な影響力の大きい方も多くなってきた。責任の重さを感じる。一方で芸術系の方との接点も広がってきている。

各種ヒーリング、各種セラピー、各種カウンセリングに関わる人達とはこれまで通りだが、やはり密度は濃くなってきている感じですね。その道を目指す人は非常に多くなってきている。

自営業や商売をはじめようと動いている方。方向性や物件探しや開業に至るまで細かく関わるケースも出てきた。ますます責任重大。

子育て相談も実に多い。小さなお子さん(新生児、まだお腹のなかにいる子も含め)に関すること、進路に関すること。また年齢に限らずお母さんからのご相談は実に多いです。幾つになっても子は子であって親は親なのです。自分の母親ほどの方とお会いすることも多く、不思議な気分になります。

除霊のご相談などもあります。それから龍神さん関係のご依頼もありました。

あ、ちょうど新月だね。新しいサイクルが皆さんにとってもおだやかな一ヶ月になりますように。心身の浄化にどうぞこころがけられますよう…

#おっと。
忘れちゃいけない。レイキ、パワーストーン講座、個人トレーニングセッションなどは随時、進行中。書き切れないよ…。ここんところ忙し過ぎてブレスレットが全然つくれない。メンテナンスもあるしね。仕方ないな。音楽、忘れない程度にバッハで指トレ。

うさんくさい者として生きる。

霊能者はうさんくさい商売だよな。自分でもそう思う。というのは、そのように言われたから(笑)。僕は小さい頃から母親の影響で霊能者やお坊さんと縁があって、そういうところに一緒に連れていかれたし、自分達家族には霊的な悪影響から逃れる為には必要不可欠だった。もしも霊能者頼みができなかったら母は更に健康を保てなかったし、もしそうなっていたら自分や家族にとって、とても辛い日々になったと思う。

僕が幼少期の頃、母が頼っていたのは不動尊を祀っている霊能者だった。祖母は禅寺の家系だったので霊的な事も否定しなかったし、母のよき相談相手になってくれていたようだった。母がよく祖母を頼るので自分にとっても頼りがいのある祖母だった。親族のなかでは一番好きだった。母は霊的なトラブルにまきこまれやすい体質で、その度にお不動さまを頼りに行っていた。自分のことだけでなく、家族のことも祈祷してもらっていた。家を出てからも毎年のように僕のところにお札やお守りも送られてきていたので、どれほど祈祷を頼んでくれていたのか、いったいどれだけ費用をかけたのか見当がつかない。弟も持病もあり病院通いが欠かせなかったし、時折り入院することもあった。母は母で病弱でくわえて霊感が強くてそういった事に振り回されていた。医療費と祈祷料で大変だったことだろう。その費用を工面する為でもあったろう、毎日夜遅くまで内職の針仕事をしていた。だから自分のなかで母親像というと、針仕事をする姿がまず思い浮かぶ。それから仏壇に手を合わせたり、病院で処方された薬を飲んでいる姿だ。まったく娯楽というものの欠けた家庭だった。父も仕事疲れからか、家庭の空気から逃れる為かよくお酒に飲まれてしまう人だった。そんな家庭で育ったので楽しい雰囲気が実に苦手だ。だがそれは元々もって生まれた気質からくるものもおおいに影響しているのだ。だが、両親は自分が内向的になり、閉じこもりがちになったのは家庭環境に問題があったのだと責任を背負っているのだろうと思う。そうではない、ということをいつか分かってもらいたいと願っている。

そんな自分のような家族にとっては霊能者や霊的なことに理解を示してくれる人には、本当に感謝をしている。望んでもいないのに霊感があって、人がみえないものがみえたり感じたりしてしまう。そのことがどんなに苦しいことなのかは本人にしかわからない。しかもけして科学では証明されないだろうから、どんな難病奇病よりも解決される希望もなく、絶望的な気分に陥るものだ。そんな私たちのような類いの人間に、霊能者は命がけて向き合ってくれる。信仰ではだめで、祈祷や除霊する霊力をもった人でなければだめなのだ。私たちは信仰にすがっても救われない人種だった。祈願してくれる、すっと霊がはなれる。そういうパワーを頼り切っていた。

