今日の徒然:脱力について考える(2)

今日も音楽を通して、脱力ということを考えているところです。

サロンで流しているBGMは、この十数年というものほぼ自分の演奏か、ウォンさんか、高橋全さんか、で通しています。その時々の空気を感じ分けながら、一定期間でBGMは変えています。去年はどうも自分の音楽があまり聴けなくて、というより、ちょっと違和感を感じていてずっと高橋さんの曲を使っていました。最近になって、再び自分の曲に戻ることができました。

音楽は自分にとって、波動を感じ分けるひとつの「ものさし」になっているので、あまり頻繁にBGMを変えたくない。いつもそのバイブレーションを感じ続けることで、鑑定の際にもブレが少なくなる。そう感じます。しかも一度、自分の体を通過して生まれた音楽ですから。どんなに体調や気分がゆらいでいても、やはり音楽があるから集中できる。この仕事をするうえで、まず自分は音楽家になる必要があった。その基盤があってこそ、今の自分が成立しているのは間違いないでしょう。

つい最近、ある出来事があって「弾いたことを忘れていた曲」があったのを思い出しました。それはCDに収録されることもなく、自分でも普段、聞き返すこともなく、13年も埋もれていた演奏でした。当時の録音をある方に渡してあったんです(渡してあったことを自分でもすっかり忘れていたほど)。つい先日、その曲を使いたいと連絡があり、それで思い出したのです。自分にとっては、あまり表情のない強い存在感もメッセージ性もなく、使えない曲だったので…。なにかの役にたつなら、と快諾しました。

それから、ときおり、その「表情のない」演奏を何度か聴いているうちに…。あぁとても楽な音楽だな、と感じるようになったのです。おそらく、何曲も演奏したなかの「空白」の時間があって、その時にさらっと弾いた曲だったようなのです。その1曲だけが、生まれそこねのようなどっちつかずの音楽だった。それが今になって、きいていてとっても楽だなぁと感じるのです。当時の自分にとっては、なんの意味もない音楽だったのに、迷わずボツにした曲だったのに。こうやって蘇ってくるとは。(いかにも自分らしい…と思ってしまうのですが。)

本当に時代はかわってきた。流れはかわってきた。ならば自分の中心から湧いてくる音楽もかわってきているはずです。今、演奏したら13年前にひいたその「表情のない」曲のような力の抜けた音楽がでてくるのかもしれません。脱力できるかな。いつか挑戦してみよう。あの空白の自分に戻れるかどうか。

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