パピヨン

「パピヨン」は昨年暮れに出版された田口ランディさんの作品だ。この本を単なるノンフィクションとくくるのは実にこっけいに思える。ジャンルなど関係なく、これこそ現代のリアルな般若心経でありシルバーバーチの霊言であり死者の書ではなかろうか。

冒頭、2006年の5月のチベットでの瞑想体験からはじまる。そして2008年はじめに父親を看取るまでの日々とエリザベス・キューブラー・ロスの生涯を追いかける内容である。かなりのページを日々、看護に追われる日常の記述にさかれている。実はこの期間のランディさんの日常をほぼリアルタイムで把握している。だが、ほとんどコンタクトもとらず、彼女が北海道に仕事でくることがあっても会う機会もなかった。パピヨンが無事に出版され、PVが制作された時になってやっとおずおずと連絡をとったのだった。なにかに導かれるようにしてこのPVは完成した。自分の音楽がまさかこういう形で世に出ることになろうとは、考えてもみなかった。

以前もブログに書いたのだけれど、このPVに使われている曲は公開も販売もしてない。今となってはどういうきっかけで、なんの為に作ったのかもよく覚えていない。自分は媒体なので、こういう音楽が結局のところいったいなんの為に、どういう目的で存在するのか、どうして自分を通じてこうして音楽として世にでていくのか、さっぱりわからない。それはひとつには、ほとんど感想というものをいただくことがないからなのだ。なんのリアクションもない。だから、自分がなにをしているのかよくわからない感じだ。

コンサートでピアノを弾いても、手をおいた瞬間は静寂である。曲を弾き終えた瞬間に拍手が鳴ることはないし、自分の音楽には
拍手はそぐわないようにも思う。はたしてこれは「音楽」というものなのか、ということですら曖昧でわからなくなる。なぜなら、演奏している時、自分は自分ではないからである。こんなことを書くとトランス状態なのか?お告げでもやってくるのか?指がかってに動くのか?と不思議がられるかもしれない。簡単に説明ができれば苦労はしないのだが、演奏中の意識状態がどういうものなのか、そう簡単に言葉にできるものではない。たしかなのは「これは自分の音楽ではない」ということだけだ。なにかに弾かされている。だが、なにが、なんの為に自分のような者にこの音楽を弾かせるのかは、わからない。

ランディさんがチベットで瞑想をしていた時に、自分もひょっとしたら瞑想をしていたかもしれないし、夢のなかにいたかもしれない。実際、彼女があとがきを書いた2008年の9月6日には、自分のブログでも夢でみたビジョンについての記事を書いていた。違う世界で違う人生を生きているはずなのに、意図せず出会い、シンクロし、一緒にひとつのPVという形でものづくりをしている。

ものごとはすべてがシンクロしており、調和にむかっていくように思える。この本をよんで魂の真実にふれることができるとすれば、それもまた必然なのだろう。

そういえばこの「光の大河」をつくるきっかけになったのは、田口ランディという人そのものだった、ということはかすかに覚えている。あの時、なにかを感じ、それを伝えたくて録音したのだと思う。ひょっとしたら聴いてもらったのはランディさんだけだったのかもしれない。でも、もうすぐこの曲は世にでるような気がするのだ…。生みの親のエゴならば妄想で終わるだろうから、その時は笑ってほしい。続きの音もある。広大な宇宙のむこうに…。それが聴こえるこの耳は、神様のきまぐれなのか、壮大な計画の一部なのか。答えは神様だけが知っているのだろうな。

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