大地とのつながり

さきの記事では大地とのつながり(Grounding)の大切さについて考えていたのに、おもいきり脱線してしまったので、改めて。

Groundingを考える時に、それがあらゆる領域にわたって地上で生きることの根幹につながっている。すべての要素につながっている、とすれば。

とくに見えない世界、エネルギーの領域でものをみたり、考えたり、判断したりする場合、どれだけGroundingできているかが非常に重要です。物質主義の世界で生きるなら、それはそのまま物質と接していればよいのですから簡単。日々、食べるものを得て、暮らす為にたくさんの仕事をこなすしかない古来の先住民族のような暮らしを続ける分には、私達は誰しもがネイティブな感覚を失うことはなかったでしょう。見えるもの、触れられるもの、それで満足できる暮らしがありましたから。

でも、今は文明が進み、精神的な文化が無数に生まれ、良し悪しは別にしてたくさんのエネルギーを使えます。楽に暮らせると人は余計なことをあれこれ考えるようになり、空回りもする。今の時代は新しい概念が必要で、かつてないほど新しい「生きる意味探し」をしなければならない時代です。自然に、自分とはなにか、姿形のない本質の世界に存在する本当の自分の姿を追い求めるようになります。そこがスピリチュアルリズムのスタート地点。この時代、誰しもが自分探しをし始めているのだと思います。

でも、残念ながら私達の思考回路は「肉体」のなかに完全に融合していますので、それを切り離すことはできない。でも、切り離さないことには、自分の本質を取り戻せない。そこで瞑想が必要になるわけです。いわば生きていながらにして、死ぬ。死んでいれば物質の世界から切り離されます。けして幽体離脱をすすめているのではありませんが、幽体とはなにか、肉体から離脱するとはどういうことか、という定義もスピリチュアルな世界では、とても重要なテーマのひとつです。でも、こういった議論も含めて、所詮は肉体というこの世の現実にとらわれた意識が生み出すもの。さほど発展的だとは思いません。そういう議論よりも、どうすればよい瞑想ができるか、その方法論を見つけ、実践することです。議論なんかどうでもよく、仮説もいらない。効果的な実践方法があればそれでOKです。遠回りする必要はないのですから。

しかしながら、なにを切り離すべきなのか。切り離したところで、なにも感じなければそれもまた意味がない(なにも感じないのは、単に爆睡しているからでしょう)。瞑想をしたとして、そのなかに「なにかを見いだせなければ意味がない」ことも事実。そうすると、死んでしまってもいけないのです。

瞑想にも無限の段階があります。この世のあらゆる波長のエネルギーの呪縛をひとつひとつ、解き放していく作業です。その為には、いったい自分がどんなみえない糸に影響されているのかを自覚する必要があります。その感覚を磨くのがGroundingです。あらゆるこの世のとらわれごとを、まずは自覚する。それに向きあう。その次に「切り離すことを学ぶ」のです。もちろん、安全に接地できることが前提です。たかくジャンプするには、ジャンプする力よりも、安全にケガをしないように着地できることのほうがずっと重要だということです。

接地力が足りない人に、レベルの高い瞑想を教えるのはルール違反。命綱をつけずに、高い山に登らせるガイドはいません。ガイドは徹底して安全を重視します。瞑想(自分探し、人生の目的探し、日々の選択にブレのない生き方を見いだす)を学ぶ人は、徹底的にGroundingを教える人を選んでください。登山と同じく、事故にあってからでは遅いので。

◇人気記事: