大切な人の愛しかた。

意外に思うこと。日本人はずいぶん横柄な民族なのかもしれない。特に大切な人に対しての思いやりの表わしかたが下手な人が多いように思うのです。恋に落ちた女性から、どうすればもっと仲良くなれるか、幸せになれるか、とストレートに相談された時に非常に新鮮でした。大切な人を思う気持ちは皆、同じなのかもしれないけれど、こんなふうにはっきり具体的な方法を模索している人にはあまり出会ってこなかったんです。おそらく運命鑑定や恋占いが専門であれば、そんな相談がもっぱらなのでしょうけれど。前世をみたりしている立場としては、恋の成就についてや、夫婦仲がもっと向上するようなアドバイスをするのは比率は多くはないので、やはり新鮮味を感じますね。

男性がそういった事にあまり積極的でないのは、日本人らしいかもしれない。けれど、女性がもっと積極的になってもいいのではないかなぁとも感じます。もっとも、それはやはり自分の立場、視点でそうみえているだけなのでしょう。

男と女のかみ合い具合、すれ違い具合、100組のカップルがあれば百通りです。それぞれに見合ったアドバイスを心がけています。

また、女性がもっと女性らしくなることに加えて、男性がもっと女性に対する心配りをどう表わしたらいいか、模索したり考えてみたりして欲しい。その事もまたできるだけ応援していければいいなと思うのです。もっと恋愛のご依頼が増えるといいんですが…。男性は自分の運勢を人に見てもらうのはあまり好まない傾向が強いようです。恋愛に関しては特にそう思います。

男の虚栄心

男は見栄っ張りだ。男同士でも見栄をはる。が、相手のテリトリーは侵害しない。ところが、同性がいないとなると、異性に対してはひたすら虚栄をはる。もっとも、見栄だけでは女性を守れないので、すぐにへこたれる。

いろいろなご相談をお受けするようになって、よくわかってきた事がある。それは最終的には幅広い意味で「男と女」の話に収束するということ。私たちは生まれた瞬間に生を授かり、同時にひとつの性におしこめられて生き始める。その時点で、半分の性しかもたない。自然に残り半分を求めるようになる。宿命的に、異性をひきつけようとする。この命の性質をよく理解しておくことは、人生を充実させる為にすごく大切だと思う。

この年になって、少しずつ男性の依頼者が増えてきた。男は見栄っ張りだから、同年代の同性には相談事をする習慣はない。ひょっとしたら、メークをして男だか女だかわからない「不思議な霊能者」を演じれば、性別年代問わず、いろいろな人に来ていただけるようになるかもしれない。まぁ、しないと思うけどね(笑)

魂には性別はないが、前世のいきさつで男性面と女性面をそれぞれ学び、身につけてくるから肉体はもたずとも、性的な性質をかなりまとっている。それらな陰陽でいえば必ず両極であってアンバランスだ。転生してどちらかの性の肉体に入るので、そこでまた両極のどちらかの波動を宿すことになる。魂にも陰陽の偏りがあり、肉体もどちらかに偏っていて、これらの宿命的な偏りをうまくコントロールして私たちは生きていかなければならない。

内と外

もう節分は過ぎたが、「鬼は外」から来るのか、内にあるのかの見極めをすること。これがなかなか難しい。人生とはその為の修行でもある。が、内なる闇や業だと思って必死に取り組んでいても、外からくるものを見極められないといつまでたっても修行が終わらないということにもなりかねない。時に、「それは内にあるのか、外にあるのか」を見極めるだけの意識の余白を設けることも必用。その為に「無」になることを求めるべき。

自分の場合、「無」になる為にもっぱら瞑想をする。が、時にそれはカニだったりもする。あれに食らいつく時は間違いなく無心である。

恩返し。

この頃、やっと少しずつHPをリニューアルできるようになりました。地道にですが、少しずつ書き加えたり変更したり、新しく作ったりしています。ほとんどは過去に作って書きなぐったままにしてあった情報を整理することに追われているのですが、ひとつひとつにその時の自分の思いがこめられていて、簡単に捨てられないし、かといって古い情報をそのままにしておくのもためらわれたりして…。なかなか捨てられないのはモノでも情報でも同じです。

最近、カウンセラーやセラピストとして活躍する方が次第に増えてきて、そういった人達がご相談(というより実践的な研究会といった雰囲気になりますが)にみえると、自分の経験談を話すことも多くなってきました。必ず言及するのが、セラピストだって人間だし心の負荷には限界があって「どうしても頼れる人が必用になる」という話題です。

自分が開業した当時、いったい誰を頼っていたかというと「霊能者」を頼っていました。当時の自分よりも、より優れた能力を持っている人が身近にいたんです。わからないことがあれば、全部その人に相談していました。急ぐ時はいつでも電話やメールをしてその場で回答を受け取って、そうやって多くはない依頼をひとつひとつ必死で間違いのないようにこなしていました。手間も時間もかかるし、効率も悪かったし、クライアントさんをお待たせしたり、段取りの悪いところを見せてしまう場面もありましたが、それでも当時はそれが精一杯だったのです。ぶざまだったろうし、恥ずかしい思いもしましたがそれ以上にとにかく必死だったのです。「間違ってはいけない」という意識からくる重責はとても大きかった。霊視は自分のエゴがでてしまうと、思わぬ方向に傾いてしまう怖れがあって、とてもこわいのです。人の人生を預かるような重大な局面で間違うわけにはいきません。

ものすごい大きな緊張とプレッシャー。その連続の日々でした。それでも乗り越えられたのは、相談できる恩人があったからこそ。今でこそほとんど相談することもなくなりつつあります。

どんな仕事でも同じことだと思いますが、自分が信頼でき、敬愛できる先駆者が身近にいるかどうか…。このことは非常に大きな意味をもつのではないでしょうか。

そんな話題の多いこの頃。ひとつ、反省していることがあります。
自分があんなに「誰かを頼り切っていた時期」があったことをよく思い出すようになったら、今の自分の立場はどれだけ皆さんの為に「いざという時の駆け込み寺」になり切れているんだろうか…ということです。

というのは、この頃よく(それは特に何度もおみえになっている方から尋ねられる言葉なのです)「この程度の相談をもちかけたら、断られるのではないか」とご心配になられる方がいらっしゃる。きっと、普段の自分の言動のなかに、なにか人を切り捨てるような高圧的なところがあるのやも…。こんなことでは、自分がしっかり支えてきてもらった恩人の人達にも申し訳ない。今度は自分がこれから、という人達を支える側に回らなければなりません。それなのに、ご相談してもいいのでしょうか?などと、お伺いをたてられるようでは…。

この際、頭をまるめようかしら…(それは冗談)。なにかしら、こう、誰でもいつでも気軽に来てもいいんだよ、といったような雰囲気を打ち出すことはできないだろうか。いや、そんなものをねつ造しても仕方ないこと。自然体でそういう「空気(オーラ)」を発するようにならなければ本物ではない。

その為にはまず自分がいつでも十分な心の余裕を持って日々を生きていることでしょうか…。十分な瞑想をし、散歩もし、推理小説も読み、テレビもみて、意欲的に仕事もばりばりこなして、いつでも皆さんのSOSに対応できるように待機していられる自分を保っていきましょう。

それが自分を支えてきてくれた人達の恩にむくいるたった一つの方法ですから。

それから、もっとオープンな場に出向いたりする必用も感じていて、今年はなにか講演会のようなものも機会があったら持ちたいなぁ、といまのところ独り言をつぶやいています。

ひとりひとりのリアリティ

リアリティ。実感。手応え。言葉にするとなんだかもの足りないのですが、あえてリアリティということを考えてみます。

自分が一番、こだわっていることは「ひとりひとりが見えない世界のことを、現実になぞらえて実感し、しっかりつかみとっていただきたい」ということ。観念、概念、理念というものを植え付けたいとは思わない。もちろん単なる知識を伝えたいとも思わない(だから本を書こうという意欲がわかないのかもしれない)。直感的なものよりも、もっと五感にちかいものとしてスピリチュアルなメッセージだったり、気付きをお伝えしていきたい。

その時に、一番わかりやすく手応えを感じていただけるものとして「レイキ」を選んだのです。次は音楽でしょうか…。ただ、音楽はひとりひとりに伝えるにはあまりにも時間も手間もかかりすぎるということで、今はほとんどレイキと、次に「言葉」を手段として選んでいます。

「言葉」で伝える…つまりカウンセリングです。その方にとって一番、現実的に、リアルに感じ取ってもらえるものをお伝えしたいので言葉をとても選びます。その為に、相当のインタビューが必要なのです。生活の背景をある程度お伺いして、そのうえでなるべく共感していただけるような言葉を選びます。結果的にたくさんの例え話をします。きづくと落語家のようにひとりで二役ぐらい演じながら話していることもある。どこからこんなに話題が飛び出すのかというぐらい、例え話については機転もはやく、ネタが途切れません。きっと落語家さんの守護霊さんでもついているんでしょうね。

かといって観念的な言葉を使わないわけではありません。キリストやマリア様やブッダの話題もよく出ます。観音様や天使や聖霊の話もよくしますし、自然界の神々(アイヌ語でいうところのカムイ達)についてもよくメッセージが届きます。宇宙創世の話もでることもある。それらは多分に宗教的でもあり、哲学的もあり…。とにかくいろいろな表現があります。そのほうがご本人とってよりリアリティが感じられる場合もあるからなのでしょう。

最近、たくさんブレスレットを作ります。時にはその方の「本質」を現わすような石の組み合わせを選ぶ事もありますが、そんなのを作ってお渡しすると、非常に深いところで共鳴していただけるようで、魂レベルの気付きがあるという方もいます。でも人の意識はどんどん変化していきますから、普遍的で純粋な波動を形にすることは簡単ではありませんね。この地上のものはすべて移ろいゆくので、安定とか調和を求めると真逆に進んでいくこともあったりします。だから、すべてがとりあえず、という感覚を受容しないとなりません。あまりふかく探求しすぎたり、真理を求めすぎたりするとなにも表現できないかもしれない、という怖れにとらわれて身動きできなくなりそうです。

※ブレスレットの完全なオーダーメードは今のところ休止中です。

トレーニング

去年はHPがまったく手付かずで、ブログ以外の更新がなにもできませんでした。年があけてからこれではいけないと一年奮起して少しずつリニューアルの準備をしまして、やっと形になりつつあります。インフラ(サーバーの再構築等)も苦労してかなり高機能にしたり、更新する為の新しいツールを導入してかなり効率もよくなったことなど。いろいろな要素が幸いして、更新がかなりスムーズにできるようになりました。ついにトレーニングの内容をきちんと整理すべく着手したところです。

HPトップ画面の下のほうにだら〜りだらだらと開店休業状態だったメニューがたくさん並んでいましたが…数だせばいいってもんじゃありませんね。内容が形骸化していたりして、早く整理しなければならなかったのですが…。おそらく見た方はかえって混乱していたと思います。いったん全て(ヒーラー養成講座はもちろん継続中)店じまいしまして、リニューアルすべきものはし、要らないものは整理して再掲載していく予定です。

変更した方針としては「トレーニング」という枠でひとくくりにして、メニューを細分化はしないという事です。個々に「なにかスキルアップしたい」という方からご依頼をお受けして、メニューについてはお一人ずつ対応していくという非常に柔軟な形ですね。入り口は一つなので、迷うことはなくなると思います。

レイキ(通常コース、プライベートコース)、神伝レイキ、ヒーラー養成講座が独立したそれぞれの間口を持っている状態です。

あと、インフィニティを含めて光の技法もまったく別枠。このあたりは変更無しです。

普遍のテーマ・子育て

今年はもうひとつ、これまでと違う切り口でひとつ新しいメニューを打ち出していこうと思っていて、それは「子育て」に関するなんらかの取り組みです。セミナーとして形にするのか、なんらかのセッションとしてもうけるのかについては、今のところは両方のイメージがあります。セミナーとしては「子育て」についてスピリチュアルな視点でお子さんをもつお母さんを対象にメッセージをお伝えしていくもの。もうひとつセッションとしての取り組みは、子育てセミナーを開催したり、指導できる先生を育成したいのです。その為の教師育成に関するとりくみ。

子育てについては、たくさんのお母さんから今日までご相談をいただきまして、かなり経験値があります。また、非常に共通のご相談が多く、これまでに得た知恵を広くお分けしていきたいと思っています。お子さんをお持ちの方も勿論ですが、お子さんを持つお母さんと向き合っている方、男性の方にも広く知っていただきたい事がたくさんあります。

かなりはっきりしたイメージはあるのですがまだ日程などは組んでいません。子育ては人類にとって普遍のテーマかなと思います。

基礎研修中。

昨年はパワーストーンの勉強、指導、制作にかなり比重があった。時間も費用もかなりかけた。クリスタルに関しては当初より扱っていたが、ここ2〜3年ぐらいはいわゆるパワーストーンと名がつくものはできるだけ多くを下調べをして、実際に扱ってみた。決算時に判明したことだが自分としては大変な投資だった。けしておごりではなく、石はもうマスターした。で、次のテーマは水。水の波動的な作用を基礎から勉強してみようと思い立ち、ひとまずフラワーエッセンスを研究しています。こういったものはイギリスが本場で、日本では知らない人のほうがはるかに多く、知っている人でも本を読んだとか、使ってみた、ということはあっても本質的にはどうなんだろうという議論はきかないし、されてもいないようだ。文献もまだまだ少ない。そもそも新しいものなので、さほど研究されつくしているようでもないが、それでも普及してしまうあたりイギリスっていう国はやっぱり魔法がつかえて普通なのかもしれない。

以前からわかっていた事なのだが、水の波動にはあまりにも敏感に反応してしまう体質で、少しずつしか試せない。北海道でしか暮せない、というのもやっぱりなぁと再確認してしまいます。日本はとても水が豊かな国。そして北海道はまだまだ手付かずの美しい波動をやどした水がある(だんだん少なくなってきたようで心配になりますが)。

エッセンスについてはいつどんな形で皆さんのお役にたてられるのか、まだまだ未知数です。それとクライアントを募るようなことはしないと思います。処方する指導者を育成していきたいのですが、もし待ち切れない方がいらしたら一緒に勉強しましょう。

愛の形

愛にはいろいろな形があっていいと思う。

若い頃から、非常にマニアックな愛の形について好奇心が旺盛なほうだったと思う。自分は性的な倒錯者なのかとちょっとだけ悩んだ事があった。が、今では一応、普通かなと思う。自分がいったい「なにに興味を魅かれていたのか」ということを分析するなら、多様性なのだろう。もっといえば「超個性的」な表現だ。この世で誰も真似できないたったひとつのユニークな愛の形。そういった独自性、創造性に興味を魅かれてきたし、それは今でもかわらない。

こういった精神性が自分のなかにあるのは、つきつめれば「霊的な世界ではあらゆる愛の形が許容される」というルーツにさかのぼる。もちろん、地上でもそうであるように霊界にも厳然とした掟(地上でいえば法律、常識、道徳といったようなもの)があるのでそれを守った上での話だ。物質的な制約がないのであらゆる表現が可能である。たとえばイルカに乗って遊ぶといった程度のことではなく、イルカそのものになって海中で愛をつむぐ…といったような自己実現だって霊界ではいとも簡単にできてしまう場合もある(何度もいうがそれはそれなりに幾多の条件があって、皆がそういうことをしているとは考えないで欲しい、あくまで可能であるというだけのこと)。

話を広げるとまとまらないので、ひとまずここでは「霊的な事象においては愛の形に制約はない」という定義を有効にしておこう。そして、この視点が若い頃から自分のなかには宿っていた。だから、いくら恋愛小説やドラマをみてもそれらの愛の形はとてもつまらなかったし、精彩を欠いたものにしかみえなかった。そして、ここにきて霊的な視点を「恋愛問題」をかかえる人達にお伝えする立場になり、やっと自分がかつてから抱いていた「あらゆる愛の形を許容する感覚」が生きてきたと思う。

ここで「カルマ」の話がどうしても出てくる。ご相談にみえる方のほとんどは「罪悪感」をもっていらっしゃる。これは人間としては当然のことなのだが、世間一般的には「不道徳」な愛の形をいとなむということは、必ず罪悪感につながる。が、現実世界で抱く罪悪感がすなわち「魂の世界でいうところのカルマ」と同義ではない。カルマについてはほとんどの方が誤解をしているし、思いこみがあるようだ。ご本人が思っているような形でカルマの法則が働くことはない。が、気付かなければ全く別な方向でカルマの法に触れていることがあり得る。カルマの法は、魂の根源において「自らを愛せない」ことについて一番強く作用すると思って欲しい。

だが、現実世界に霊的な真理をあてはめることは簡単ではない。人それぞれの「現実の枠」があるから。時間も有限だ。許された命をどう生きるか。愛を形にし、魂を磨いていく為にはどうしたらいいか。一緒に模索していこうではありませんか。

ビジネス論

自分は2001年に脱サラしてプロの霊能者になった。当時はまだスピリチュアルなんて言葉に誰も見向いてくれない時代。前世紀のカルトが暗躍したネガティブな印象から脱却できない空気が満ちていた。そんな時代の空気のなかであらゆるリスクを背負って、世間からみれば十分に安定したポジションと待遇を捨てた。本当のことをいえば誰も賛成してくれないのはわかっていたので、「当面は音楽の仕事があるから…」と周囲にも自分にも嘘をついてとにかく事務所を立ち上げた。そこで音楽を作りながら、少しずつ霊能者として活路を模索する、という魂胆だった。2年間は芽がでなかった。理解してくれたり、共感してくれたりする人が少しずつ現れたが、世間とどんなふうにおりあっていけるのか可能性はまったく見えなかったし全てが未知数だったと思う。それでも生き延びられたのは奇跡のようだ(実際には音楽の仕事では食べていけなかった)。

ずっとサラリーマンだったから、自営業のやり方もどんなものかも知らなかったので、1年目は自分で帳簿をつけたり確定申告の段取りだけで非常にプレッシャーを感じた。安定した収入がなにもない中で、体調を壊したりもして、その度に自己破産→一家離散→ホームレスという悪夢を何度となくみたものだ。今でも悪夢をみないといえば嘘になる。が、いい夢も見るようになったので相殺しているのだろう。

スピリチュアルカウンセリングという仕事は、霊能力を使うわけでそこにおいては「宗教的」なアプローチもあったのかもしれない。1時間幾らという料金設定に最初は非常に違和感があった。お布施でいただいたほうがいいかもしれない、と真剣になやんだ。が、そうなるとお金の動きが宗教のそれのようになってしまう。自分はけして教祖様になりたいわけではないのだから、そういう方向には絶対に向きたくなかった。が、自分という存在を世のために生かす為に、なにが最善なのか方向性がみえない中で、あらゆる可能性を考えたり模索したりする必要があった。お金のことはいつも頭が痛い。

2002年にはじめて確定申告というものをしてから、もう6回目の申告である。昨日、ほぼ段取りが完了してあとはサインするだけとなった。サインといっても電子申告なので税理士さんのパソコンにパスワードを入力するだけ。

プロとしてこの商売で食べていくという事でいえば、完全にビジネス論になる。自分は思考回路そのものが霊界といつもつながっているのでどうも価値観も考えかたも非現実的なところが多分に多く、現実のお金のことについてはゼロから学び、感覚を磨き、やっと6回目の申告なのでやっと小学校を卒業ということなのだと思う。霊能者といったって自分の事は簡単に見抜けないので、世間の人達と同じだけの苦労や努力はしなくっちゃいけない。この世を生きるという点では、人間は皆平等である。どんなにすごい能力があろうとなかろうと、やらねばならない事からは逃れられない。そういった意味で、自分もまた世の脱サラ組の人達と同じだけの苦労もプレッシャーも感じて生きてきた。これからもそうだ。

先日、次世代DVD抗争が決着した。東芝が撤退したからだ。軍配はBlue-rayにあがったわけだが、東芝は勇気ある撤退をしたのだと思う。この決定の責任者である東芝の西田社長のインタビューに「成功も失敗も永遠ではない」とあった。また「リスクのないビジネスは成長のないビジネスだ」とも。

今、なにかとスピリチュアルが取りざたされている。やっとわずかな種がまかれ、芽をだしたというところだろう。精神世界(ニューエイジ)という言葉が海外から伝わりはじめたのは、いったいいつのことだったか…。あの頃に比べればもはや日本は不毛の大地ではない。が、おそらくこれからは激しい競争があるだろうし、雑草も無数にはびこることになる。ここから先、スピリチュアルはビジネス論で語られるようになるのかもしれない。「回復力をもち、革新を続ける。」西田社長の言葉が今、自分にはとても重く、力を感じさせる。