気が強い、潔癖すぎる、正義感が強すぎる、であるが故に大切なものを傷つけ、壊してしまう。そんな人生を歩んできたのなら、自分に寛容になる努力をしましょう。あなたの強さは、いつかきっと人を守り、力づけ、育てる。そのようにして活かされる日がくると信じましょう。日々の自分を否定せず、長い目で未来をみつめ、時がくればきっとわかる日がくると信じましょう。気づくにせよ、わかるにせよ、時があるということを知りましょう。いますぐすべて決着をつけられない時期も、人生にはあるものです。
月別: 2014年1月
自分に厳しく、人に優しく
自分に厳しい人は、人に優しくできるのだとすると。
人に優しくなれないのは、自分に厳しすぎるのかもしれませんね。そんな時は、自分に少し優しく。なにごとも加減が大事というお話でした。
妖精と交信する人々
妖精がみえる、わかる、交信している、話ができる、という人達がいます。特別な感受性の回路が発達していて、他の人にはなにもみえない、感じられないとしても、彼らには「本当にそこにそれらは存在している」のです。
私達の社会がそれを認めない、受け入れることができないので、彼らの居場所がありません。でも、他人を傷つけたり、迷惑をかけないのなら、そうっとしておいてあげたい。せめて追い詰めたり、社会から排除してしまわないようにしたい。
どんな感性をもっていても、もっとおおらかに皆が支えあって暮らしていける世の中になってほしいと思います。人がみえないものが見える者の一人として、切に願っています。
絶望と向き合う
カウンセリングそのものを学びにきてくださっている方も多くいらっしゃいますが、講座で学んでいただけることと、そうでないことがある。実際に、面とむかって人の悩みを聞いていくことでしか磨かれないことが多々あるものです。
絶望的な気持ちを抱えてご相談にみえる方がいらっしゃいます。そんな時にどうすればいいのか。その答えはありません。一人ひとりの人生は皆違うのですし、その悩みもその時一度きりもの。どんなにたくさん学んでも準備をしても、その人の為になるかどうかわからない。人間として、その場で最善を尽くす以外にありません。
人生はどの人のどんな場面でも、輝いている瞬間があるのです。絶望して、すべてをあきらめたいという気持ちに浸っていても、その方が流す涙は美しいのです。本人は、進退窮まり、もはや希望はないのだと、どん底に沈んでいるとしても。こうすればきっと大丈夫だという活路を知っている存在が、必ず世の中にはいるのです。もし、ご縁があって私がその場面に居合わせたのなら、ご本人の為に神様がきっと素晴らしい智慧を貸してくださるに違いない。
ひたすらそう信じて毎日、絶望という二文字と向き合い続けています。
カウンセリングのご感想をいただいて改めてカウンセラーの資質について考えてみました
先日、カウンセリングを受けられたNさんからご感想メールをいただきました。
帰りに、どうして職場のお世話ずきの女性の存在がわかったんだろう?とか、会ったこともないのに、うちの家族のことがわかるのか…改めて不思議な気持ちで帰路につきました。
そういえば自分でもすっかり普通に話してしまっていて、あらためて不思議だと言われてみて、ごもっともと感じました。
こういったようなことは、霊感があるからわかるのではなく、練習してわかるようになったのです。霊感は「霊界と通信する」時に必要なので、これは資質が必要だと思います。それにくわえて、かなり厳しい修行が必須です。けれど、人の心を読むということであれば霊感は不要ですし、特別な資質は必要ありません。健康でさえあれば*、誰でもわかるようになります。その為のメソッドも確立できています。自分でもカウンセリングができるようになりたい、というかたがたくさん勉強にこられていますが、皆さんかなり人の心を読み取れるようになっていかれます。基礎的な感受性がみにつけば、あとは数を重ねていくと、かなりリアルにわかるようになっていきます。結局、よいカウンセラーになるには、経験にまさるものはないのかもしれません。
*健康であることが必須ではありませんが、体に不調があるのに人の心を読むトレーニングをするのはさらに体に負担をかけることになり、お勧めはしません。
とある「ココロ」との対話
なぜ笑うの?
ー そうするしかないから
笑わなくても、ふつうでいいじゃない
ー でも普通だと、いけない気がするから
どうしていけない気がするの?
ー 悪い雰囲気になったら、いけないから。
悪い雰囲気になったらいけないの?
ー それは嫌だから
どうして?
ー わかんない、ただ嫌だから
だから笑うの?
ー そう。そうしていれば、大丈夫な気がするから。
で、それで結局、ほんとうにいつも大丈夫なのかな?
