つくる、という選択

なにかが必要になった時に、ネットで検索すればなんでも入手できる。とても便利な時代になった。
だが、安易になんでも手に入ることは、果たしてメリットばかりだろうか。
人間、ないものは自分で作る工夫もしたほうがいいこともあるだろう。

作ることによって脳は活性化するし、アイデアをにつめて形にしていく工程でインスピレーションが高まって思いもよらぬ好結果が出ることもある。その楽しさを知ると、創造する喜びにあふれる人生を引き寄せられるようになると思う。

ピアノに限らず電子楽器は全般的に興味の対象なので、いつも新しい電子楽器はチェックしている。楽器がそろえば録音したりCDを制作したりしたくなるもの。録音機材もピンキリなので、身の丈にあったものを見つけるのは大変だが、楽しい作業。しかし、本当に音質のよいものはプロ用機材に限られ、どうしても高価。使用頻度も少ないので投資効果が小さいから悩みどころ。それなら・・・と作ってしまうだけの時間はないが、よくしたもので趣味のかたわらプロクオリティの機材を自作する人がいる。メーカー製より高品質のものをひょいと作れる人がいるのは不思議でもあるが、必要な場面、用途を想定して作るから、最小限の機能、部材で済む。結局ローコストということだ。

家も建売りを買うより、オーダーメイドで設計したほうが安くあがることもあるという。同じことなのだろう。

自分でつくれないなら、手先の器用な人に作ってもらう、という選択でもいい。時には既製品に手を出す前に、ハンドメイドの良さも見なおそうよ。そのほうが長く使えると思うし、作った人の心を感じられて、きっと人生が豊かになっていくだろう。

栗田さんの絵

アーティストの栗田さんの個展に行ってきました。太陽と月の絵が目当てだったんですが、ある絵に強くひきつけられました。久しぶりにじっくり栗田ワールドにひたってきましたが、この連作はすさまじい。いろいろなパワーを感じました。今日はあまり時間がなかったので、またじっくりと感じさせていただこうと思います。

栗田さんの風景画は、自分の記憶にもない風景がおりてくるのだそうです。よく空に乗り物?とか、山が浮かんでいる絵があります。なかには1万6千年前エジプトなどと説明書きのある絵も。そこには空中に浮かぶピラミッドが描かれていました。

他にも展示していない墨絵も見せてもらいましたが、これもまたすさまじい絵の数々…。

きっとこんな絵をかける人は過去にも未来にも栗田さんだけだろうな。

12/2の交流会

今日現在で30名ぐらいの方にお申込みいただいています。
明日いっぱいの受付です。
かけこみ申込み、お待ちしてます!
ML登録済みの方はオンラインで参加手続きできます。
うまくいかない方は、直接メールでお申込みください。

2次会(@すすきの)も予定しています。参加者が確定したらご案内します。

ある自主制作アルバム

先日、CDを整理していたら10年前に自主制作したアルバムがでてきた。
これは中学校の同窓生のみんなで制作したものだ。
なんと当時の合唱コンクール3年分をカセットテープで録音、保存していたPTAがいらしたのだ。
あることがきっかけでそのテープの存在がわかりCD化しようとなった。
たまたま自分が作業のかなりの部分を段取りしたのだった。

きっかけというのは中学時代の恩師が危篤に陥ったというニュースが発端だった。
同窓会の連絡網で病状や入院先が知らされ、たまたま病院に勤務先が一番近い自分が
連日見舞いに出向いて、リアルタイムで情報を流す役目になった。

もう絶対に助からないという状況だった。
その日がくるのを、ただ待ち続ける・・・
連日、病室に出向くと同窓生からの花束が増えていった。
待合室は近郊に在住している同窓生が期せず再会する場になった。

全員でお見舞いをしたい、そんな気持ちをかなえる方法がなにかないものか、と思案していた。
そんななかで合唱コンクールの録音があることがわかった。
なぜか僕は「CDを完成させて聴いてもらえる時間はまだある」と思った。
同窓生の一人がデザイン業を営んでいることがわかり、とどこおりなくCDは完成した。

病室に持ち込んで、覚醒している合間に聴いてもらった。
当時のことをまだ覚えていてくださったようだった。

見舞ったのはほとんど自分の同学年だけだった。
入院先も限られた人達しか知らなかったはずなのだが、
なぜか私たちの学年だけは、情報を受け取ったのだった。

布石はあった。

私たち同窓生は20年後に開けるべく埋めたタイムカプセルを、なんとそれを開けた日の同窓会で焼失してしまったのだ。誰の過失でもなく、なにかの手違いで焼かれてしまった。

20年間、なんとなく待っていた日だった。百数十名が時々はその日のことを思い出したはず。
たくさんの記憶と思い出がよみがえるはずだった日。それが泡と消えた。そんな悔しい思いが全員にあったのではないか。

