今日の徒然:脱力について考える

90年代のこと。音楽業界の方とご縁がつながっていくなか、自分の作曲家としての可能性を模索したかったので、
歌謡曲を作ってみたいと呼びかけていたんです。童謡のようなものをつくったり、ちょっとポップな感じの曲を作ってみたり。素敵な詩を書いていただけることもあって、自分なりに試行錯誤をしていました。まぁたいした成果はなかったのですがいい経験をしました。

80年代はフォークがまだ流行っていて、その余韻のなかにいた感じ。90年代にはいり、電子楽器がすごく進化してポップな世界はものすごく変化した。時々、70年代、80年代にはやったフォークを聴き返してみるんだけど、個人的には懐かしいものが多々ある。あるけれど、今聴き返してもどうもしっくりこない。というより、ちょっと心にずしんと重すぎるものがある。どうしてかな、と思ってみるんだけれど、やはり歌い手の問題なんだよね。歌というのは、曲(メロディ、歌詞、リズム)ありきだけれど、本当のところはどんな歌であっても、歌い手という人間が楽器として響きを伝えてくる。人間だから、その人の思い、考え方、生き様というものが響いてくる。歌というのは、人から人へとそっとなにかを伝える電波のような性質をもっている。だから、流行家というのは、その時代にどんな性質をもった歌い手が世の中の人にたくさん響きを伝えていたのかを表している。

同じ曲を歌っても、歌い手がかわれば、まったく伝わってくるものがある。

そんな歌謡曲も、時代をこえて、何十年もみんなに愛される歌い手さんもいる。時代の流れに影響されず、いつの時代にも、普遍的に多くの世代から受け入れられてしまう。そんな性質を持っている人達もいる。やっぱり、そこには人間性ということがある。そんな人達に共通しているのは、肩のちからが抜けていること。

この人、なんでこんなに脱力してるんだろう…とひじょう〜に印象的だったのは、作曲家の弾厚作*さん。曲の打ち合わせをさせてもらったいきさつがあって、ご自宅にうかがったり、コンサートの楽屋にお邪魔したことがある。作曲の仕事ぶりといい、ご自宅でのくつろぎ具合といい、楽屋での飄々とした雰囲気といい、実にくったくない穏やかな方。それでいて舞台にたつと、実に輝いてみえる。あのギャップがとても不思議だった…。あの力みのない感じは、本当にそういう人間性をお持ちだということ。あの脱力感が時代や世代をこえて、多くの人から受け入れられる大きな要因なのですね。それにしても年をとらないですね。機会があったらコンサートにどうぞ。絶対、楽しいから。
*芸名は誰でも知っている方なので、各自でお調べくださいね(笑)。

幾つになっても皆さんに楽しんでいただけるような「なにか」を続けていきたいものです。