シングルマザーの子育て

とても多いご相談のひとつがシングルマザーの方からの子育てについて。
一般論ではいろいろな意見、考えがあります。どれもそれなりに参考になるのだと思います。
一方、霊視鑑定をするということは、その母子だけに関わるさまざまな事情がひもとかれます。母親と子供がどのような魂の関係、ゆらいなのか。そしてそれぞれの人生のテーマはいったいどういうものなのか。お母さん自身の人生のテーマもほりさげます。またお子さんの将来の方向性についても、かなり詳しく読み取れる場合もあります。ほ
一般論はひとつも存在せず、そこにどんな独自の背景、いわくがあるのかを淡々と説明します。その時点で多くの人は、迷いがふっきれるようです。どんなに独特の生き方であっても魂が輝いていくのならば、それでいいのだと思います。

輪廻の終わり

仏教では輪廻は「来世」もある、という前提でとらえるわけです。過去(前世)があり、今生があり、そして来世にもつながっていく。過去の因縁で今の課題があり、今の積み重ねで来世も形作られていく。因果は時空をこえて受け継がれていくのです。

が、ものごとにはいつか「終わり」があります。輪廻を終える段階に達した時、いろいろな注意が必用になります。守護霊様が導いてくださるのですが、直接メッセージを受けとる必要も時には出てくるわけです。個人的なお話しのなかで、よくこの「輪廻の終え方」の話にもなります。つまり、そういう段階の方も実際にいらっしゃるのです。

そういったような人達には共通していえることは「常識にとらわれないように」とお話しします。身の回りにも手本がないこと、本を読んでも参考になるヒントが書かれていないことで、かえって遠回りをしてしまいやすい。なにが必要でそうでないのか、直感的にご本人はうすうす気づいていることが多い。そんな方にとって、今のようにスピリチュアルな雑音が多い世の中はかえって混乱を生むばかりで、自分のあるべき真の道からかえって遠ざかることすらあります。それではなかなか輪廻の終わり方として、美しく終われない。そうならないように、守護霊様が導いてくださるのでしょう。

新規開店

今年は会社役員、自営業の方のご来訪が多くなってきました。これから会社をおこそうという方、お店をひらこうという方達のご相談はとても現実的で、大きく資金も動くので鑑定はとても難しいのですが少しずつ結果も出てきました。まもなくカフェを開店する方もいらっしゃいます。不動産の案件からコンセプト作りまで応援させていただいた件なので、準備が整ったらご紹介していきたいと思っています。これから事業に関するご依頼も増えていく気配が濃厚です。

経営の岐路

なんの後ろ盾もない自分、ということを痛感せざるを得ないことが多々あります。生身の身体ひとつですべてをこなしているので、なにか事が起きれば守る術がない。北海道の皆さんはとても優しいし、とことん信頼しています。でも、津軽海峡に壁を立てるわけにはいかない。全国区に出たらきっと自分なんてあっという間にもみくちゃにされて、時代のカオスに飲み込まれてしまうのだろうなと思います。

自営業者としてサロンを運営していくには現実論、様々な障害があるのも事実。それをひとつひとつ解決していかなければなりません。その為にはとにかく時間が必用です。自分の労力を割く為には、その間仕事が止まるわけですから収入もなくなります。立ち止まるわけにもいかないけれど、時には足下をしっかり固める時間も必用。運営には大変な苦労が伴います。

今のままの運用形態でいくと、遠からず資金難に陥るおそれも感じています。それはほとんど体力の問題とイコールでもあります。特にここ数年、リーディング後の疲労回復に最善を尽くし、あらゆる方法を試し、今はおそらくこれがベストという方法で日々の体力温存をはかりながら限界ぎりぎりまで仕事をこなしています。生きるすべての死力を尽くして仕事に打ち込んでいますが、現実は楽ではないし、かといって仕事は絶対にほおり出すわけにいきません。どんな手段を講じてでも継続していく義務があると思っています。お金の問題は本当に切実で難しいです。いつもそのことを真剣に考えています。気力体力の限界はもうみえています。そのピークはここまでなんだ、という悟りは得られたような気がします(魂の悟りはまだまだでしょうけれど)。
ここまでが本当にミラクルのような日々でした。でもいつまでもミラクル頼みでもないでしょう。しっかり着地して根ざす為にはどうしたらいいのか。その為の知恵はまだ不足気味ですね。人様のビジネスの運気は読めるのに、残念ながら自分の為にこの能力は使えないのであります。2009年、光のサロンは今岐路に立たされています。

