聖なる道

カウンセラーやセラピスト志望の方がたくさん集まってくださるようになって、そのことはとても嬉しいし、とても教えがいもあって充実感を感じます。一方で、興味本位としか思われない問い合わせもあって対応に苦慮することもないわけではありません。

私がやっていることは率直に霊能者育成なのであって、技術論は二の次です。霊的な回路がひらかれてないと人の為に研ぎ澄まされた直感をいかした対応はできないわけです。その素質を見抜くのが私の大切な使命の一つです。素質があれば霊的な回路をつかった「情報の送受信」ができます。そこから先は、現実論になっていきます。現実論ももちろん非常に大切です。どのように人と向き合っていくのか。自分のサロンを持つとなりますと、そこから先はラーメン店やカフェを開くとの同義。世間一般の人達とまったく同じ苦労を背負うことになります。加えて、継続的に修行も続けなければ能力は伸びませんから、並大抵の苦労ではありません。それだけの覚悟をしっかりとしていただくことが「絶対条件」になるわけですが、それでもやらねばならぬ、という責任感と自負をもった方を選び抜いていきます。

人にはそれぞれ適した生きかたがあります。自分らしい、自然な日々のありかた。それを見つけることはさほど難しい事ではないはずです。産まれそだった環境、今日までの人生の流れ。そこからあまりにも逸脱することはとても不自然だし、エネルギーをたくさん消耗します。

私自身もふりかえれば、いくら幼少期から霊感があった、家庭環境のなかで先祖を供養したり霊能者に相談することは日常だったとはいえ、社会的には一家そろって「霊的なもの」をひた隠しにしてきました。とても辛く、苦しい家族の記憶があります。それは差別だったり、いじめだったり。言葉にはいえないとても切ない記憶を私たち一家は背負って生きてきました。

大学こそ中退しましたが、私が無事に社会人になってそれなりに出世をした様子をみて両親、兄弟はどんなに安心していたことでしょうか。が、30代半ばで悪夢のような霊現象がふたたび自分に起きるようになり、それを思い余って母親に打ち明けた時のなんともやるせない表情を、私は永遠に忘れることはできないでしょう。なぜ、神様はこんなにも私や家族を追いつめるのだろう。なぜこのような試練をお与えになるのだろう。その疑問、その怒りはどこにも、誰にもぶつけることができませんでした。そして40歳を目前にそれまでに築いた社会性を捨てて、霊能者として生きる道を選んでしまいました。すべてゼロになりました。貯金も、友達も。そこから立ち上がる為に膨大なエネルギーを消耗しました。老いた両親にふたたび心配をかけました。なんとも罪深い生き方だと思います。

ですから、無駄に霊的な世界に足をふみいれたり、生半可な気持ちでのぞき見ようとする人達を、私は断固として拒絶し、戒めてきました。これからも一層、それは強くはっきりと申し上げていくでしょう。

それほどまでに辛く、厳しい生きかたです。霊的な世界と関わる、ということは本来の人間には必要のないことであり、そういった生きかたを求められている人は原則としてはいないのですから。

でも、時に神様は地上に聖霊と共に歩む人材をお望みになります。聖霊と共に…ということは、聖なるものではない霊魂を見極める必要があるのだし、その対処がすべてできなければならない、ということです。

私が聖霊と共にみなさんを祝福する時、それは皆さんは光と共に未来へ歩み進んでいけるということです。邪悪なものと対峙し、それらと向き合い、あらゆる霊界のさまざまなゆらぎや不調和から解放する技術を一生かけて学んできました。いつも、私のなかには聖霊があり、皆さんと向き合いたいと願っています。そして、そのように生きてみたい「聖霊の末裔」である魂を宿した方を更に見いだし、育成していくことは私が神様と約束をした非常に大切な使命なんです。

