年末の予定

12月28日と29日は、特別なプログラムです。

・12月28日:祈りの集い
・12月29日:瞑想の集い

12月30日、31日の2日間はレイキ修了者対象のワークショップです。内容は、当日の顔ぶれによって組み立てていきます。

光のサロンの提供の、2012年の締めのプログラム、以上です。

今日の徒然:無感覚

今日は「サンカーラ」第二章を読んだ。この章も一度、読んでるんだ。間違いなく。でも、その時なにを感じたのかまったく覚えていない。そして、今日もこの第二章は読み終わった直後でも、やはりなにも感じられない。

ただ、ふと自分の子供時代の辛い記憶と重なったり、ワルシャワを訪れた時のことと重なったりする程度だ。ヒロシマの事も、カンボジアの地雷のこともよくわからない。自分の人生にはあまり重ならない。でも、読んでいると、この無感覚になる感じがどこからくるのかわからないが、ずしんと心のなかにあるのがわかる。

私たちの心は、あまりにも大きく、悲惨な出来事に対して心が無感覚になるのかもしれない。今、子供時代を振り返ると、あの頃はあまりにも孤独で寂しくて、人と触れ合うということがわからなくなっていた気がする。高校生になって勉強よりも、音楽にずっとのめり込んだのも、心のリハビリだったのだろう。自分の心を言葉や表情や態度に表すことができなくなっていた。その代わりに、音楽という言語を修得しようとしていた…。実際、年代も、生活環境も、人生の流れもまったく違う人達と、音楽を通して関わりあうことができるようになり、なんとか自分の居場所を創りだすことができたような気がする。

ワルシャワに滞在した時、一日だけオフになって、同行の人と観光をしようということになった。心のなかでは、アウシュビッツに行ってみたいと思ったが、とても言い出せず、有名な古都クラクフを訪れた。昼食を取ったあたりから雨が振り出して、どんよりと暗くて重い空だった。今、思えばアウシュビッツには行かなくて良かったんだと思う。あの頃は、霊的な感性が眠っていた頃で、うっかり刺激をして覚醒したら人生の流れが変わってしまったと思う。ワルシャワ市内をぶらぶら散策し、教会でぼんやりしたり、ショパンの足跡をたどったりして、時間は十分に潰すことができたから。それでよかったんだろう。もしも、あの時に、強制収容所で山とつまれた髪の毛や靴を見てしまったら…どうなっていただろう。クリエイティブな感覚が眠ってしまって、創作活動に影響があったかもしれないな。

人生には、体験すべきことと、そうでないことがあるのかもしれない。必要以上の体験、心の器が受け止め切れない体験は、糧にすることができないのではないか。器以上の大きな、重い出来事と遭遇してしまった時、心のスイッチは切れるようになっている。そこから先は、無意味な時空が広がっていく…。

人生に、戦争や、災害で、大きく巨大な虚空の穴があいてしまったら、魂はその穴をどのように受け止め、乗り越えていくのだろう。きっと、ひとりひとり、その方法は違うのだろう。それぞれの生き方、あり方で、向き合い、乗り越えていくよりないのだろう。

私たちは皆、違うのだ。それぞれの魂は、違う体験を通して、過去からこの時代へやってきた。そしてまた来世へと向かっていくんだろう。