師走九日の雑記

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自他共みとめる、ずぼらでだらしない性分です。ぎりぎり追い詰められないとスイッチが入らない、というのが持って生まれた悪い癖。宿題はためるし、掃除もためるし、それでいてお金は貯めない。だから体調を崩したり、自律神経が不安定になったり、パニック発作を起こして追い詰められでもしないと健康に意識を向けることもなかったことでしょう。

そんなずぼら人間ですが、なんとか日々サロンを運営していて、ちょっとは世のためにお役に立てている(かどうかはわかりませんが)のであれば、このずぼら人間でも存在する意味はあったのかな、と思えるようになった今日この頃です。

自己受容ができるようになるのに、ずいぶん年月かかってしまいました。今になって思うけれど日々の積み重ねは大事です。自分の為にできるところから始める、というのがコツじゃないでしょうか。歯磨きをちょっと丁寧にするとか。洗面台の鏡を毎日キレイに磨くとか。そんなところからはじめて継続することで少しずつ自己受容のレベルが上っていくことでしょう。

師走五日の徒然(癒しについて)

人生っていろいろあるけれど、最終的にはちゃんと帳尻が合うようになっています。でも苦しい時は、苦しいということしか感じなくなるもので、ずっと後からその意味がわかるとしても、苦しみの渦中にある人にはなんの救いにもなりません。でも、後々になって苦しかった事が糧になるもの。人生はそういうふうに最初からできています。

若い頃わからなかったことが次第に意味を成してくるもの。だから人生前半で、本当に辛く、苦しかった事が今ではものすごく糧になっています。苦しかったけれど、がんばってこれてよかったと思うことのほうが最近は多いです。

数年前までは、未来を信じるということにすごく固執していました。信じるということに力みがあった。でも今は力みがだいぶ抜けて、なんとなく信じていられる感じです。信じようとする気負いが減り、自然体で「未来は明るいんだろうな」ぐらいの感覚がいつもあります。ただ、未来は明るいということは今はさほど明るくないということなんです。この時代を俯瞰して「とても明るい時代だ」という人はいないでしょう。右をみても左をみても、とりあえず目を覆いたいことや、できれば消えてなくなって欲しいこと、過ぎ去って欲しいことのほうが多い。実際には素敵なこと、楽しいこと、希望に満ちた出来事だってそれなりにあるものです。どちらに目を向けるのか、自分の選択にかかってきているんだと思います。

良い方向で考えるのか、負の連鎖に落ちていくのか。

どちらでもよいとしたら、どうするのか?

ひとつひとつの選択の積み重ねで人生はできています。私たちの体は膨大な数の細胞でつくられているのと同じです。少しぐらいダメな細胞があっても、良い細胞が多ければ悪い細胞は淘汰されるでしょう。多少の失敗や挫折があっても、日々、良い選択をし続けていれば最終的には、良い人生だったと思えて終われるのではないでしょうか。

日々の選択が良いものであれば最終的にその人の人生の苦悩は、その終わりの日にすべて癒やされるでしょう。

師走一日の雑記

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二十四節気はとうとう大寒。ということは次は立春。大地の底ではもうすぐ春の息吹が目覚めようとしている。その直前の時期となりました。心身共に古い殻を脱ぎ捨てて、新しい1年のサイクルにはいる準備を整えておきたいものです。

今年(西洋暦でいうところの)に入ってから、立て続けにあやしい夢を見続けています。夢のなかでもいろいろ試行錯誤をすることがあって、そういう場合はほとんど「夢の内容」を覚えています。私のように人様のことをいろいろと読み取ることができる人間というのは、えてして自分の事だけはさっぱりわからないものなのです。なので、人様にたいしては偉そうなことをたとえ言えたとしても(実際はあまり偉そうには言ってないと思いますが)、自分のことはさっぱりわからないので、しょうもない質問や相談を信頼できる方にすることだってあります。人間、誰しも舞台裏なんて似たようなものです。ただ、夢は自分の潜在意識がみせるものなので、夢を通して自分を客観的に理解することができます。なので夢だけが私にとって唯一、貴重な自分自身の鏡といっていい重要な情報源だったりします。ただ夢はコントロールできないのであまり役にたったことはありませんでした。