人の生きかたを私は最大限に尊重します。けして裁いたり、コントロールしたりしません。聖なる生きかたができるかどうか。その判断は聖霊がするのです。

憎しみについて

人を憎む気持ちは、いつのまにか心のいたるところにはびこります。
気付かないうちに、心が「憎しみ」の毒気にやられ、憎んでいないつもりでも、考え方や、判断や、行動そのものまでもが「憎しみ」に満ちたそれに近づいていくことがあるものです。

憎しみというオーラにとても敏感なタイプの人がいます。
友愛の精神がとても強くて、奉仕をしたいという願望が潜在的にある人は、えてして人を憎んでしまう自分をみいだすと、そのことで非常に強い罪悪感をいだく傾向にあるようです。

憎しみの波動が心の隅々にゆきわたってしまいますと、自分自身の安住の地をこの世に見いだせなくなってしまいます。目にみえるものがすべて自分を責めるように見える。耳にきこえるものがすべて自分をおいつめるようにきこえる。食べるもの、ふれるもの、感じるものすべてが自分を攻撃してくるように思えてしまう。それは、自分が全身から人を憎むオーラを発してしまっているからなのかもしれません。

あまりひどく追いつめられた感覚になってしまったらもはやどんな手段をもってしてもなかなか自分を取り戻すことができないかもしれません。一度、冷静になって自分をみつめてみる必用があるでしょう。思い切った手段に出たほうがいいこともあります。仕事を変える、環境を変える、新しい土地に移り住む…。自分をすっかり見失ってしまうぐらいなら、それぐらいの転換をはかったほうが吉とでる場合もあるものです。

人生、時には基礎を掘り返すほどの大きな工事が必用になることだってあるものです。

大切な人の愛しかた(2)

この記事も、最初の投稿がちょっと書き足りなかったので補足しておきましょう。

前回は男性は女性に対する気持ちの表現について、もの足りたいといったコメントをしました。また、男性からの恋愛相談は以外と少ないということも書きました。

そもそもご相談をお受けする比率は女性のほうが圧倒的に多いです。ですから、どうしても女性の目線に偏りがちかもしれません。でも、女性からのご相談があればお互いの関係性を霊視して、相手がどう思っているかを読み取りますので。どちらの立場にも偏らず、公平な目線は心がけています。でも、ご相談にいらした方の味方である、という姿勢は当然ですから。そこは偏ってもいいでしょう。

さて、だとしてもやはり自分はこの世の男性は、もっと女性に対する「思いやり」を形にする努力をして欲しい。シンプルにそう思います。ひとつ強調したいのは、女性の「感情」を受け止める力をもって欲しいということ。女性は守らねばならないものがあります。ゆえに不安やストレスを自分で抱え切れなくなりますと解放せざるをえないのです。ですから、奇麗に着飾ったり、メークに凝ったり、可愛らしいアクセサリーを集めたり、見て香って楽しい食べ物にひかれたり…。いろいろな刺激が必用です。それでもどうしようもなくなると、やはり男性にしっかりと抱き留めてもらいたい、という側面が現れてきます。これは自然の法則のようなもので、どんな女性にも普通にそなわっている「標準装備の機能」のようなもの。これに関しては、さほど個人差はないようです。男性がこれに慣れるのは大変ですが、なんとかして慣れて欲しいなぁとつくづく思うのです。

几帳面でまじめで、そして「理知的」に考えすぎる傾向のある男性もけっこういらっしゃいます。相手の感情を理性で受け止めようとしても、かみ合わないし、お互いにストレスの鉾先をただぶつけあうだけで、双方にメリットがないばかりか、二人とも疲れていくばかり…。感情のキャッチボールを上手にやれるようになるには、それなりの年数が必用なので、ある程度、しっかり付き合っていきながらなじんでいって欲しいものです。案外、十代の若者のほうがこういった事にはたけているのでは?と思うことも多いです。

レイキの効用(2)

レイキの効用という記事を書いたので、今日はその続きを。

レイキに出会い、学び、教えはじめてから早いものでもう9年目です。少しずつ裾野がひろがっていることを感じますが、どれほど理解されているのだろうかと考えると、あまりわかってもらえていないようです。そのあたりを自分の経験から少し書いてみます。

