日々の徒然:一生に一度の決断

高校3年になった頃、人生の進路を真剣に思い悩んでいた。すでに理科系はあきらめていて、そうなるとこれといって自分が情熱を燃やせるものは音楽しか残っていなくて、それも現実の職業にするには気力が足りなかった。ふと心のなかに医療系もいろいろあるじゃないか、リハビリに関わる仕事もやりがいがありそうじゃないか、とひらめいたのだ。それは、なにか自分の本心にすごく近いところから沸き起こった斬新な感覚だったのだが…とはいっても身近に相談できる人がいなくて、結局その思いは心の奥底にしまいこんだままだった。

あの当時の自分が今の時代に生きていたら、間違いなく医療系の大学を選んだと思うし、きっと選択肢がたくさんあって迷うほどだと思う。札幌はなんだかんだいっても大都市だ。この街に住んで暮らせて学業につけるのは、本当にラッキーなことだと思う。田舎からこの街に飛び出してくるのに、自分はある意味すべてを捨てたのだった。頼れる友達もいるわけではなく、親戚も一人もいない。確かなものはなにひとつなく、直感だけだった。運がよかったとしかいいようがない。よくあんな勇気があったなぁ。今ふりかえっても不思議としかいいようがない。なぜ、あんなに思い切れたのだろうか。札幌という街に何度も来たことがあったわけでもなく、ほとんどなにも知らない土地だったのに。今の自分におきかえれば南アフリカの地図のどこにあるかもわからない場所に国際なんとかチームにはいって志願するようなものだ。若さ故だったんだろう…

若い人達にとって、どんな学校でなにを学ぶかはとても大切な選択。この街にはすごく大きなチャンスやきっかけがある。でもそれを引き寄せるのは自分。その為には自分をよく知ることが大事。

自分を知りたい人、遠慮なく。一生に一度ぐらい誰かの胸を借りるのもいいものだと思うよ。僕そうやってここまで来たしね。

今日の徒然:アートスタジオ進捗状況

アートスタジオの内装打ち合わせが本格的になり、問題も山積みだけれどちょっとずつ前進しています。展示会をやりやすい空間っていったいどんなふうにすればいいの?というのが悩みどころ。ギャラリーとしても使いたい等など、目的は本当に多岐にわたるので。今日は一番の悩みだった収納をどうするか。限られた空間だからこそ最大限に利用したい。できるだけ間仕切りを作らずにと考えたのですが必要な備品もあるので、どこに収納するかで一旦はすっかり煮詰まってしまったのですが。意外な方法で理想的に解決。よかった…。

それと紆余曲折あって別フロアにコワーキングオフィスの機能をもたせたオフィススペースを作ることに。空間デザイン能力ゼロなので考えていると頭が痛くなってきます。来月が山場です。

ameblo対策

amebloの規約が厳しくなり、商用利用がほぼ不可能になったらしいという情報をみかけます。先月から今月にかけての最新情報なので、信ぴょう性は高いです。念のためバックアップをとって別サイトの用意を検討したほうがいいでしょう。

#独自ブログを自前サーバーで設置するのが自由にできて一番、いい方法かもしれません(結果的にはコストは一番安く済みます)。

今日の徒然:白紙

週末は番狂わせがあいつぎ、予定がほとんど白紙に。こんなことも滅多にないのですが、流れのままに。

ものごとがうまくいかない事は誰にでもあると思いますが、こういう仕事をしているとスケジュール管理がすべてといっても過言ではありません。未知の人、既知の人とわずお互いの接点を探り合って出会い、学び、高め合い、それぞれの人生に戻っていく。みえない糸が日々紡がれていく。

2000年(あぁ、なんて大昔なんでしょう!)までは人と接触するといっても限られた人、しかも同じ業界の人だけでした。さらに遡ると就職する以前は地方の大学生(中退しましたが)で、学友も限られていた。さらにその前は進学校だったので学校ではあまり交友関係は広がらず、その代わりにバンド仲間でのつながりが少しできたぐらい。というように前世紀の交友関係は音楽とか、クリエイティブな仕事に携わる人達に限られていて、地域性もあり、とても狭い世界にいたような気がします。
世紀も変わり2001年以降はといえば、およそ接触しない人はいないというぐらい、多岐にわたる出会いがありました。であった人達の職業を列記したら、出会っていない職業の人は総理大臣とAppleのCEOぐらいでしょうか、と冗談がでるほど実にさまざまな出会いがありました。

それでも、時には出会いの流れがこんがらがって、いったん白紙に戻すタイミングもあります。

人生が白紙になってしまった。そういうご相談があいつぐ最近。そういう時期なのだと思います。

この週末、予定がすっかり狂ってしまったのですが、ご迷惑をおかけしている皆さんには申し訳ないです。でも、そんな時はこう考えてください。この予定変更は、きっと誰かにいいことが起きる為の準備に違いない。それに協力すれば、誰かがハッピーになるお手伝いができるってこと。だから、少しわくわくしながら、予定変更に協力してください! よろしくです。

