音出し

仮録音準備中・・・とりあえず音が出でるようになった、という段階。録音までにはまだかなりの工程が。2012 05 16 23 14 05
いろいろ模索してますが、思うような音色もみつからず、形になるレベルに気持ちも高まっておらず。ただ淡々と内観の7日間になってしまうのかもしれませんが為すがままに。

Mogari Part2

まだ、これといってなにか形にできているわけでもなく2日目。準備不足は否めず。唐突に思い立ったことだから仕方ない。

「もがり」について、今一番感じていることは先祖供養だ。私達の血のなかに流れている先祖代々受け継いだもの。そのなかに紛れ込んでいる因縁だ。若い頃は「因縁」の実体も意味するところもわからず、ただ怖れだけがあった。子供時代にさんざんひどい目にあったので、とにかく見えない因縁は怖いものだと刷り込まれた。憎しみの対象ですらあった。そのおかげで子供時代の我が家には平穏な月日はほとんどなかったから。人を憎まずに済んだことは幸いなのかもしれないが実体のみえない敵を憎むことも難しく、ただやりばのない怖れが募る一方。子供だった自分にはなにもできず、どうしていいかすらもわからなかった。やがて唐突にみえない敵が自分の身体におそいかかり、神経を麻痺させ、気力を奪い、日々の余裕をむしりとっていった。武器も防具もなかったので、やむをえずそれらを求めて修行を始めることになった。どの防具や武器がどのように効いたのかは、わからない。わからないが、とにかくなにかしら打たれ強くなり、見えない敵にふりまわされることはなくなった。だが、結局因縁というものの実体はなんなのか。長い年月その正体についてはわからないままだった。

日々、人様の人生相談を通して過去の因縁にも無数の形があること、それは簡単には消えてなくならず必ずどこかで解消されるべくしてこの地上に生きるものにまとわり続けることがわかってきた。ことは簡単ではなかった…。結局それは土地にあり、人々の行いにあり、過去・現在・未来を通してそこら中にある。どこにでもあるものなのだった。付け焼刃では解決にならない。かといって放置しておけば日々はびこる。まさに雑草のようなもの。すべての人々の周りからそれらを排除することは容易ではない。けれど、心がけるより他に手立てはない。

自分のなかの因縁が解消したとしても、私達のDNAは先祖の肉体のそれであり見えない無数の要素を遺伝的に受け継いでいる。そのなかには悲しみもあり、絶望もあり、辛い記憶もある。罪悪感もあれば虚しさもあるし孤独感もある。満たされなかった欲求もあれば、強い敵対心からくる憎しみもある。恐怖、不安、怖れ。ありとあらゆるネガティブな感情のエネルギーは遺伝子のなかに組み込まれてバトンを渡される。そしてそのバトンをどこでどのように自分の身にまとっているのか、私達は容易に自覚できない。

先祖から受け継いだ因縁が形になるのはおおむね成人してからだ。それ以降は親の加護の力が薄れる。自立するにつれ影響が強くでるようになる。失敗が大きくならないうちに、芽のうちに摘むようにするしかない。商売をする人は割りと先祖を敬い大切にする。それは日々、命がけだからだ。危険が伴う仕事についている人も同じく。そのような仕事をしている人達の家系はわりと年月を重ねるにつれて因縁が軽くなる傾向にある。一方で会社員など大きな組織に所属していると仕事の成功の可否がでるまで月日がかかるから、即影響の出やすい健康運や家庭運に障りやすくなる。いずれにしろ影響を受ける本人にとっては人生の大きなトラップ(落とし穴)のように思えるのだ。

現代のMogariはどうあるべきか。見えない過去から自分達のDNAに受け継いでしまった因縁をどう供養し、乗り越えていくべきか。

ひとつは自分の人生の失敗は自分だけの失敗ではなく、受け継いだものかもしれないと考えることだ。であれば先祖供養で解消できる。すべてを自分一人で背負う前に、そもそも自分の原点はゼロ地点でなく、マイナスの原点であったかもしれないと考えてみることも必要だろう。

もうひとつは、自分の親族、血族のなかでも(親兄弟や直系の子供)因縁が強くでる者とそうでない者がある。その場合にはチームワークがとても大切なのだ。自分だけの問題ではない、と考えることができるだけでは不足で、血族みんなで共同体として先祖を供養していく作業に取り組めるかどうか。親兄弟がいるのに自分だけで背負うことは難しい。家族内で分離や対立があるとチームワークが望めずなかなか因縁解消がはかどらないケースもある。

あまり因縁を強調するとうさんくさい霊能者のセリフのように聞こえてしまう。が、ないということはない。信心深い地域の人達にとってはごく自然なことなのだ。供養という言葉よりも「祀る(まつ)る」という言葉のほうが多く使われるかもしれない。祟りを怖れる意識が強い地域もある。なぜ怖れるか。なぜ死者を悼み、弔うのか。その背景には見えない因縁を怖れる意識がある。怖れるばかりでなく、その影響をしっかり受け止め、乗り越えていく心がけをもつことで事態は動く。たとえ私達ひとりひとりに因縁を解消する知恵や技術がないとしても、気持ちがあれば導きはある。まず過去から受け継いだDNAのなかにある穢れを意識することだ。それを清らかにし、先祖と共にすがすがしい未来を共に迎えたいと願うことからはじめる。

過去の穢れを見つめる作業。その為のなにか、きっかけがあればと思う。なにか形にできないかと昨夜から夜なべ仕事をしているのだが・・・

雨の日

今日は気になったのでAIR COUNTER-Sを持ち歩き。午後、雨が降った後はずっと高い数値を示している。上下が激しいので平均はどれぐらいかわからないが0.10とか0.12には頻繁に達していて。これではいくらなんでも通常値(0.04)にはならないのではないか。厳密な測定器でもないので、これだけではなんともいえず。雨と空間線量の関連はないのだろうか。