私はふりかえらない

「前世のことは知りたいとは思わない」ときっぱりおっしゃった方があって、なにかすがすがしい気持ちになりました。何年も前からのおつき合いのある方ですし、今でも定期的にご来訪いただいていますが、たしかに前世のことやオーラの色をお尋ねになったことがありません。自分のケアの方法や、瞑想のトレーニング、現実の生活のこと、自分自身をしっかり保つ為に必要なことをしっかり学んでいかれます。前を進むことを大切にしたいという明確な意志をはっきり感じられました。

私たちは輪廻転生を繰り返している、そのまっただなかにある存在です。学生にたとえれば小学生3年生かもしれないし、高校1年かもしれない。浪人中かもしれないし、大学院に残っているのかもしれない。前回の時代をさだかに覚えていない、ということは例えていえば友達と折り合いが悪かったことも、同級生に恋して破れたことも、先生にこっぴどく怒られたことも、部活で失敗したこともひきずらなくて済むようなものですから、悪いことばかりではないでしょう。それよりも、今という時代にあっての自分の課題をしっかりみつめ、自分が納得できる生き方を目指したい。そう考えることはとても素直なことに思います。

今の自分はなぜこんなに苦しいのだろう、ということをお尋ねになる方はとても多いです。でもこの苦しみから自分はなにを学び取るべきなのでしょうか、とお尋ねになる方は多くはありません。でも、今の自分に足りないものを学びとっていこうという姿勢を見失わないで欲しいのです。私たちは魂の学生なのですから。一生かけてなにかを目指しつづけていくべきなのです。

前世のことを知って納得できることがあれば、それはそれでいいでしょう。自分をより肯定して受け止められるようになるかもしれません。自分の性癖についてあまり悩まなくても済むかもしれません。そこから今生の課題もみえてきますから、とても参考になる場合も多いです。でも、過去の蓄積があって「今の自分」があるのですから、「今、そしてこれからの課題」を明確にするだけも、前世を知る以上に「めざすべきもの」ははっきり浮上することでしょう。

私自身も、チャネラーを介して自分の前世や自分の由来について、そしてまた自分の方向性についての情報を得た経験を持っています。その時は非常に心が揺さぶられました。非現実感のなかに唐突にほおり出されたような感覚でした。ありのままに受け入れることはとても難しかったのです。納得するまでに時間がかかりました。肯定したい気持ちと、本当にそうなのだろうか、という気持ちのはざまでしばらくはゆれ動きました。それから「なぜ、私の守護霊は前世の情報を与えてくださったのだろう」と考えましたし、自分の前世の情報からいったいなにに気づくべきなのかということについて、かなり長い年月悩みました。結局、私にとっての前世の情報は、今の自分を肯定する為に非常に参考になりましたし、実際のところ絶対に必須でした。そうでなければ今の自分のありかたをすべて肯定することもかなわなったでしょうし、自分のマスター(魂の指導者)が誰であるか理解し、受け入れることは無理だったことでしょう。でも、非現実の情報は消化して糧にできるまでに時間を要することもあります。そういったことも守護霊は計算しつくしていて、タイミングをみはからってスピリチュアルなメッセージを与えてくれます。ですから前世をきくためだけに当サロンに予約を取ろうとすると、どうしてもうまくいかない事もあります。それはその時期ではないと守護霊さんが教えているのですね。ということは、今の自分に必要なアドバイスだけを最小限に求めようと考えてみる。そうするといつでも予約がとれます。気持ちはすっと前にでるようになるはずなんです。そんな時は守護霊さんも、それなら大丈夫だからきいてごらん、とうながしているのです。

ほとんどの方は無意識領域で守護霊とコミニュケーションができます。ですから、どうしても私のような霊媒に会うことができない、タイミングが合わない、ということで悶々とするのではなく、なぜ足がむかないのかということを自分の守護霊さんにむかって心のなかでよく問いかけてみるといいでしょう。どんな質問、どんな問いかけをすると天(そら)が応えてくれるのか。そのコツがわかってくると、スピリチュアルな世界はあなたの頭上におおきく開けていきます。最初はちょっとだけかみあわなくて、むずかしく感じるかもしれませんけれど。

