手紙

手紙を書いたのは今年はこれが初めて。そして最後になりました。昨年もとても少ないけれど手紙をなん通か書いた。時にそれは言霊として、祈りのメッセージとして、人生のアドバイス、魂の由来、どうしても知らされなければいけなかった運命的なこと、人それぞれの為にまったく違う形式、ページ数で書いてきました。昨年ぐらいから定例メニューにはもちろん、特別メニューにすら登場しなくなった手紙。ひとつには後継者が育ってきたことがある。その人達が活躍していってくれればそれでいいと思っている。神様からの特別な贈り物としてこの才能を授かる人は稀だけれど確実にいる。きっと誰もが一生に一度ぐらいは受け取りたいはずだ。需要は無限にある。だから才能を授かった人はそのギフトを大切に磨き上げて世の中の人の為に役立てて欲しいのだが。そこから先は本人の人生の問題。外野がとやかくいうことではないし、いくらスピリチュアルが定着したからといって単に趣味や興味でかかわるのならまだしも「霊界の従事者になる」のは家族にとっては大問題なのだから。
2005年ぐらいまでは音楽もたくさん作ったし、手紙も本当にたくさん書いた。それでよく徹夜をしたものだ。いったん書き出したらもはや中断はできず、最後まで書き上げるしかない。水ものまず休息もとらずひたすらキーを打つ。何時間も同じ姿勢でいるのでひどく肩がはる。やっと書き上げても長い手紙の校正はさらに時間がかかる。無心で打っていると、ところどころ日本語になっていないことがある。伝えようとするエネルギーと、それを日本語におきかえる翻訳機能がバランスしていない。もっと作文をがんばっておくんだった。自分の日本語能力の低さがうらめしい。そういえば中学の時、同窓生に作文のうまい女子がいた。読書作文コンクールでいつも入選するような才女だった。彼女の作文のテーマは量子力学に感する本だった。中学1年で量子力学の本を読むなんてどうかしてる。でも、とてもわかりやすい美しい作文を書く人だった。大人になってから同窓会で再会したらどこだったか誰でも知っている有名な大学の先生になっていてびっくりしたが、納得。おっと脱線しすぎ。

とにかく今は作文は残念ながら腕を磨く暇がない。でも、どうしても必要にせまられることもあるから、本当に限られた場面でだけ手紙を書くことにしている。もちろんそんなメニューを今は提供できないので申し込みがあっても受け付けられないのは自分でも悔しい。だからせめて、同じ才能をもった人がその能力を磨きたいと願ってくださるのなら、とことんお手伝いしたいと思う。時はどんどん流れていく。自分にできることはとても限られている。焦りは禁物と思うけれど、必要な人が無数にいて、提供できる人の準備がまだしっかり整っていない状況をみて、じっと見守っているのは正直辛い。それは単なるエゴなのだが。自分が手紙をもらって救われたから、どんなに素晴らしいものなのかをとても実感しているのだ。抗生物質がなかった頃、特効薬がないならそれであきらめもついただろう。だがすでに発見されているのなら、その薬を早くたくさんの人に届けたい、そのためにあらゆる手段を講じたいと願うのは人情ではないだろうか。人を救いたいと願う気持ちが多少、エゴとして受け取られてもそんなの自分は構わない。それで嫌われるぐらいはなんでもない。でも、とにかく結果をすぐに出していきたい、といつも強く願っている。自分が急ぎすぎなのかもしれない、と自分を自分でなだめるようにしているが…。

聖霊や天使たちはいつも私たちのそばにいる。本当にすぐそばにいる。City of Angelという映画で天使が人々のそばに現れるんだけど、ほんの目と鼻の先にいるわけです。一緒に感じたり味わったりしている。ただ肉体がないので痛みはわからない。人間のもつ情愛というものもピンとこない。それで人間に生まれ変わってしまう天使のラブストリーを描いた映画だったのですが、まさしくあんな感じ。耳元でささやきがきこえるぐらい、いつもそばにいる。私たちが信じようと信じまいと、あちらはいつでも私たちを見守っている。

2010年は今の百倍、その翌年はさらに百倍ぐらい。もっとたくさんの人が天使を感じて一緒に地球の人たちを見守っていく意識を持てるようになってほしい。いや、是非そうすべくあきらめないでがんばって活動していこうと思う。そのためには今日この瞬間、自分をなにをすべきなのか、なにが最善なのかをいつも考えている。常にベストでありたいと強く願っている。そうあり続けないととても間に合わない気がして、いてもたってもいられなくなるから・・・

ブログ、つぶやきの再開は年明けの予定です。では良い年末年始をお過しください!!

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