今日の徒然:水

体調や気分がいまひとつ、という方は少し食べ物を摂らないで、きれいな水をたくさん摂ってみてほしいのです。食べる、ということは命をいただくことだけれど、自分という命の活性が下がっていると食べ物という命のほうが強すぎて、いただいているけれどしっかり共鳴しきれずに糧にしきれないことがあります。自分という命が弱っていると、食べても元気がでないばかりか、かえって疲れることもあります。身体が弱ってつかれている時に、気分転換といって旅行にいっておいしいものを食べようとしても、身体が受け付けないこともある。そんな時にせっかくだから、と無理をして食べると、旅行から帰ってから寝込んでしまうことになってしまうかもしれません。

本来、私達の身体はちゃんと必要な糧を欲するようにできているし、自分の状態に見合ったちょうどよい食べ物の摂り方を知っています。身体の内側から湧いてくる欲求に耳を傾けるようにすることも、軽い断食を通して学ぶことができると思いますよ。

今日の徒然:スタジオの方向

アートスタジオは、概ね内装イメージがかたまったので、近々内装業者と具体的な打ち合わせにはいります。運営費用の件など、諸々の実務レベルではすべてがこれからといっていいほど白紙に近いのですが、コンセプトだけはこれ以上はない、というぐらいしっかりしたものを作りましたので、なんとか回っていくのではないかと強くイメージしています。が、立地がよいのでその分経費はかかってしまいます。心配のタネはやまほどありますが、なにごともはじめてみなければわからないので。とにかくゴーサインはでましたから、行けるところまで行ってみます。

スペース的な問題でいままで形にできなかった様々なことが実現できるようになります。もっと大人数で、定期的な学びも提供したいと願ってきましたが、このスタジオがあればなんでもやれるようになります。

無茶を承知で同時にIT関連の新会社設立に顧問として関わっています。同じビルの別フロアに新しい概念の法人を立ちあげられないかと模索中です。こちらは当面は関係者のみのプロジェクトですが、いずれは光のサロンと有機的な関わりが形になっていくと思います。ヒーリング+アート系のさまざまなイベント(セミナー、ワークショップ)もイメージとしているので、その為のチームを新しい法人のなかに作れないか模索してみようと思ってます。利益を出せるかどうかがカギですが、癒し系の仕事はとても難しいのでどうなるかわかりません。新会社の為の資料を書いたりしていると、日々があっという間に流れていってしまう・・・時間がいくらあっても足りません。7月は間仕切り図面を書いて終わりそうです。8月はできるだけ内装に着手。9月の後半か、10月にはどちらも発足・スタートさせたい!です。

その他。
アートスタジオ、ネーミング決まりました(というか、降りてきました・・・)。

場所はここです。
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大通り西13丁目の角から2つめのビル、3F。

そらのみちびきのもと

釧路のワークは無事に終わったとのことで、嬉しい報告がきけてひとあんしん。絶対うまくいくとわかっていても、いざとなると何が起きるかわからない。なにしろ相手は自然の神々達なので。とにかく参加した方、おつかれさまでした。今回、参加した人達は次の世代になっていくわけで、このワークが今後、何世代受け継がれていくかわからないけど、とにかく特別なものであることは間違いないし、できれば多くの人のこのようなワークで、精霊の洗礼を受けてほしいと思ってます。特に、人の人生や魂の由来にスピリチュアルな関わり方をする方、しようと思っている方には絶対に一度は参加してもらいたいのですね。なぜということを説明するのは難しいのでしませんが、それで人生が変わる、ということだけは事実なので。他者との関わりを考える時に、より波動を穏やかに保つことは必要不可欠だと思います。電子機器に囲まれているような時間が長いと、どうしてもエネエルギーが乱れがちなので、そういう環境ではなかなか自分のバランスを保つことも難しくなってきます。自分をふくめて、場の波動を安定させることは用意ではない。であれば、自分が感じる最大限、波動が穏やかな場、集い、経験を重ねることです。今まで感じられなかったなにかをふと感じる。そういう経験を重ねれば重ねるほど、自分のものさしが、より波動の精妙な方向に変化・成長していき、さまざまなエネルギーを感じ分けられるようになるもの。古来より、霊的な感性を磨く定石は自然にふれることなので、それ以外の方法はないと思います。レイキを修得した初代はけして人ごみのなかで瞑想したわけではなかったわけです。瞑想をする時や環境を選び、最善で最高の瞬間を経験したから、そのような波動の高いエネルギーを会得できたのでしょう。

北海道は、エネルギーを学ぶにはとてもよい土地です。遠方からくる方にも、よい学びの場や方法を受け取って欲しいと思っていますが、やがて準備は整っていくと思います。神々の望んでいることであれば年月がかかっても、実現しますから。

北海道はおおいなる意思が宿る、聖霊と魂と命のふるさとであることは間違いないでしょう。ここで得られるものは本当にたくさんあります。この土地に住んで生まれたことの意味は大変、奥深く、ありがたく幸せなことだと思います。もっと多くの人にそのことを知って欲しいのです…。うまく伝えられない自分が非常にもどかしいです。言葉は本当に無力だなぁ。

お願いですから皆さん、もっとそらをみて。星空を、月夜を。魂はどこからきたんだろう、と考えたことがある方なら、きっとなにか思い出したり感じたりするはず。自分にはどこか行くべきところ、出会うべき人達がいるのではないか、と思うかたも、空をみて導きを感じてみて欲しいのです。
そのことはサロンでレクチャーしても、わかってもらうことができないのです。屋外で、自然のなかで、すっかりエネルギーをリフレッシュしたうえで、しかるべきみちびきによってのみ、感じるチャンスが得られます。屋外でワークをしていると、実にさまざまな不思議な出来事や感覚を味わいます。が、それが偶然でないとわかった時に、すべてに意思が宿っていることや、私達はなにかおおいなるものに見守れていることが体感として理解できます。

皆さんにおおいなるものたちのみちびきがありますように。そらのなかま達と共に、いつもいつも祈っています。いのちあるうちに、どうか出会い、そしてきづき、めざめてくださいますように。
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(2005年のスナップより)

今日の徒然:偉い人の言葉

とても偉い人のお言葉。「見てみぬふりをしないことが一番大事。」これは今、社会問題になっているいじめに向けてのメッセージのようだ。

私達には彼らの心のなかを感じ取ろう、歩み寄って対話しようという意識や心がけが不足しているから、彼らはあまりにお互いに無関心であるかのように見えてしまうのではないのか?本当のところは誰も見て見ぬふりなどしていないと思う。特に若い世代の人達は。

だが、世代をこえて彼らの心に触れることは難しい。声なき声をききとることは容易ではないと思う。

偉い人のメッセージは続く。「あなたは一人ではない。それを信じて誰でもよいから相談して。」と。

誰しも一人になりたいなどとは思っていないし、望んでいない。でも、彼らに選択肢があるのだろうか? 相談できる相手が思いつかなかったり、相談しても受け入れてもらえなかった時にどうしたらいいか、その知恵を社会は与えていると言えるだろうか。政治家ばかり無責任というわけではないだろう。社会はそれぞれの役割を全うしていると思う。だが、結果的にあまりに多くのものが不足しているのは事実のように思える。若い世代は孤立している。一人ではないといっても、一人にさせている状況が多々あるのだから、なんとかしなければいけない。若い世代に社会を動かす力がないとすれば、動かせる人達が応援したり、少しでも風通しをよくしてあげたりするしかないのではないか。

自分にもなにかできることがあるのではないか、と少しでも思い、感じられる人達が草の根運動として「どんなに小さくてもいいから、できることから始める」ことがなによりも大切なのではないか。「ひとりひとりが思いやりを形にして表し、社会運動として成熟させていく流れを今こそ、生み出していくこと」が必要とされているのではないか。もう政治が、国が、教育機関が、行政が、と頼っていちゃダメなんだと思う。

今日の徒然:おだやかな空間づくりの為にいいこと

「い草」はすごくいいと思う。
日本的な建物、室内空間の様式は波動的にもすごくよく考えられていたようです。今はコスト重視、デザイン性や機能性重視で、「波動を重視」という空間デザイナーや建築家をあまり見かけないのは残念。潜在的にはそんな感性をもった建築関係の方もきっといらっしゃるはず。そろそろ「あなたの波動にあった家を建てます」というチラシが新聞にはいってたら注目される時代になってきたような気がします。なにごとも最初は敷居が高いもんですが、いったんはじめてしまえばあっという間に当たり前になると思います。

10年前はオーラという言葉を使うことも躊躇されたわけですが。本当にこの10年が100年に思えます。

疲れがとれない方、「い草」の敷物ひいてその上で昼寝してみてください。それと下着はなるべく自然素材で。下着にポリエステル製のタグがついてるだけで、調子がでないと感じるぐらい体質が敏感な方もいます。寝室スペースにはなるべく電化製品を置かないことも大事です。パワーストーンも安眠効果がありますがこれは種類や形状と本人との相性を見極める必要があるので詳しい人に必ず相談してください。