最近は高校生の方もお母さんにすすめられて来られます。年齢層が本当に幅広くなりました。

虚無と意地。

ランディさんが今日のブログで書きつづけることの不安と虚無感について書いているのを読んで少なからずはっとしました。

ゲーム業界で仕事をしていた頃、とにかくゲームを作ることが好きでした。ビデオゲームの世界はファンタジーだったんです。映画もそうでしょう。でも、ゲームの世界も映像の奥に不思議な世界が繰り広げられる…アニメやSFやファンタジーの世界そのものが広がっていた。それを自分の手で生み出せるのですから、どこまでも探求し続けていきたいという欲求がそう簡単には消えませんでした。が、どんなにものづくりを続けても、誰もめんとむかって褒めてくれないどころか日々クレームばかり。よりよいものをしかも商品として売れるものを作らなければいけないのですから当然なんですが、自分の作りたいものと、求められるものが一致するとも限らない。納得できないものを作っても、そこそこ売れてしまうこともある。マーケットというものがよくわからなかったし、ユーザーが本当に楽しんでくれているのかどうかも、結局のところいまいちピンとこなかったんです。だからmixiで自分の作品のファンの方がいて、コメントをたくさん残してくれたことが本当に嬉しくてトロフィーをもらったような気分でいます。

ゲーム作りの現役だった頃はいつも不安で、どこかしら虚無感をいだいていました。自分の場合はそれがある時期にひっくりかえっちゃったような気がするんです。ゲームの世界も大きなプロジェクトを組まないと作れないほど規模が肥大化して、個人のクリエイターの意見はあまり通らなくなってしまいましたし。自分のようなタイプは古いんですね。天才だったらまだまだがんばれたのかもしれませんが。凡人なので虚無感に負けちゃいました。それでゲームの仕事は最前線から身をひいて、コンサート活動を始めたんです。音楽を通して自分が必要としてもらえることをどうにかして、確かめたかったのだと思います。本業のかたわら(当時はまだ会社員だったので)会場をさがし、チケットを売って小規模ながら演奏会をひらき、CDも作って数年間活動をしました。でも自分がどれほど必要とされているのか、まだまだつかみとれなくて不安ばかりでした。加えて自分のスピリチュアルな能力を磨きたいという欲求も高まっていって、ヒーリングに傾倒していったわけです。同時にカウンセリングも始めるようになっていました。

いつも不安や虚無感におされ、負かされ、一方で好奇心にひきこまれてここまできたようなものです。

でも、今の自分はどうなんだろうと考えた時に、お伝えしているアドバイスがほんとうに皆さんのお役にたっているのかどうか、これからもこんなことを続けて食べていけるのだろうか、という不安を覚えない日はないんです。面とむかって話をしているので、帰り際の皆さんの表情で伝わってくるものがたくさんあります。でもメールや手紙でアドバイスを書いた時は、すごく虚無感が残ることがあります。電話ですら虚無感は少なくないんです。ですから、今はなるべくお会いできる方か、一度お会いした方とのご縁をなるべく大切にしていこうと考えています。そうでないと、不安で続けられなくなってしまうんです。

音楽活動をずっとしていないのですが、どうしてモチベーションがあがらないのかというと、コンサートという形式だと距離がありすぎるんです。自分の場合はすべて直感を感じながら、その場で即興演奏をするのですが、自分でもいったいなにを感じて、なにを弾いているのか本当のところよくわからないんです。頭のなかはほとんど空っぽで、手がかってに動いている感じ。どういう方向の演奏になるか、最初の一音を奏ではじめたらもう止めることができません。録音を聞き返すこともほとんどありません。ライブは、その時、その場にいる人の為の一度きりのメッセージだと思っているので。でも、コンサートの感想を寄せてくださる方はさほど多くないんです。あんな演奏でほんとうによかったのかな、という不安でライブのあとは何日か眠れなくなってしまい、次につなげていくだけの力を再び得るまでに何年もかかってしまいます。運営も告知もすべて自分ひとりでやっていますから、虚無感を乗り越えて前へ進み続けるだけの力を産み出すことがなかなかできないまま、今日に至っているという状況なんです。

でも、1人でも、あなたの音楽を多くの人が必要としてくれている、と言ってくれる人がいるだけでがんばれるんです。やってみようと思える。音楽家なんて単純なものですね。どんなに不安や虚無におしつぶされそうになっても、誰かが聴いてくれるかもしれないと思うだけで弾きたくなっちゃう。それがたとえ一生に1人でも、また誰か自分の音楽を求めてくれるんじゃないのか、という幻想を追い求めすがって生きていこうとするのが音楽家のサガなのでしょうね。

ランディさんには、ばななさんがいてくれてよかったな。僕にはランディさんがいてくれて本当によかった。音楽を作ったり、奏でることの意地と根性を今、鍛え直しているところです。もう少し時間がかかるかもしれませんが。

私のなかの知恵

私はけしてあなた達を愛しているとはいわない。
けれど、あなた達が愛されていることを知っている。
だから私のあなた達への愛はけしてゆらがない。

前世の情報をうけとるには

ご来訪になられる方の性別は男性が少ないのですが、最初に奥さんがご相談にみえて、その後ですすめられてご主人もいらっしゃる場合があります。家庭や仕事があって比較的社会的に立場のある方ですと、人に相談するということも慣れていらっしゃらないし、さほど相談しなければならないほどの事情があるわけでもないとなると、足が向かないかと思います。奥さんにすすめられるままにこられる男性の場合は「なにが前世をしることが参考になるのであれば」というわりと軽い感覚でおいでになられるので、ご本人の総合的な性質や人生の方向性、注意事項、より納得できる人生をおくるためのコツなどを、できるだけ分かりやすくお伝えするようにしています。ご家族との向きあい方、健康、財運、仕事運についてもひととおりコメントします。また前世からひきついだ特質がなんであるか、どういう方向で今生はそれを生かすべきなのかも紐解いていくので、今生の指針として参考にしていただけるようです。

カウンセリングという形式なので、問題や葛藤がなければ相談してはいけないのでは、と誤解なさっている方もいらっしゃるかもしれませんが。私は情報を受けとる媒体でしかありません。うまく利用していただくことによって、ご本人がより前向きな人生を生きられるのであれば、それが本望なのです。人の人生にとやかくいえる立場ではありませんし、まして運命を変えることはできません。辛い厳しい状況の方には、できるだけ励ましてさしあげたいと思いますが限られた時間のなかでお伝えすべき情報を紐解きますと、気配りをかけてあげられる時間も限られます。自分なりにできるだけのことをさせていただく、カウンセリング中はその思いだけで全神経を高次元からもたらされる情報に向け、受けとったものをできるだけ正確にお伝えし続けています。

何度かお会いして懇意になっても、なかなか前世のことをお話しする機会に恵まれないこともあります。たとえ分かったとしてもこちらから一方的にお伝えするわけにもいかず、残念に思うことがないわけでもありません。でもご本人が知ろうとしてくださらないと情報は届けられないので…私がどんなに願っても、なにも形にすることはかなわないのです。前世の情報を受けとるかどうか、結局はご本人次第なのです。

#追記
どうすれば前世の情報を受けとれますか、と尋ねられることがあります。その問いに対する答えはありません。問いかけのようでいて、ただ許可を求めている場合は誰にもどうすることもできません。前世の情報は「単なる情報」にしか過ぎないのです。それをひも解けるのは「本人」だけなのです。自分の心の中でそれを強く求める、という作業を始めないと宇宙はあなたの問いかけに呼応はしません。

私のなかの罪悪感

罪悪感。

生きていることにすら罪悪を感じるようになったのはいったいいつの事だったでしょうか。
理由はわからないのに、自分の存在、行い、思考などあらゆるものが罪悪感の対象でした。けしてそれがすべての理由ではないけれど、人と関わることが怖い。怖いくせに寂しくてわかってもらいたいと渇望もしている。本当に自分の性格がややこしく、扱いにくく、そしてめんどうでした。

そして、ある時期からその罪悪感と向きあう知恵のようなものがこの世には存在しているかもしれない、と光明を探し求めるようになりました。記憶をたどると定かではありませんがたぶん14〜5歳ぐらいから、そんなふうに考えるようになったと思います。丁度その頃、友人にさそわれて一度だけ教会に足を運んだことがあります。洗礼をみて、ひどく衝撃を受けたのをよく覚えています。なぜあんなに洗礼の儀礼がショックだったのか…がてんがいくまでそれから長い月日がかかりました。過去世で自分自身が洗礼に関わっていたからだったんですね。前世の記憶がよみがえるとわけもわからないなにかが、自分の細胞のなかでいっせいに騒ぎ出すような感覚になります。そしてそのインパクトは永遠に忘れられない。だからいつでもずっと探しつづけている感じになってしまうのでしょう。

いろいろな意味で教会で洗礼の儀礼を目撃した瞬間、というのが自分の今生での「魂が目覚める」最初のきっかけになったことは間違いないようです。それから聖書を何年かに一度ひもとくようになりました。縁あってカトリック系の高校に進み、授業で新約には触れることになりました。聖書の内容にはさほど感銘も受けず、共感もできませんでしたし、信仰には近づく気持ちにすらなれなかったけれど教会や信仰に関わる人達の存在感には、嫌悪感よりは共感するもののほうが多かったかもしれません。

自分にとって聖書はさほど救いにはなりませんでした。というより信仰のなかになにかを求めていくという動機は最初からなかったのです。三浦綾子さんの作品やエッセイは随分読みましたが、敬虔な信仰をもつ人達を尊敬することはあっても仲間入りはできない自分であることは、どういうわけか最初からわかっていました。自分の場合は信仰を持っても救いはないのではないか…。でもなにか「その方向性で探し当てられるものがあるのではないだろうか」とはかんがえていました。信仰ではなく、たとえば信仰を持つ人達が行なう所作、そのなかで積み重ねていく経験や知識、そういったもののなかに「なにか」見出せないのだろうかと思い、宗教的なものや神学的なもの全般にとても興味をもち、たくさんの本を読むようになっていったのです。

ほんとうに乱読といった読み方だったと思います。どんどん本が溜まるのですが理解できない本も多くて、買ってもよまなかったり何年も放置したままだったり。そんなことを長いこと繰り返していました。

最終的に、文字から得られる知識や情報には限界があると悟り、瞑想の世界にヒントを求めるようになったのです。結局、今でこそはっきりわかるのですが自分はチャネリングをしたかったのです。この地上に答えがないのであれば高次元の意識と対話するほかはないだろう、と。それはあさはかな考えだったかもしれません。無謀だったようにも思う。けれど、もうそれしか求め得るものが残っていないせっぱ詰まった状況でもあったのです。淡々と上辺だけの人生を生きながら、罪悪感から逃れたいという自分の潜在的な(けして誰にも見せられない)内なる渇望は止むことがなかったのですから…。

おりしもチャネラーと呼ばれる人達が活動をしていることがわずかながら情報としては得られました。が、会いにいくことはかないませんでした。また、遠くにわざわざ求めていくこともなにか違うような気がしましたし、正直な気持ちとして「外人」のチャネラーに会いたいとは思わなかったのです。なぜか自分は「神道」に強く魅かれていました。修験道の行を積んでいましたから密教の方向でもよかったのですが、どうしても自分にとっては「神道」の枠がはずせなかったのです。それで「神道」にかかわる人達のなかで「神様の言葉」を話せる人を探していたのです。

求めつづければ出会うものなのでしょう。

結果的に、私は「神道」の世界を通じて神々の意識と通じることができました。何年も何年もかけて、最初は人を通じてしか言葉を受けとることはできませんでした。が、ついに自分で対話することができるようになったのです。

私自身がものごころついた頃から抱きつづけてきた罪悪感の意味や、それと向きあう知恵を授かった今、迷いがないといえば嘘になります。悟ったかどうかなどという大それたことを言えるほど偉い人間になったつもりは毛頭ありません。ただ、本当に素晴らしい知恵を持っている「高次元の存在」というのは実在します。見ることも声をきくことも残念ながらできないのですが、私は感じとることができるようになりました。そして私という人間のもつ精神のなかで彼らから伝わってくるメッセージをわかりやすい言葉に(ときに音楽に)翻訳して皆さんに伝えることができるのです。

もし、これが自分が望んだ役目だとすれば(今はそう信じています)、できるだけ多くの人に「光のことば」を伝えていきたいと願っています。

すべては私のなかに組み込まれた「罪悪感」からはじまったのでした…。

「祈りの海へ…」のご紹介

わが友人でもあり、ピアニスト仲間でもある高橋 全(あきら)さんのてがけたニューアルバム「祈りの海へ…」が発売されます。笙の伊藤えりさんの演奏、高橋さんのピアノという珍しいコラボレーション。スピリチュアルカウンセラーの江原啓之さんも語りで参加しています。まもなく予約受付けも開始です。

高橋さんのピアノは本当におだやかで、いつもききほれてます。笙の音色は本当に繊細。ピアノと組み合わせるのは至難の技。高橋さんは知るひとぞ知る超絶技巧の録音エンジニアでもあるので、どんなに繊細な音でもおにのような技と執念で見事に収録してしまう人なのです。こんなに楽器のはなつ輝きを音としてみごとに収録できる人は彼をおいて他にはいないでしょう。いつか自分の演奏も彼に録音をお願いしたいなぁといつもいつも思っています。新しいソロアルバムも準備中とのこと。そちらも実に楽しみ…。人の宣伝ばかりしてないで自分はどうなの、といわれそうなのでこのへんで。。。

今年度のレイキセミナーについて

きたる4月19日にセミナーの予定を組みました。

午前は「ファミリーケア」。
このセミナーのコンセプトは、自分自身と家族を癒すこと。レイキを実践していくうえで体験するさまざまな心身の変化について、諸注意をお伝えします。また相談の時間もあります。実習は呼吸法とパワーグランディング。レベルに関係なくご参加いただけます。
ティーチャー以上を目指す方は、呼吸法とグランディングをどのように「指導すればよいのか」を学んでいただけます。このセミナーを各自の指導のひな形とすべく完全に盗み取ってください。レイキに限りませんが、呼吸法を通じてグランディングを指導しているヒーラーはあまりおりません。

午後は「パーフェクトレイキ」。
このセミナーは「完全なレイキヒーラーを育成する」ためのもの。プロ指向であることはもちろんですが、レイキを通じて他者をヒーリングすることにおいて「パーフェクト」な技術を目指します。意欲あるかたの参加を心からお待ちしております。

通年で4回ほど開催できればと考えています。

レイキの伝授について

レイキの原理はいまだ解明されてはいません。
が、それがいったいどんなエネルギーなのか、なぜ人の手から手へと伝達され得るのか、という点に疑問をいだく方は少なくありません。この事については、私自身がレイキの存在を知った90年代半ば頃からいつも感じていた疑問であり、いまだこれについて明確な答えを出せる人はいないと思われます。

レイキのエネルギーがどこから来るのか、どういった性質をもった波動なのか、これについてはいつか詳しく語れる日がくるかもしれません。が、今日は「なぜ人の手から手へと伝達できるか」について、少し書いてみます。

一般にはアチューンメント、または伝授、と呼ばれる技法をもちいてレイキマスターは、誰にでもレイキの回路をひらきそのエネルギーを活性化し、レイキヒーラーになる為の導きを与えることができます。しっかり実践すれば心身は健康になり、感情もゆらぎにくくなりストレスに打たれ強い体質に変化します。多くの方はその効果を早ければ数時間で、おそくても数ヶ月後には実感できます。風邪もひきにくくなりますし、実際、レイキを修得した方はほとんどインフルエンザにもかかりませんし、かかっても非常に軽い症状で済みます。いいことづくめに見えるレイキですが、実態が見えないエネルギーであるが故に、実体験してみる他は理解する方法がないのです。しかしその為には「伝授」を誰かに受けなければならない、という制約がつきまとうのです。人が人に伝授を受ける、ということについては神経質にならざるを得ず、理屈ではなくいろいろ考えてしまうもの。そこが難しい点です。

私の直感によれば、レイキの波動は人体の第7チャクラから少し離れた位置にその出入り口があります。そこから第6チャクラの直下、ちょうど松果体があるあたりに共鳴させてレイキのバイブレーションを引き込むのですが、これを外側から行なうのが「伝授」です。いわば呼び水です。一旦エネルギーが流れ出してさえしまえば、あとはこんこんと湧く泉のようにエネルギーが使えるようになります。このことは教師の間でも原理としてはまったく理解されておらず(そもそもこういう議論が為されることも指導されることもないので)、レイキマスターは「ある作法にのっとって、段取りをまるごと鵜呑みにして覚え込む」のですが、手の位置だとか、意識の向け方などによっては回路が開かれる安定感、エネルギーの活性度には差がでます。許容範囲はあるものの、あまり度をこえてポイントがずれると残念ながらレイキの回路が十分開かれずに失敗してしまう可能性があります。本来の伝授の流れでは、この失敗が最小限で済むように、実にシンプルにわかりやすく体系化されており、教師から示されるマニュアルに乗っ取って忠実にそれを行なうならば、まず100%成功します。

