感受性というみえない糸に私たちの人生は翻弄され続けること

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私が子供の頃、見えないものに取りつかれているらしい、ということに母親が気づき、それ以来、いまだに心配性な母は、毎年のように祈祷してもらった御札を年末になると送ってよこすのです。ありがたく受け取るけれど、もう子供じゃないから心配はいらないよ、と心のなかで思っています。

そうやって周囲が必死でお祓いをして私は守ってもらえたのかもしれません。見えない存在はとても怖いのだ、ということを教えてもらえたことは、安全に日々を生きる為には必要だったと実感しています。そういう環境で育ててもらえなかったら、おそらく私は過去に何度か遭遇した危機一髪の事故で、すでに生きてはいなかったことでしょう。

見えないものが私たちの安全をおびやかすことがあります。そういうことは本来はあってはならないのだけれど、いろんな理由が積み重なって死ななくてもいい人が死んでしまう。そういうこともあります。

どんな些細なネガティブなエネルギーでも、蓄積すると巨大な力になり得る。そうなると、もうどうしようもなくなってしまう。だから、小さな芽のうちに積んでしまうことが大事なんです。

かつては神事というものが災いを遠ざけてくれるものと信じられ、季節ごとに実践されていました。今の私たちはその習慣をまったく失ってしまいました。残っているとしても、もはやそれらはかつてのように災いを祓うだけのパワーをもたない、形だけの儀礼でしかありません。

日々の安全と、未来の発展を願うのなら、これからの時代にふさわしい神事=悪いものを祓う為のパワフルなそれ、を創造していく必要があるような気がします。それなら私にもなにかできるような気がします。

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