たしかに多くの人にとってはうさんくさい人種だろう。それはそれでいい。でも、霊能者の人達がいてくれたおかげで自分は生き延びられた。それは間違いがない。それでもあまりに辛く、苦しかったので「なぜこんな苦しみを神様は自分や家族に与えるのか」を知りたかった。その答えがわからなくとも、できれば負けない力を授かりたかった。でも、どこにも「どうすればいいのか」という答えも見当たらず、導きすら得られなかった。暗中模索しても、なにも得るものがなかった。それで仕方なく自分で神様に問いかけてみるしかないのかもしれない。修業すればひょっとしたらなにかヒントが得られるかもしれない。そう思い至った。そんなふうに考えたのは祖母が禅寺の家系だったからかもしれないし、最初にはっきりとみた先祖霊が祖母と血縁のある僧侶だったことも大きかった。

滝にうたれ毎日何時間も瞑想を重ねるうちに、少しずつ心の曇りが晴れ、人生に希望が持てるようになった。

そしてある時期、自分にずっと願っていた力が授かったのかもしれないと思うようになった。同時に母も落ち着き、逐一除霊してもらわずとも穏やかに暮らせるまでになった。その事だけでも、もう十分に報われたと感じたので、無理して霊能者として生きていく必要はなかったのかもしれない。

が、丁度勤めていた会社でリストラがあり部下を辞めさせたくない思いで自ら辞職した。一時は音楽を仕事にできないかとも考えたが、どうしてもうまくいかず、結局は自然に霊的な力を使って人にアドバイスをする方向に進んでしまった。そうやって「うさんくさい仕事」をもう8年も続けている。これからもおおいにうさんくさく生きていこうと思う(笑)。

わかってもらえない人達にはけしてわかってもらえない仕事だ。だがそれでいいと思う。霊的なトラブルをかかえる人はとても少ないし、多くの人にとっては、経験豊かな運命鑑定や人生や心のアドバイザーといった人達がいれば十分だと思う。

さて、霊感を磨いていった揚げ句に、更に別な能力を得てしまうのだがそのことはこれから改めて少しずつ伝えていこうと思う。

税金

役所から市民税の通知。なぜこの時期に?といぶかしくおもって開封してみると、なんと課税ミスで金額が訂正されていた。手書きで一筆、お詫びのコメントつきだった。役所からの手紙に、直筆でしかもお詫びの言葉が書かれている書類を受けとるのは初めてだ。

最近は企業に問合せの電話等をすると、受けとった方はたいてい自分の姓を名のる。どうせ名のるなら姓名全部名のってしまえば、という気がするがそこまでは必要とされないのかもしれない。

日本人はあまり個人を主張しない。有名人も芸名を使う人が多い。最近は本名の人も増えたようだが、これからは個人が素性を明かすということはとても大切な要素だと思う。それがなぜ、という議論は必要ではなく、大切なのだということをただ強調しておきたい。自分はそのほうが気持ちがいいし、そのように生きていきたい。

アメリカのレコード会社と契約した時にCDをリリースする場合はアーティストネームをつけさせてほしいとオファーを受けた。そういうものなんだろうと思ったが、それは嫌だったので結局契約はしたがCDは出さなかった。僕の名前は英語圏では覚えにくいらしい。逆に漢字文化なら割りと覚えられやすいかな?という気がする。ちなみに自分の姓は三代前の養子縁組みで受け継いだもので、笹川家の直系の子孫ではない。というわけで某財団とは無縁(笑)。自分のルーツは姓のなかにはないので、自分という存在をどう形作っていけばいいのか青年期にかなり真剣に悩んだ。結局、精神的な自立は血縁とは関係なく磨きあげていけばよいことだったし、そうするしかなかったので努力した。名前を大事にする、ということはすなわち自分探しそのものにつながる考え方だと思う。

これからは役所の人であっても、手紙に一筆コメントを入れる時はフルネームのサインをいれたらよいと思う。もし自分が役所に勤めていたらきっとそうすると思う。

そうだ、新生児の姓名鑑定を頼まれていたんだった…。

始動。

光のサロンは新しい転機を迎えつつあります。新たなプロジェクトがはじまります。乞うご期待!