ところが。数日前に、とうとう見てしまった…と思う夢がありました。それは夢というよりぎりぎり覚醒している状態にかなり近い、いわゆる夢うつつ、という意識状態だったらしく、明晰に覚えているのです。その夢のなかで自分の未来を読み取っていたんです。目覚めている時だったらけして見ようとはしないし、見たくもない未来ですが、なにぶんほぼ夢の中なのでブレーキもかかるはずもなく、わかりそうだな、よし調べてしまえ…といった具合で案外調子よくぽんぽんとある出来事の年齢がわかってしまった。もっとも実際にその時がくるまで合っているかどうか確かめようもないのですけれどね。

ただ、未来の大きなイベント(出来事)の時期がわかったことによって(一応、それが確定された未来だとして)、ちょっと気落ちが楽になった部分があります。それは自分でもとても不思議な感覚でした。死期がわかると、人間ってこういう気分になるものか、と。まぁ伏線はあったのですけれどね。というのは、終末医療に関わるどなたかが書いた記事を読みまして、死期が近い病人にたいして「あなたはまもなく死ぬんですよ」とはっきり伝えたほうが、安らかに亡くなっていくというような内容でした。死後の世界というのは基本的には平安な世界が広がっているのです。元来、私たちはそういう世界から「一時的」にこの世界にやってきているわけで、死が確定した瞬間に安堵する、というのはおそらく魂が元きた世界を覚えているからなのでしょう。

というわけで、私もあの世に帰る時期が確定したわけで、それまで指折り数えていればいいことになりました。何年、何月までわかってしまいました。私のことなので、新月のあたりになるんでしょう。というわけでほぼ日にちが特定できてしまいますね。

今日まで、人の過去を掘り下げることに打ち込んできました。過去を読み解くことは、すなわち現在の不調和の原因を探ることでもあり、とても意味のあることでした。これからは現在から未来への流れを読み解いていくことになるでしょう。また一から修行しはじめることになるわけですが、日々取り組む命題があって、有り難いことだなと思います。新たな形で皆さんのお力になれるよう努力目標ができましたから。

※本日から旧暦では師走(12月)。新たな新月のサイクルです。

癒えるには時がある

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長くヒーリングとカウンセリングを行っていて、最近では過去数十年にも渡る心の抑圧を解放するような取り組みができるようになってきました。そこに至るには、長い時間のカウンセリングのみならず、レイキの技法を用いながら独自のアプローチでヒーリングを行い、ご本人にも自主的にいろいろな取組みをしてもらうことで、最終的には自然に癒えていきます。

心は目にみえないものですが、感覚を磨いてくると手にとるようにわかるようになります。が、癒しには段階がありますのでけして急かすことはできない。だから、一律これこれこういう技法で何回のヒーリング(あるいはカウンセリング)で、過去のトラウマは確実に治りますよ、という言い方はけしてできません。その人の内面から自然に解放が起きていくものなので、その時々のタイミングにあわせた最適な取り組み方を提供していくだけです。

こういう自分の仕事をふと「樹医」さんのようだな、と感じることがあります。弱った樹木の土壌や環境を変えたりしながら自然に回復するのを何年もかけて待つように、人の人生には大きな流れがあり、そこから枝葉末節に細かく分岐していきます。でも大局を見ていないと、癒える力をうまく引き出すことができないことでしょう。

これまでたくさんの癒しの技法を垣間見たり学んでみたりしてきました。がいずれも断片的なもので、大局的にその人のあり方を根っこから治癒させる方向付けをもったセラピーに出会ったことがありません。おそらく、ひとつの技術だけでは無理なのでしょう。幾つものアプローチと技術とを駆使しながら、あとはタイミングを見計らってヒーリングを行ったりしていくと良い結果が自ずと導きだされます。