が、伝授の方法がいい加減に伝達されるならば成功率が下がります(そもそもこの時点で教師の資質を疑うべきです)。誰にレイキを習っても理想的に成功率は100%でなければならないのですが、客観的にはそうではありません。いろいろな理由があるのでしょうが、レイキを教える側に立つ者としては、非常に憂慮しています。

レイキ教師を選ぶ時は、なによりもまず
・実績をみて判断すべき
でしょう。また、実績のある教師から承認された教師であれば十分に信頼できます。修得の経歴、指導実績が曖昧な教師は避けるべきです。

遠隔での伝授を行なっている方もあるようなのですが、回路を開くということはかなりピンポイントである箇所にエネルギーをいれる必要があります。そして、活性化したことを教師はしっかりと確認すべきです。レイキの世界では協定もルールもないので、自由に教えることができるのですが、指導する側の責任として、確実な伝授を行い、完全にエネルギーが活性化していることを確認する義務は負って欲しいと思います。

これからレイキをはじめて修得してみたい、と考えている方に参考になれば幸いです。

2009年という年

今年、いいスタートをきることができればむこう1〜2年で運勢をいい流れに変えていけます。これは基本的に地球上の誰にでもいえることです。最近、むこう1〜2年の流れを霊視してお話しする機会がとても多いです。時空の動きに沿ってアドバイスをしていることもありますが、世界的にそういう潮流なのでしょう。

テクノロジーと魔法は紙一重

充電式のバッテリーといえば最近はほとんどリチウムイオン電池でしょうか。ほんの少し前までニッカド電池が主流だったのに随分様変わりをしました。かくいう自分は子供の頃から、なぜか電気じかけのものにすごく興味があって「バッテリー」オタクでありました。今でも充電式のバッテリーになかなか愛着があります。電気が溜まる、という仕組みにものすごく興味をひかれたんですね。目にはみえない電気というエネルギーがみためはなんの変化もないのに「蓄積される」ということが本当に不思議で面白かったわけです。イオンとか電子が…という理屈を学んでもやはり見えない世界で起きていることは肌で実感できないので、神秘であり魔法のように思われました。高価な測定器や電子顕微鏡があればリアルに感じ取ることもできたのかもしれません。人間は五感で感じられないものは「すべからく神秘である」と思うもの。これは仕方のないことでしょう。某有名マジシャンは某有名超能力者と同じことができます。同じスプーンが曲がるという現象なのに、かたやタネがある(多分)し、かたやタネはない(らしい)。前者は科学でしょうし、後者はオカルトでしょう。でもどちらも科学に違いないと思うのです。原理がわかっていてコントロールできるからそれは「タネ」という事になる。弟子になればきっと教えてもらえるのでしょう。タネを伝授してもらえばできるようになるのだから、再現性のあるれっきとした科学といえるわけです。こういうものは「知恵」となるわけです。でも天から授かった不思議な力は伝授のしようもないし、本人ですら再現できないこともある。超能力やオカルトに属する現象はとても不安定だし、弟子に伝授することもできない。なかなか不便なものです。

リチウム電池に劇的な性能改善をもたらす技術が開発されたというニュースがさきほど流れていました。それによれば、現在の電池よりも10倍も性能がよくなるのだそうです。充電に10分かかるところが1分になる。1時間で切れる電池が10時間持つようになる、という発明らしいのですが実用化されたらそれは非常に素晴らしいことです。こういう知恵というものは「魔法」のように思われます。この技術はすぐに実用化されて数年のうちに高性能なバッテリーが普及することでしょう。誰もがその恩恵にあずかれるならばそれは魔法ではなくテクノロジーという人類の「知恵」なのです。

私はレイキは後者(知恵)だと思っています。レイキを知った当初はとても漠然としていてとらえどころがなく、でもなにか不思議で圧倒的ななにかが感じられて、まさに魔法のように思えたものです。もう10年近く実践して教えてきましたが再現性もあるし、伝授することもできる。実践していれば結果もでます。結論としていえることはレイキは魔法ではありません。これは完全に知恵といっていい領域でしょう。ただ結果がでるまでそれなりに時間が必用である、ということはいえるかと思います。なんでもスピードアップの時代の流れのなかにあっては、実にゆったりのんびりとした取り組みが求められます。

もっとも魔法とて、ホグワーツでは「技術」らしい…(でもあちらは一般人が入学できないのに比べ、レイキは入学制限はないです)。