正直な気持ちをいえば、ここまでこれるとは本当に思っていなかった。でも、それなりの結果は出せました。
多くの人が受け入れてくださって、そしていろいろな意味で人生の一端を預けてくださった。命運を共に日々を歩んでいてくださる人達がいる状況で、私が自分を見失ったり、未来に失望するわけにはいきませんから。ご縁のあった皆さんの人生を、とことん長生きして寿命がつきる最後の日まで見届けていこうと思うのです。私自身のマニフェストというところでしょうか。「北海道の皆さんの為に長生きします」。それを実現する為の努力を明日から気持ちを新たにして積み重ねていきましょうか。

はっとする毎日。

カウンセリングの仕事をしていると、なにかとはっとさせられることが多いです。

ひとそれぞれの魂がもってうまれた課題を紐解かせていただくことが多い。人様がかかえている深いテーマについてお伝えしていると果たして自分はちゃんと向き合えているのだろうか、と話しながら心の内でははっとしているわけです。自分も1人の人間なので、いつのまにか楽をしたくなる。面倒なことがだんだん億劫になる。逃げてはいけない課題から目をそむけ、ふたをしているかもしれない。そんな自分が果たして人様をちゃんと応援できているのかどうか。自分のことすらしっかりやれていない人間が、他人の魂の課題について指導するなんて矛盾していますから、自分なりに恥ずかしくない生き方を心がけています。

でもはたして自分自身の魂の課題についてはいったいどうなんだろうか。時々ふと心配になることがあります。

ですからいつでもこころの原点に帰るように心がけています。この仕事をはじめた時に神様に誓ったことを。それを思い出し、今日までに支えてくださった人達に感謝をし、そして日々の仕事に改めてゼロから取り組むような気持ちを保てるように。

まだまだいろいろなことは十分ではないのかもしれません。それでも、できるだけのことを日々取り組んで積み重ねていくしかないと思っています。今日やれることをできるだけ丁寧に積み重ねていく。毎日、それだけで精一杯というのが正直なところでしょうか。

ちょっといい話。

これは私自身のとってもプライベートな「いい話」でして、読む方にとってはあまり共感していただける話題ではなさそうです。と一応、おことわりをしておきましょうか。

先日ある方との間での、禅問答みたいな他愛のない会話です。
「いい瞑想ができないのです。」
とおっしゃる方がありましたので、「もう瞑想はしなくていいでしょう。」とお答えしました。

その人はもう瞑想を卒業すべきだったから、そのようにお伝えしました。
瞑想をしてなんぼ、積み重ねてこそ得られるものがある。それもまた真実ですが。
瞑想なんてくそくらえ、てな方向でどんどん違うことで前進していかれたほうがいい方もいらっしゃる。

この世に生れてくる全ての人は、みなそれぞれ自分自身のたったひとつだけのオーダーメードな人生を生きています。
そうすると、人それぞれに課題もさまざま。みんなそれぞれまったく違う問題集をかかえて人生という学びに取り組んでいるのですが、そう簡単に解ける問題ではない。すると、どうしても他人の回答が気になる。そこは人情というものでしょう。けして楽をしたい人ばかりではないけれど、一生腕組みをし、しかめっつらを続けていられるほど忍耐強い人もいない。誰だってやはり自分がかわいいから、できるだけ前進したいと思う。まして人生は有限、そして日々なにがしかノルマもあり、食っていかなければならない。となるとどうしたって先回りできるものならしたくなる、というものでしょう。

ところが、この人生の命題というものはけして先回りしたり、人の答えをまねて結果オーライというのはないのです。それでは不公平ですから、ちゃんと各自の課題は自分で乗り越えなければいけない。そういうルールが宇宙にはあって、誰も特別に楽をできる人はいないのですね。

前述の瞑想の話…。続きがあります。
更に、「瞑想を積み重ねずして、よい瞑想の指導者にはなれないのではないでしょうか。」
と問われましたので、「誰も瞑想をただしく指導できる者などこの世にはいないし、良い指導者など必要ないのではないでしょうか。」とお答えしました。

これは正直なところ、私自身がいつも思っていることを率直にお伝えしたのです。
どういうわけか、人は「学ぶこと」にとらわれる面をもっています。特に、レイキもそうですし、瞑想も同様、見えない世界にかかわる人達が行なっていることをすべからく「特別な素質、才能をもった人だけが関われる不思議な世界」というように、ひとくくりにして自分と距離を置いてしまっている。でも、瞑想なんて誰でもできるのです。ご飯をたべた後は誰だって満たされてぼうっとするものです。トイレで用を足した後の瞬間なども妙にほっとして、安心な心もちになったりする。そんな時になんとなく普段は考えないことが脳裏をよぎったりする。よく瞑想は「心を無にする」などといいますが、いったいぜんたい「心が無になる」ことなどあるものでしょうか。心が無になったら死んでいるか、昏睡しているかでしょう。たしかに「心が落ち着かない」ということは日々、誰しも起きていることでしょう。でも、いったいぜんたい「無」までいかずとも「限りなく無に近い状態」があるとして、なにがどうなるというのでしょうか。