タイミングは宇宙との共鳴もありますので暦を星の運行の影響も考えながら読み取るようにしています。そうしていくなかで、人生では起こるべくして様々な出来事があるのですが、それらひとつひとつの答えを導きだしながら、過去の癒しにも取り組んでいく。

人生は過去からの流れが未来につながっていきます。未来をより上向いた方向にシフトさせたい場合は、過去からの悪影響を正すことも必要なんです。でも、人生には運命的に定められたイベント(出来事)も用意されているので、それを変えることはできない。けれど最善の準備をすることはできます。なにが起きるとしても最善であれば、きっと良い結果がでると思います。過去をリセットできれば、かなり人生の流れは上向いていくと思います。

私達は、日々多くの試練に向き合わざるを得ません。試練のない人生はないことでしょう。でも、向き合うべき試練と、向き合っても無意味なものもあります。過去の影響が、よく無駄な試練を引き寄せることがあるので、余計な枝葉は切り落としてしまったほうがよい。それだけでも前に進む速度が加速したりするものです。

皆さんに最善の癒しがもたらされますように、私なりに積み上げた技術と経験をすべて活かしてお手伝いさせていただければと願っています。

看取りに際して

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「看取り」を通して受け取れる糧はすごく大きいと思います。人の命は重いですから。人生を終える時、魂は数十年の人生の決算をむかえます。地上を離脱する本人にとっても、大きな節目であることは間違いないのですが、看取る側にとっても大切な時です。

私はふりかえってみると、あの世にかえった魂との関わりは多数あったし、看取りに関わる機会も人よりは多いほうだったような気がします。そして、今では看取りに関連する様々なご相談をお受けするようになりました。もとより、あの世に帰った魂との交信役としてカウンセリングの世界に足を踏み入れたわけです。でも、実際に蓋をあけてみると、ご相談者は、看取りを終えた方よりも、これから看取るという方や、まさに看取りの最中の人達が多いのです。命の炎が燃え尽きた後は新しい時が流れ始めるのですが、看取りの間というのは時間の流れが止まります。どうしてこうなってしまったのかという悔いや、受け止めきれない感情があふれ、自分を保つことが難しくなるものです。

いままで看取りに関連するご相談のなかで、多くの「昏睡状態」にある患者さんの魂と交信をさせていただきました。まだ肉体は呼吸をしているのだけれど、ほとんど意識がない、脳波も振れていないという状態の方とでもコンタクトはできます。肉体から離脱しているわけではないのだけれど、かといって体を通して意思を表示することはない状態であっても、魂はその状況のなかでなにかを感じたり考えたりしていることもあります。そんな状況でご親族ができることはすごく限られていますが、横たわっている人が「本当はどういう状態なのか」がわかると、心の整理もつきやすいようで、今できることはなんだろうか、と考えられるようになります。

私たちは生きていれば必ず近しい人達を順番に看取っていかなければなりません。そんな節目に迷った際には、どうぞご相談にいらしてください。

時には厄払いもよいものです

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物事にとらわれず、自分にたちかえる時間を大切にして欲しいと思うのですが、その為に厄払いもある意味、とても良いかと思います。時には世俗をはんれてあの世に近い時空に自らを置いてみると、ちょっとした瞑想的な感覚を味わえますので。

ついでに参拝にいかれて、不思議な体験をする人が結構いらっしゃるんですよ。

人生は思い込みでできている

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二十四節気は明日から「大寒」になるというのに、この陽気。そんな冬もあるよね。昨日まで七十二候の「水泉動」、地中では春がめざめる時期ということで、春の陽気をもとめて森のなかをぶらぶら歩きまわってみましたが、まだまだ冬まっただなか。陽気は本当に深い地中の深いところに潜んでいるといったところでしょう。この時期は体も自然の気を補うことがむずかしいので、昨年から体調がいまひとつだった方は無理をしないほうがいいでしょう。年も明けたので、新規一転がんばるぞ、などと上ずった気持ちだけで事を起こそうとしても結果はついてきません。無理は禁物です。

