戦争

ゲーム業界の思い出はつきないが、こんなことがあった。
あるとき「戦争」を題材にしたプロジェクトを担当した。担当者のひとりがプロジェクト開始早々、辞退したいといいだした。よくきけば「自分の信念として、こういう題材に正面から取り組めない」ということだった。いろいろと言いたい気持ちもあったが、やむを得ず担当者を交代させた。ほどなく、その担当者は違う世界へと住処を変えてしまった。住む世界が違ったとでも感じたのだろう。

戦争を題材にしている、といっても小さな画面のなかで稚拙なキャラクターが動いているだけのことだ。たいしたことではない、と普通は考える。だが、人によっては信条の問題であり、ひいては自分の人生のプライドの問題にもなりえるのだろう。

自分は、といえば…いい商品を作ることしか考えていなかったので、題材が平和であろうと戦争であろうと、与えられたチャンスをひたすら活かしていこうとしか思っていなかった。今でも根底に人類愛や平和への祈りがこめられていれば、映像やストーリーそのものが悲惨でも、多少暴力的であっても、程度によっては受け入れるかなと思う。

少し前に「パッション」という映画が封切られて話題になった。メル・ギブソンが描いたキリストの最後というだけあって、非常に血生臭い映像だった。キリストを題材にしていながら、なぜそこまで血がほとばしる映像が必要だったのか定かではない。他にあのような映画が撮れるのは北野武監督ぐらいではないだろうか。そういったことも表現者としての個性といえるだろう。映画は作品であり、ひとつの芸術だ。ゲームも自分にとっては芸術であり、創造の産物だった。自由に思い描き、そこに伝えたいメッセージをこめてつくりあげていく。制作過程は大変だが、創り上げたものを多くのひとに受け止めてもらえた時、そしてその人達から賞賛を得られた時、その達成感はほんとうに素晴らしいものがある。アートを表現する者としてはオーディエンスの賞賛は神の祝辞に等しい。魂が癒され、ひかり輝くようにすら感じる。生きていてよかったとすら思ったものです。

昔、よくプレイしましたよ…と言われるとほんとうな天にのぼるほど嬉しいのだが、あまり顔にださないようにしているつもり、ではある。とにかく年月が経ちましたから…。年をとると照れ隠しがうまくできなくなるのです。

◇人気記事: