またグリーンを枯らして思ったこと

サロンにこられた方に「グリーンを育てるのがお上手なんですね」とほめていただけることがありますが、そんなことはありません!(謙遜ではなく)。かなり枯らしています。先月も無理かなあと思っていた小さなグリーンがやはりだめで、縁がなかったとはいえ供養してあげたい気持ちになりました。
タイトルに「枯らした」と書きましたが、実際には「自然に枯れた」のであって「枯らした」のとはちょっと違います。責任放棄ではなく、それもこれも成り行きなんでしょう。

「(自然に)枯れた」このグリーンとは最初からなにか相性が悪かった気がします。水をやれば「この水じゃない!」と言い、場所をかえれば「ここじゃない日当たりがいい!}と言い、なんとも反発の多い奴だった。そんなあいついに、どこかしら「枯れてしまえ!」というなかば怒りのような意識を持ってしまった気がします。自然に私の心に宿った敵対心のようなものが奴には毒になったのでしょうね。

時に私たちは納得できない行動をとる存在にたいして「怒りのようなもの」を感じます。実際にはそれは反発心だったり違和感といった感覚でしょう。人間の感情はけっこう大雑把なのでどんな感情でも蓄積すると、たいてい「怒りのようなもの」になります。そうなると毒性も増すので、小さな鉢のグリーンはひとたまりもありません。

世の中には「存在しないほうがいいのでは?」と思われるものがたくさんあります。しかしそれを消滅させようとすると相当なエネルギーが必要になり、自分が消耗してしまう結果になりかねません。自分の内面においても同様で、悪癖や弱点を消そうとすると「消すための苦労」ばかりになって本末転倒になりかねません。コンプレックスもそうですしトラウマもそうかもしれません。それを消すというのは可能だとしても大変なことです。自分のことならまだしも、外側の世界になるとどんなに力を注いでもまったく歯がたたない事も。

邪悪なものは攻撃したとしてもかえって成長してしまいます。ウィルスが耐性を身につけてしまうと抗生物質が効かなくなるのと同様に…。存在しないほうがいいと思っても、それを叩けば叩くほどかえって増強するものです。

そこで自分にとって存在しないほうがよいと感じる対象にむける意識を手放してしまうと、そこからくる「怒りのようなもの」もやがて消えます。もはや毒を吐くこともなくなります。そうすることで自然にその対象は消滅していくでしょう。

結局、グリーンが枯れたのは私が愛情を注がなくなったからです。その結果、自然に枯れたのです。

それにしてもこの世にはびこる「存在しないほうがよいものたち」に対して、とらわれもせず意識も向けないようにするなんて、とてもできそうにありませんけどね。できるだけ要らないグリーンは枯れゆくことをなすがままに放置しておきたいと思います。