でも、人間は無理をしないと生きている実感を得にくい性質も持っていて、現実をしっかり生きるということと、自分なりに生きたいように生きるということが、相容れないことも多々あるものです。

自分がどれほど自分らしく生きられているのか、すごく実感できていればいいのですが、長い人生を生きていても、本当に充実感を味わえる瞬間というのは少ないと思います。充実していないからこそ、そこを目指して人はがんばるのですけれど。誰しも志(こころざし)は高く持ちたいものですが、高すぎてもかないにくく、ほどほどのところで落とし込まないといけない。その加減が本当に難しいものです。

多くの人がまだまだ人生まっただ中。現実的に、あるいは精神的に壁にぶつかることも多々あることでしょう。そんな時に、自分はついてない、煮詰まっている、もう先がみえない、そんな気持ちになるもの。けれど挫折こそがチャンスであり、未来を切り開くきっかけになり得るもの。ちょっとしたヒントがあれば、考え方も変えられるし、ピンチを切り抜ける道が見えてくるものです。

私たちは「思い込んだらそのまま突き進んでしまう」傾向があります。逆に一心にひとつのことを貫いていく、持久力というか忍耐力を求められることも多い。だからこそ、がむしゃらさも大事なのですが、壁にぶつかった時は、いさぎよく停滞してみることをおすすめします。一度、どっかりと腰を下ろし、まずは気持ちをしずめて瞑目して、時をやり過ごすのです。そうすればおのずと新しい道が開けていくものです。無理だと思っていたことが、なんとかなると思えたりします。また、思ってもいない突破口が見えてきたりもします。時を置く、というのは何事においても良い結果をもたらします。特に一年のまだはじまりに至らないこの時期には…。旧暦ではまだ11月ですからね。本当の新年まであと一ヶ月あります。

さて、今週はセンター試験があります。受験生の方や受験生をお持ちの方、体を冷やさないように。また人混みはなるべく避けて、ストレスのない日々をおくってください。最近、心身の状態がご不安な場合は合格祈願しますのでご相談ください。体に疲れがでやすく、北海道は雪害にもあいやすいこの時期に試験なんて、学生さんには優しくない社会ですね。受験日をお好みで決められるといいのに。残念ながらそうはいかないので、本人ができるだけ体調を整えていくよりありませんね。皆さんに良い結果がでますように祈っています。

カウンセリングとヒーリングのバランス

カウンセリングを受けていただいて、ほっとしたとか、楽になったとおっしゃっていただけるのはとても有り難いことなのですが。とてもお疲れの方も多く、そういう方にとって1時間とか1時間半ぐらいの時間、お話を伺いながら様々なアドバイスをしてあげて、本当にどれだけ楽になるのか、というのは個人差がありますが、人生の大問題に遭遇しているような方の場合はカウンセリングだけで根底からすっかり解決というまでにはなかなか至りません。

昨年はヒーリングに集中的に取り組んできまして、必要なだけ回を重ねて通っていただいた方が何人もいらっしゃいます。様々な問題がかなり改善したり、ほぼ解決した方もいます。やはり、ヒーリングを通してバランスを改善し、前進する力を補っていくと人生そのものが好転するのは間違いないとわかりました。

ただ、本当の個々の状況は様々でそれぞれの問題があり、すべてがヒーリングで改善するかどうかは未知です。でも限りなくパーソナルな問題であればあるほど改善しやすく、関係性が複雑であればあるほど改善できる場合と、さほど効果がでない場合とがあるかと思います。

どれぐらい問題が改善するか、ある程度は予見できるので、一度尋ねてみてください。「レイキヒーリングを受けることによって自分の問題はどの程度、改善するのかどうか」と。特にカウンセリングに二度、三度と通ってくださる方はそろそろ一度、体験だけでも結構なので受けてみてはいかがでしょうか。

