与えることの罪悪

海外でボランティア活動をしている人にお会いした時に、日本の中にいて見えるものと、現地で見える風景はまったく違う、という話題になってなるほど、と思いました。日本の私たちがよかれと思って提供している物資が、必ずしも現地で有効に利用されていないというのです。本当はもっと必要なものがある、ともその方はおっしゃっておられた。やはり、現地にでむき、そこに暮らしている人達の日常をしっかり見極めなければ本当に彼らに必要なものを与えることは難しいのかもしれません。

困っている人がいる。わんさか支援物資が届けられる。行き場のない物資が整理されず山積みになっていく。そういう情景は、今の日本人の私たちの心の在り方のようにも思えるのです。

私は日本人はとても優しい民族だと感じています。お互いを思いやる心配りにとても長けている。時にお互いの足をひっぱることもあるかもしれないけれど、誰だって一長一短はあるもの。おしなべて他者を救いたいという意識が強い人達が集まっている国だと思う。そんな私たちの国はこれからどこへ向っていけばいいのか。国境を越えて、もう少し踏み込んだ海の向こう側に視点をおいて考えてみる時期が来ているのではないか。

もし、本当になにかを与えたいというのならば、受けとってもらえるもの、しっかりと糧にしてもらえるも形に変えてから届けるべきでしょう。手元にたくさんあまっているから、それをそのまま与えても、なんの役にもたたないばかりかゴミになってしまっては元もこもないし、かえって環境を悪化させるかもしれません。お互いをささえあうには、その前に十分に与えられる側と、受けとる側の落差を埋める作業が必用になります。掛け橋になれる組織や仕組みがなければ、力をあましている人がどんなにたくさんあっても、生かされることがありません。そこを無視してエネルギーを放出すれば、それはかえって災いを呼び寄せることになるでしょう。善意が悪になる。これはとても残念な図式ですが、そのことに気付かない善意もあるようです。しかし、悪を働けば因縁となって必ずマイナスのエネルギーが自分に戻ってきてしまう。それがこの世のエネルギー不変の法則のようなものです。そうやって気付き、やりかたを変えていくのです。失敗をしたり、人間関係がこじれてしまったり。さまざまなネガティブな側面が自分にふりかかってくる。そのなかで気付き、成長していけるわけです。

日本にはたくさん諸外国に与えられる知恵や精神があります。でも、先を急いではいけないと思います。確実に、そして地道に準備をし、誰でもが受けとれるようなシンプルで役にたつものに形を変えていく工夫がもっともっと必用なんです。その点、DSはすばらしい発明だと思いますし日本には日本人らしい、そして世界に貢献できるたくさんの発明や知恵があります。また、与えようとする一方でたくさんのエネルギーを消費している日本としては、節約を考えていかなければならないし、優先的にエネルギーを消費している国家としての責任を果たしていくべきでしょう。与えようとする前に、必要以上に奪わない事もしっかり意識できるようにならなければいけませんね。

アイヌは必用最小限にしか自然からの糧を採取しませんでした。得た獲物があれば丁重に神々に感謝の祈りを捧げ、うやうやしくいただいてくる。私たちが見習うべき考え方がそこにあるように思います。

必要なものを必要なだけ得る。でも、なぜかそれだけでは満たされず過剰な消費に走るのが人の心の弱さです。まずはそこをなんとか乗り越えなければならないのでしょう。難しいですね。目に見える物質がいくらあっても、目に見えないものでできている心を満たすには不十分でしょう。相手の心が欲しい形にエネルギーを変えていく。心の世界においても、与える者と受けとる側の落差を埋める役割が重要になっていくことでしょう。それはカウンセラーやセラピストの役目というよりフィクサーという役割に相当するのではないか、と考えているところです。

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