機能性と波動的に優しいかどうかは、今のところ相反するようです…。便利で安価なものは、あまり身体によろしくない。一方で不便だし機能的にも使いにくく、そのうえ高価なものは身体にいい。時代がもっとすすんで波動の概念があらゆる工業製品に反映されるようになれば、人の心も肉体もほとんど病まなくなり、癒いの概念も薄れていくと思うんです。心も身体も調和し、命の活性が高く皆が元気はつらつとしていれば、もっと効率よく経済もまわるようになり、さほどがつがつ稼がなくてもよくなるでしょう。そうなれば、便利さの追求は止み、高価であっても「すべての面においてよいもの」が大事にされるようになり、さらに余裕をもった暮らしを営めるようになるでしょうね。もし実現するとしても、今よりずっとずっと遠い未来のことかもしれません。

守ること、育てること、作ること。

人にはいろいろな役割があるなぁ。
それは魂がもともと持っていて、人生は魂が個性を発揮する為の舞台ともいえる。
その人にふさわしい姿形があり、出来事が用意され、いよいよ本番。
セリフはすべてアドリブだ(が、多くの人は、自分の得意なセリフがあるのでそれを繰り返す傾向が強い)。
だが、シナリオに描かれていない登場人物が現れたり、出来事が起きたりする。
それはたいてい、強い権力がもたらす。会社だったり、社会だったり、なんらかの紛争だったり。
対立や戦いはことごとく消耗につながり、人生は浪費されていく。
人生の浪費を望む人はなく、それは天上界でも同じ。
ご先祖様も、守護霊様も、皆、自分達が応援している人々の人生が浪費すれば共に疲れ果てていく。
そんな時は空も厚い雲で覆われてしまい、地上でさまざまな災害が増えていく。
人間は元来愚かだが、あまり愚かになり過ぎないように、自然が警告を発しているかのように思える。

そんな時代だ。

それでも、財産を守り、地位を守り、権力を保とうとすると、どこかで折れてしまうかもしれない。
もし建物や土地や財産を奪われても、また作り、育てればいい。でも、守ろうとすると、最悪すべてを一瞬で失ってしまうかもしれない。

これからの時代は女子供が主役なんだと思う。これから大人になる男性達の役割は、母親を支え、兄弟姉妹や仲間を支えること、そして次の世代を産み増やし育てていくことだろう。

そうすると、いったいどこに父親は存在しうるのか? いままでの男性性のエネルギーをどこに向ければいいのか。

僕はそれを創造性にむけて解き放つべきだと思う。学者はもっと研究して成果をあげればいい。手に職のある人はそれをもっと磨き、評価を得ればいい。そうやってスペシャリストとなり稼ぎを得ればいい。あるいは女性や子供を守り、育て、応援するシステムの中に身をおくのもいい。今は高齢化社会だから、女性たちの負担を軽くしなければ子供が育てられない。福祉の仕組みをもっと充実させて、子育てをみんなで支援していく仕組みづくりが急務だ。教育もしっかり作り変えなければいけない。新しい時代になり、生まれてくる魂は皆、完全な平等主義者だ。父性を求めないから、最初から若い子達は、自分達には上も下もないと思っている。それが当たり前で当然で、それ意外の関係性には違和感を持つ。だが、大人は上から目線で与え、守り、感謝することを要求する。それに対して彼らはけして心を開かない。自分達とは違う異質な存在を怖れ、遠ざけてしまう。だから、新しい世代の若者達との間にたって、潤滑油となる役割の人達の育成が急務なのだ。それぞれの個性が際立ってきて、どうしても埋めようもない世代のギャップがある。その見えないギャップにもっとも早く気づいてきたのがアーティスト達だった。それが教育者でないことはとても残念。次にセラピストの人達だ。そういう立場の人達は社会的な権威をまったく持たない。だから、若い世代も受け入れる。だが、学校は組織がある。医療の世界も、精神医学の世界も、福祉の世界も権威主義だ。民間のNPOですら権威主義にはひれ伏している。それでは若者たちの行き場所は誰もつくれないことになる。

こんなに問題があきらかになっていて、誰もどうしたらいいか答えをはっきりもたない空気が蔓延していて、自分にはなにができるのかできないのかもわからないという声なき声であふれている。

それが今という時代なのだろう。

でもアートはそのすべてを超越して光をもたらす。本当のアートは元来、自由に時代や社会を超越したバイブレーションで満ちている。これからもっと様々なジャンルのアーティストが注目されるだろう。人々はもっと身近に彼らの作品を求めるようになる。子供たちはそれが大好きだ。そして彼らも自然にアートを表現しはじめるようになる。自由に歌い、自由に踊り、自由に詩を語る。私達はその自由な環境をつくる義務がある。この時代に生かされているのなら、それが大人である私達の責務だ。とても急がれる大事な仕事だ。