レイキの未来とか、これからの時代のこととか

こういうものは無償で誰でも受けられるようにするのがいいのだろうと、実現できそうにないことをいつも思い描いています。でもいつか無償で誰でも必要な時にレイキで手当てが受けられるようになれば、みんな元気になるだろうなと思うのです。誰も上に立つこともなくなるし、お互いがお互いに愛を与え合えることを感じ合っていられるんじゃないか。

自分にはできそうにない、と感じている方がきっと多いのだろうと感じます。私自身も、ヒーリングができたらいいだろうけれどそんな資質はないだろうとずっと思っていたので、今こうしてそれなりにヒーリングができていて、結果もでている状況になってみて、改めてどうしていけばいいのか考えています。あまり偉そうに教えたくはないので、どうにかして誰でもできるんだということを知っていただきたい。できれば自分の存在感は消していきたい。目立ちたくない。少なくともレイキの世界で貢献した者として名を残したくない。そういう期待もされずにひっそりと消えて終わりたい。自分が一番、という目標はまったく持っていないので、追い越そうという方がいたら是非そうしていただきたい。というか、誰でも追いつけるんですけどね。だって本当はレイキによる手当てって、誰でもできるんですから。今はたしかにトレーニングを受けないと非常に難しい。ただ、真実ってすごくシンプルで、蓋をあければきっと、なんだそうかと思うようにできています。人間が会得できるようなものなんだから、自然発生的に未来の誰かができるようになっていって、そんな人が次第に増えていったら、こんな役目は不要になります。私が生きているうちはそこまで時代は変わらないだろうけれど、いつか遠い未来にそうなっていくといいな。その為にできるだけ広げておきたい。

昨年はヒーリングをしっかり取り組んできた結果がでています。今年もそれを継続しつつ、次世代の指導者をたくさん育てていこうと思っています。

なぜ今更、目立ちたくないと主張するのかというと。以前からひっそり思っていたことで別に今更おじけづいたわけではないんです。人がわからないことがわかる、ということだけで随分迫害されてきたんです。魔女狩りのような目にも遭い、とても傷ついた経験を通して、人は「自分達が感知できないことを知っている人間を怖れ、追い払おうとする」ものだとわかっています。日常的に、怖れと、感知しないで欲しいという意識を周囲から持たれていることを感じることがたくさんあります。だから私には友達がほとんどいない。私の能力に気づいた人達はそれ以前と態度を変えますから。それが人間の性質なので、当然だし、仕方のないことです。私だってもし自分の目の前にいる人が「自分は知らない自分のことをこの人は知っている」と思ったら、そりゃ落ち着かないですから。正直、なんでもかんでもわかってしまうと、本当に生きているのが難しい事になりそうなので、自分の能力開発も過去はともかく、未来のことはあまり見ないというか、わかるようになりたくないと願い、セーブしているというのが本音です。それでも北海道の皆さんのお役に立てるという意味では、おそらくもう十分に詳しく過去も未来も見通してアドバイスできています。これ以上はもうわかるようにならないで済ませたいものです。

やがていつの日か(それがどのぐらいの未来なのかまだわかりませんけれど)人は、言葉を超越してお互いの心を感知しあうまでに潜在能力を開花させるでしょう。あの世の存在も証明され、霊的な世界との通信なんて別に珍しいことでもなんでもなくなるだろうし、運命が定めなのか、ゆらぎなのか、自由なのか、という命題にも物理学者が答えをだしてノーベル賞をとるまでになります。人間の魂の実体が精神と肉体に与える影響が解明され、肉体が「実体ではなく虚像だった」ということも証明され、スピリチュアルはオカルトから理論になり、人類はこの次元を超越して次のステップに進化するでしょう。過去の記録も特殊な能力を必要とせず、誰でも必要なだけ取り出して知ることができ、そうなればもはや「カルマ」は概念ではなく、調整可能なエネルギーの変動でしかなくなります。当然、宗教はすべて不要になり、人々は自分がなぜこの世界に「虚像」として生を受けているのか、真実を理解できるようになります。自分が自身の過去も現在も未来の流れも知っている、唯一の権威者になることができれば、もはやお互いに虚勢をはることも、疑心暗鬼になることもなくなります。完全に自分の本質と一体になれるわけですから。

