今日の徒然:地蔵菩薩

ご近所をぶらぶら。先週は久しぶりに演奏をしたので、エネルギーバランスがとても特殊な状態になっていた。森のなかを歩いたり、沢沿いを歩いてみながら、すこしずつニュートラルに戻っていく感覚を味わった。帰り道、なにか呼ばれた気がしてふりむいたら…
円山散策20130921

お地蔵さん。

見守ってくれてありがとう。

さて、次のステップへ。

成長と孤立

たくさんの人生の苦労や葛藤をみてきて感じるのは「孤独」はとても心に毒になるのだなぁということ。人はとても弱い。心に毒がたまると、どんな人でも正常ではなくなる。人格や意識は関係なく、毒におかされると人は常軌を逸しやすくなるものだ。たとえ表面上は調和を保っているようにみえても、体は少しずつ蝕まれていく。すると必ず病気になる。本当に「孤独」というのは毒を生むものだ。

一人でご飯を食べる機会が多い人は、よく噛んでいただくようにしてほしい。それだけでも眠りが深くなるし、翌日に疲れが残りにくい。食べ物と「うつ病」は関係があるのではないか、という研究があるらしいが、「食べ方とうつ病」の関係性だってあるんじゃないかと思う。

とにもかくにも、人生には孤独はつきもので、それが毒を産み、心や体が侵されてしまう。

そもそもいったい人はなぜ孤独になってしまうのか。視点を成層圏にうつしてみれば、今の日本はまさしく孤立状態といえる。思い切り目線がぶれている最高責任者に、国民も世界もふりまわされているかのようだ。これが数世前の日本だったら、とっくにクーデターがおきて幕府は滅びているところだ。いや、まもなく滅びるかもしれないが、政権はなんど滅びてもいいのだが(どっちにしろ、現代の政治家はかつての武人達の末裔だから、天下をとったらあとは滅びるだけという運命から逃れることはできないだろう)、私達一般庶民はこれからの国作りをどうにかしなければと、常日頃から感じている。ましてや、負の遺産ばかり背負わされてしまった若い世代の人達の、心中はいかばかりだろうか。

ちょっと話をもどそう。

成長と孤独ってどういう関係があるのか?という話。

人はこの世に「成長」する為に生まれ変わってくる。けして天下をとる為でもなく、リッチになる為でも、イケメンさんや超美人さんと結婚する為でもない。そして「成長」の意味は、皆それぞれ違う。ある人は、天下をとることで成長するし、ある人はリッチになることで成長するかもしれない、イケメンさんや…いや、もうよそう。とにかく魂がもって産まれてくる価値観は皆違い、一様ではない。だから、一般論は存在せず、すべての魂が「完全に例外中の例外の生き方」を選んでいくのが、宿命というかセオリーだ。成長していくにつれて、自分ならではの選択が増えていく。当然、人と考え方も価値観も合わなくなる。そこからが難しい。

他者に共感もしてもらえず、認めてももらえない。それまでは他者が自分の鏡になってくれていたから、対立や不調和から学ぶものがあった。だから、苦しくても、それなりに得るものがある。これが普通の人生のほとんどのパターンだ。ところが、一線を超えてしまうと、他者との関係性から学ぶものがなくなる。いつまでも「みんなの輪のなか」にいると、成長がとまってしまう。虚しくなってしまう。だから飛び出そうとする。ところが、その向こう側には「なんの尺度も基準もなく、目安になるものがない」世界がまっている。完全に広大無限な平たい大地があり、太陽は常に真上にある。すると方角が定まらない。どちらに進んでいけばいいのかわからないと、人はとても孤独になり、怖れをいだく。

そんな時は瞑想をするといい。意識を宇宙に飛ばすことで、現実を生きる人間がどうしても宿してしまう孤独感がうみだす毒気を吐き出すことができる。