瞑想というのは、心や精神の掃除のようなものだと思います。きれいにしていれば、新しいことも思いつきやすい。前向きに取り組む気持ちにもなりやすい。でも掃除ができていなくたって、楽しく元気に前向きになれる人だっているんです。

私の場合は若い頃、とにかく瞑想ばかりしている日々がありましたが、そんな時代にいったいなにを求めていたのかな、とふりかえると瞑想をしたくてしていたわけではないのです。「わけのわからない霊的な悪影響と喧嘩をしていた」のです。いってみれば、私はその頃、なんの因果かわからない「目にみえない自分をとらえて離さないもの」に対してすごく腹をたてていて、戦おうとしていました。向こうは姿形がないのですから、それならばこっちから出向いてやろうではないか…。ということで一心に瞑想…というよりは、いわゆる霊的な世界の入り口を必死で探し、やみくもにかけずり回って「姿のない敵」と戦ってやろうとしていたわけです。考えてみれば、幼稚でいささか危なっかしいことをしていたものです。でも、あれは瞑想というものではなかった。自分自身が怨念の阿修羅のような姿になっていたかもしれません。

今、こうして瞑想の指導をずいぶんさせてもらっていますが、これといって定まった瞑想のメソッドを確立したとはいえない。しかしながら、心をどんどん静めていく、という事についてのテクニックはかなり深めていますし、自信をもって教えています。人それぞれが瞑想をどのように解釈し、いかに各自の人生の課題を解くことに応用していくのか。それは個々にまったく方法論が違ってしかるべきかと思っています。

私がとにかくマンツーマンの指導にこだわっているのは、個々に使うべきテクニックも向かうべき方向も違うから当然のことなのです。そして、瞑想に関するセミナーやトレーニングのメニューについて内容の詳細をけして公にしないのは、公にすべきものがほとんどないからなのです。多くの人にとって参考になるものがあればどんどん広めていこうと思います。が、そこまで不特定多数の人にとって公共性の高い技法というものをいまだ確立し得ない。より多くの人、ということなら個別指導の内容を広めていくのではなく、最初から多くの人の為に役立つ「なにか」を開発し、告知していく方向にむけて努力しているでしょう。もちろん、そういった活動も考えています。これから少しずつ広げていけるのではないかと思っていますよ。ただ、すごく時間がかかるのでは…ということもあるので、なんともお約束もしにくいのです。

お題をちょっといい話、としたのはこんなふうに瞑想について一生懸命にとりくんでくださっている生徒さんが増えてきた、ということがただシンプルにそのことが私にとってはとても嬉しいことだったから。。。

ビジネス(転職、職場の人間関係)に関するアドバイス

ビジネスに関することのみでご相談にいらっしゃる方も年々増えてきました。経営者の方(一般企業、美容、医療福祉、サービス、飲食、娯楽など業種は実に様々です)も多いですし、進路をまだ決めかねている学生さん、男女問わず若い世代の人達、まだまだこれからという現役ばりばりの世代の人達、パート勤めにでたい主婦の方、派遣でお勤めの方…。この世で一通りの職種の方のご相談をお受けしています(他には私と同業の方や芸術・スポーツ・報道関係の方もおみえになります)。

転職に関するご相談であれば、もし具体的に勤め先に候補がある場合は「会社名」と「住所」がわかれば大丈夫です。まだ決まっていない場合は業種、勤務地についてお伺いします。

もし医療関係の場合は勤務先と配属部署まで絞り込んでご相談いただくと、かなり的確なアドバイスが可能です(もう少し具体的にいうと、看護師さんで勤務先を変えたい場合、病院名と配属先をお知らせいただけるとはっきりした答えをお伝えできます)。

また、職場を辞した後にお気落ちを整理できない場合もそこから学ぶべきものについて紐解くことは可能です。

現在の職場での人間関係、または取引先の企業(担当者)との相性や将来の発展性についてのご相談もお受けしています。

学業(幼稚園〜大学院まで)についても同様にお手伝いできます。

※霊視する対象の企業・団体・個人名を明らかにできない事情がある場合はおよその住所と業種、事業規模だけわかれば結構です。
※取引先についての霊視をご希望の場合、名刺(あるいはコピー)をお持ちになっても結構です。 

ご感想メール

最近、レイキや瞑想のトレーニングを受けてくださった方からご感想をいただきました。
受講後に感じてくださった事、日々実践するなかであらわれた効果について…。自然体で楽しみながらとりくんでいただいている様子が目に浮かびました。どんな贈り物にも勝るうれしいメッセージでした。このサロンで学んでくださったことがそれぞれの生活の糧になっていくことが私自身でも実感できてこんなに嬉しいことはありませんし、とても励みになります。

ご感想をお寄せくださった方、ありがとうございました。

これからも精進します。

レイキの実践

レイキの進度という記事をかいたので、続きです。

レイキのセミナー(時に瞑想が主体だったり、ヒーリングの実践だったり内容には幅があります)を開催するようになって、まる9年たちました。サロンを開設する前からセミナーは開始していましたので。その間、本当にたくさんの人達とお手合わせをさせていただきました。ご参加くださった皆さんには心から感謝しています。

長い年月、セミナーを開いてきて、実はすごく悩みの種だったことがあります。それはセミナーにたくさん通ってくださる方が必ずしもヒーリングが上達するわけではない、ということです。ヒーリングを実践的に学ぶ場なのですが、実際のところ集う人達には技量の差もあれば、なによりも「人生の方針の違い」が存在します。そこが難しいところなのです。というのは、レイキのエネルギーには「必要なだけその人を癒し、導き、気づきを与える」という特徴があるのです。つまり、どんなにセミナーに出席回数をこなしても、その人が気づける以上の気づきはないのです。レイキの技法は非常にシンプルで、さほど教えるべきこともありません(こんなことを書いてしまうと元も子もない感じですね、でも実際にそうなんです)。でも、私のサロンではいろいろと発展させた内容の技法も教えています。が、それはあくまでレイキを私なりにアレンジし、発展させ、もっと進度をあげたい人の為に特別に用意したメニューなのです。でも、通常のレイキ講習で教えている技法はセミナーではさほど発展させたものを教えることはしません。なぜなら生徒さんの間に混乱を与えるだけですので。何年後にいらしても、できるだけ基本は変えないで安定した流れを維持しておきたいのです。そうでなければ、将来教師になった人達が教える時に、お互いに溝が生じてしまってはサポートしあうことができませんし、行き来する生徒さんを路頭に迷わせてしまうことも考えられます。ですから、教える内容を安易に変えることはできるだけ避けたいのです。

セミナーに何度いらしていただいても、実践していただくことは同じなのです。でも、そこで腕をめきめきとあげる人と、そうでもない人の開きがどこで出てくるのか…。それは自分なりにどれだけ実践を積んでいくか、という点なのです。

今まで、もっとも熱心な生徒さんだった方は最初の数年間は月に一度ぐらいのペースでセミナーに通ってこられました。でも一方で毎日のように家族、クライアントさん、そして自分にもヒーリングをほどこしていました。その方には3年ぐらいたった頃にはもうなにも教えることがなくなっていて、今では私のほうが教えられることがあるぐらい、完全に肩をならべるほどの教師にまでなった方がいらっしゃいます。あるいは、数年に一度ぐらい顔をだしてくださる方もいらっしゃいますが、自分なりにできるだけ実践を積んでいると、その間にしっかりと感覚も磨かれていますし、オーラもしっかりと変化しているものなのです。

前回の記事でも書いた通り、レイキをいかに学ぶのか、それはすなわち「人生において魂をいかに磨き上げるのか」と同義なのです。

基本的な技術については3年ぐらいの実践でしっかりした教師になれます。が、たとえば瞑想をすごく上手に指導できるようになれるかどうかについては、レイキの基本からは少し離れた発展的な内容ですから、特別なレッスンを受けていただく必要があります。よいレイキの教師=よい瞑想の教師ではけしてありません。また、呼吸法の指導についても、レイキで用いる非常にシンプルな呼吸法以外の、たとえば特定のチャクラを活性化するような技法についてもやはりレイキの枠からは、かなり外れていますので、こういった内容はすべて個人レッスンで修得していただいています。

何人かの教師の人達には、それらの特別レッスンを何度も受けていただいているのです。その人達がどうしてレイキを自由に応用できるようになったのか、というと、レイキのセミナー以外にも、かなり頻繁に個人レッスンを受けていただいたからなのです。そういった事は学んでくださった人達の個人情報ですから私のほうでは開示しませんが、知りたい方はご本人に尋ねてみてください。いったいどれぐらいの年月、個人レッスンで私の指導を受けたのか。きっと、びっくりすることと思います。