少なくとも過去数百年で人の精神性はものすごく進化しています。これからの数百年で爆発的に進化を遂げるはずですが、その為におおくの失敗を重ねて試行錯誤を繰り返していくでしょう。学びの為に必要な失敗という糧は、ときにとても大きな代償となり現実の私たちを抑圧するかもしれません。それでも過去から未来への流れは止められず、私たちはいやおうなく進化の激流へと巻き込まれていくと思います。

かなり脱線してしまいましたが…。要するにいつか必ず霊能者なんて特別な存在でもなんでもなくなり、私は他の誰とも変わらない平凡で地味で目立たない存在になります。早くそうなって欲しいなぁと切に願うのですが。おそらくそれは数世紀、いやもっと先?のことだと思うので。今回の人生では無理でしょう。わかっているのですが、一年、年を取ったせいで焦りがでたのか、なんとなく書きなぐってしまいました。

さて、今年はもう少し目立つことになるかな?(といっても去年よりちょっと仕事がんばる程度に。) ま、自分の運命受け入れていますのでどうぞお気兼ねなく!

2014年(昨年)の反省と2015年(今年)の抱負(のようなもの)

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年のはじめなので、ちょっとかっこいい事を書いてみようと思ったけれどなにも浮かんでこないので、だらだらと昨年の総括と今年の豊富などを地味に綴ってみます。

私は元来があまり計画性のない人間なのですが、最近はとにかく歳を感じるので、仕事以外に最も時間を割くのは体調管理なんです。人の健康についてアドバイスをする立場でもあり、自分の体調ぐらいちゃんと維持できなければ示しがつきません。一昨年があまり良くなかったので、その反省もあって昨年はなんとか順調に体の状態は維持できたように思います。今年はこのペースを維持しつつ、精神面の安定を更にはかっていこうという感じです。

体力、集中力は限られてきていますが一昨年は限界ばかり気にしてかえってとらわれて過ぎていたようにも思います。どうせ行き当たりばったりなんだから、限界は気にしないで一瞬一瞬にもっと集中したほうが結果を出せるかもしれない。そういう考え方に昨年後半から少し変わってきました。瞑想の方法を改めて見なおして短時間で効率よく取り組めるようになったのは大きかった。まだ完璧ではないので、更に瞑想を深めていけばもう一段、集中力を向上できそうな気がします。

自分の能力を磨くとか、向上させていくという点ではまだまだ皆さんに負ける気がしないので、多分今年もそれなりに進化成長し、その成果を皆さんの為に役立てていけるでしょう。サロンも14年目だし、せっかくここまでやってきたのだから当分は続けていこうと思うし、まだ裾野を広げるというかより多くの方とのつながりを持てるようになりたいと願っています。

ただ、私はとても地味でおとなしくて小心者なので、皆さんの上に立ちたいとは思っていません。以前はちょっとは野心もあったのですがこの頃はそんな時代もあったかな?と遠い目。しかしながらセッションやセミナーでは断定口調が多くて自信家のフリもするのですが、あれは皆さんの為の演技のようなもの。内心ではドキドキしながら話しているのですが信じてもらえるでしょうか。子供からお年寄りまで、小さな人から大きな人まで(いろいろな意味で)幅広く対応できるような資質を磨きつつ、これからも北海道の為に、日本の為に、地球の為に前進していきます。

というわけで2015年は出だしから地味な感じですが、本当に地道に堅実に進んでいく一年にしたいと思っているのでよろしくお願いします。