亡くなられた恩師は僕が中学1年の時、担任だった。優しく、そして厳しい方だった。
時折り、ふと思い出す。いまでもそらの上から、優しく、そして厳しく見守ってくださっているような気がするのだ。

このアルバムを手にする度に、きっと同窓生の全員がそう感じることだろう。

交流会

すでに告知の通り12月2日に交流会を開催します。
タイトルが前回までの流れでついていますが、特にビジネスをしたい人だけでなく、普通の方もたくさんいらっしゃいます。無職の方、主婦の方でもまったく問題ありません。ご縁のあった方でしたらどなたでもご参加歓迎です。

ただ、前回までの流れで名刺を差し出す方が多いです。
準備が整わない方は、ネームプレートだけでもお付けになっていらしていただけると、交流がスムーズです。

人数制限は今のところないので期限ぎりぎりまでお申込み受け付けています。

尚、この日は2次会(もちろん自由参加です)もあります。とことん参加される方はどうか飲み過ぎないように。それから、くれぐれも飲酒運転はしちゃだめよ。

いろいろな人が集う、魂の異業種交流会ってことで・・・。

ひとつの灯り

ひとつ、ネジがあわなかった。
そのことについて考えていたら、うっかり道を間違えてしまった。
そういうことから、大きな気づきがあって、ああこれでもう大丈夫と安心した。

もし電灯がひとつ切れているとして、そのことを放置するのと、なぜなのかと考えて
気づきを受け取るのとでは人生の流れはまったく変わってくる。

小さな電球ひとつ(値段は100円でしょうか)。
たったそれだけのことで、なぜなのだろうと考えられるひと、
そこから気づきをうけとれる人は幸いだと思う。

正しき道

人生には変わるべき時がある。
また、人生には変わらざるべき時がある。
まったく真逆な二つの岐路に立たされる。
生きるものの宿命かもしれない。

どちらに進むべきか。迷うこともある。
だが時は有限。選択しなければ放棄した事になり、虚しい末路だ。
間違えば苦難の未来かもしれない。

正しき道を見つけるのは容易ではない。

映画

なにか映画をみたくなった。
そして高倉健主演の映画をレンタルしてしまった。

自分もそういうお年頃になったんだな。
やがて「北の国から」にどっぷりはまって涙する日がくるのでしょうか。
そう焦らずにとっておきたい気もします・・・。

道民なら、炭鉱、雪原、SL・・・そういった風景になぜか郷愁を感じるものでしょう。
ポエムでいうならやはり更科源蔵の世界ですかね。

魂のやっかいごと

人とつながることが、なぜかとても疲れる、という方がいる。生きていれば疲れるのは当然なのだが、元気になれる場面が少ないと疲ればかり残る。元気になれる場面が少ない、ということは与えすぎ、ということが考えられる。知らず知らずのうちに与え過ぎているのかもしれない。そういう方に限って、困っている人には与えないと罪悪感になるから、やはり与えてしまうのだという。

「おもいやり」というのは、与えること、受け取ることのバランスが崩れてしまうと、ずいぶんダメージになってしまうものだ。人間の心はとてもナイーブで疲れやすい。疲れすぎて安全装置が作動するとスイッチがきれて、もうなにもできなくなってしまう。それもまた罪悪感になって、精神には毒になっていく。心には安全装置があるのだが、精神にはそれがない。どこまでも負のスパイラルにはまってしまうおそれがある。人間の精神回路は、肉体とすごく乖離したところに存在しているので、感情がすべて無感覚になってストップしても尚、活動をやめない。死ぬまでやめない。もっといえば死んでもやまない。そこから先は魂が考えることだから。そして魂はやはり・・・「与えたい」と願っていたりするから、事は非常にやっかいなのだ。

小林多喜二

小樽のプロレタリア作家・小林多喜二のハガキが新たに発見され、公開されはじめたのだそうだ。ハガキだから当然、私信なのである。書いた人も、受け取った人も、その遺族もほとんどが亡くなっているからもう時効なのだろう。だが私信なんてものは、当事者同士が生きている間、公開されるべきものではない。

私も生身の人間なので私信のつもりでお渡ししたものが流出なんてしたら辛い。この年になってもまだ予想もしない出来事に翻弄されることもある。

さて、なんとか切り替えて今日も仕事にとりくみましょうか。。。

※小林多喜二はなぜか中学生のときにはまった。あんなに一生懸命に多喜二を追いかけたのに、なぜか小説そのものはあまり印象に残らなかった。まだ心が十分に受け止められる内容ではなかったのだろう。30年以上の歳月を経て読み返し、やっと自分の中で多喜二探求は一区切りついたばかりだ。