ー それはわからない。まだそんなに生きてないから。
※つづく…かもしれない
聖なる道(無償の愛:その3)
与える、ということは実にむずかしい。現実の私達は、霞を食って生きることができない。与えてしまうと干からびてしまう。ボランティアをする暇はもとよりない。一方で、音楽活動もやりたい、仕事ももっとがんばりたい、ヒーリングも教えたい…などなど、やりたいことがどんどん増えてしまった。
結局、ものごころついた時から探し求めていた答えが見つかったようでいて、現実にその答えが「真の答えである」ことを実感する為には、実際に行ってみるよいないという現実に直面し、そこからはずっともがいている。ああでもない、こうでもない、と試行錯誤の日々。今現在も、行うことのすべてに「与えること」ができているのかどうか、が自分の内側で問われている。
どの程度できているのか?なんて、恥ずかしくて書けないが、内なる探求はこれからもずっと続くだろう。
結局、一生かかって0点かもしれないが、自分なりにやってみるしかないと思っている。
とまぁ、なにかスピリチュアルな教訓を期待なさった方には、こんなレベルのひく〜い話で申し訳ない。3日もかけて書くような話じゃあなかったですね。
聖なる道(無償の愛:その2)
チャネラーという存在について知り、是非とも一度、お目にかかってみたいと思っていた。海の向こうからやってきた外来の本やビデオをみながら、でもそんな機会はなさそうだな、と半ばあきらめてもいた。好きこそなんとやらで、情報をかき集めているうちに、個人セッションをやっている人がいるらしいと噂できいたりして、なんとか機会を模索していたのだけれど、なかなかチャンスには恵まれなかった。
一方で日常はそれどころではなく、体調のことや仕事のこと、人間関係などなど…悩みは尽きなかったし、実際には多忙を極めていたので、せいぜいが本を読んだりする程度。今という時代を考えれば本当に手にはいる情報は限られていた。仕方がないので、手にいれた本で気になるものがあれば、何度も読み返して、あいかわらず「愛とはなんなのか?」という命題を追求していた。
紆余曲折があり、自分に必要な情報は「問いかけなければ得られない」ということを知る。すでにそこに書かれてあるものは、自分に宛てたものではない。だから、どうしても腑に落ちないというか、しっくりこない。ならばいったいどうすればいいのか。求める、ということを考えはじめた。導きは求めてこそ得られるのだ、ということを感じられるようになった頃、気づけば自分はダイレクトにチャネリングによってメッセージを受け取るようになっていた。
内なる神は、問いかけに応えてくれたのだった。
そして、長年追い求めてきた答えは、実にシンプルだった。「与えなさい」だった。
聖なる道(無償の愛)
高校は幸い、志望の私立に合格できた。入学してみると、周囲は案の定、日々猛勉強する学友ばかり。あまり勉強しなかったので成績は良い学科と最低の学科とその他という状態。もともと人生は何のためにあるのか?という命題を探求したい思いが強いのに、そんな学科があるわけはない。ただ宗教の時間はとても刺激的だった。校長先生をはじめ、英語の担当はカナダからきている修道士。ミサに出席の義務はなかったが、牧師がいてチャペルがあって、かなり由緒正しいキリスト教系の学園だった。信仰に人生を捧げる人達とじかに接触をするのは初めてだったので、彼らの存在そのものが自分にとっては好奇の対象だった。聖書の時間は、牧師さんが担当。この時間はなかなか楽しかった。だが信仰ってなんだろう?という疑問ばかりわいてきて、聖書の中身はさっぱり頭にはらないのだった。
聖書では無償の愛について説かれているのかもしれないが、結局よくわからない。3年も宗教の授業をうけてわからなかったんだから、もう人の説法をきいて納得できることはなさそうだと思った。
それからしばらく愛について考えたり学んだりする機会はなかったが、やがてチャネラーという存在がいてメッセージを伝えている、という事実を知っていっきに精神世界にのめり込んだ。とどのつまり、無償の愛とは何か?その答えを知りたかったのだ。
某所にて
某所、外出先。
2つとなりのテーブルに若い男女が座っていた。男性は、淡々と自分の考えていることを話していた。いたってマジメに語っているようだった。向い合っている女性が、男性の話にしじゅう、うなづいていた。気になったのは女性の反応の仕方だ。常に笑っている。笑うといっても、愉快で楽しくてゲラゲラ笑っているのではない。男性の話題は、とてもマジメなテーマで、そしてマジメに実直に語っていた。それにたいして女性は、なぜか常に笑い声で応えている。ときおり気持ちを表現する為だろうか、「◯◯スギです〜!」と言う。まったく同じセリフを何度も言う。◯◯の言葉の中身も、よくわからないのだけれど、この女性の反応が実に不思議だった。
ただそれだけのお話でした。
でもね、とても勉強になるのです。たくさんのなるほど、を勝手に持ち帰ってきました。