レイキは戦前に、国内でかなり浸透していた「癒しの技法」で、民間療法としてもっぱら東京で地道に実践されていました。当時はレイキの治療院があって、一人の診療に二人のヒーラーがつく、というスタイルで連日患者でにぎわっていました。当時の師範は大戦の直前に亡くなり、戦後は後継者が現れず、レイキはそのまま封印されてしまいます。幸い、ハワイに移住した三代目の師範から伝わったレイキが90年代に入って日本国内に再びもたらされました。そして、不定期でセミナーが開催されるようになりました。当時、私もそのセミナー情報を目にして、非常に「心にふれるもの」をなにかしら感じていましたが、セミナーの告知内容があまりしっくりこなくて見送っていました。でも「もし、これが本物だったら素晴らしいのに」という期待感を持たせるものだったので、なかなか忘れることができずにいました。魅力を感じた点は「誰でも必ず習得できる」という点でした。しかしながら、もう少しふみこんだ説明が欲しかったのですが、それについて明示されておらず、二の足をふんだのです。それから更に数年間は学ぶ機会が巡ってきませんでした。

あの時、二の足を踏んだ自分が求めていた「説明」というのは…
1)なぜ人から人へ「普遍的なエネルギー」を伝えることが可能なのか
2)「レイキの根源」はなんなのか
3)誰でも必ず癒しのパワーを開花させられる、ということはあり得ないのではないか

おおきく分けるとこの3点でした。
これらの詳しい説明は、今、私自身は講習の際にしています。また、次世代のレイキマスターの人達にも、なるべくシンプルに説明してもらえるように、マスター向けのセミナーで啓発につとめていこうと思っています。長い間、疑問だったこの3点について、この9年の間に霊界の初代にも導きを得ながら、自分なりの答えを模索してきました。やっと次の世代のマスター達にゆだねていけるシンプルで明解な回答を得ました。

詳しいことははぶきますが、ここでは「レイキの根源」には「無限の愛」がある、ということだけ書き留めておきましょう。レイキを学ぶこと、すなわち無限の愛を学ぶことに等しいのです。

もう一ついえることは、親鸞聖人の生き方がそうであったように、初代の臼井先生もまったく同じであったように。愛ある行いを貫いた人があり、その生き様という重みがあり、多くの人が本当に救われてきたという「成果」がある。この基盤に立脚し、その行いをただ受け継ぐことがこれからレイキを学ぶ人には求められていると思います。

残念ながら、初代の臼井先生についてはその人となり、どんな人生であったのかということは詳しい情報がほとんど残っていません。たった80年前のことなのに、もはや伝説のような人になってしまいました。混乱の時代でしたので、仕方がないかもしれません。しかし、臼井先生の短い遺言のなかに、無数のヒントがあり、そこから私たちはレイキの根源にたどりつく幾つかの道筋をたどることは今でも十分に可能です。けして険しい登山ではないので、気軽にトレッキングに集っていただくような感覚で、レイキの道を進んでいかれることもまた、趣のある人生となることでしょう。

山登りがそうであるように、出向いてみないと本当のところがわからない、ということはこの世にはあまたありますよね。

行者だった頃。

師について霊的な修行を積んだ最後の時期。もうあれから十数年。山伏のいでたちで、ホラ貝をふいて、真言をとなえ印をむすび、護摩を焚き、加持祈祷をしていました(前世で、ではなく、本当に…そういう修行をしていました)。当時はまだ会社に所属してゲームを作っていましたし、自分でも音楽を担当するタイトルも持っていたり…。一作世にでると何十万人という人が自分の音楽をききながらゲームをプレイするのですが、気の抜けない仕事でした。その傍らで修行を積んでいたので、いったいどこにそんな時間やエネルギーがあったのだろうかと、ふりかえるだに不思議な気さえします。やはり若さ故ということは大きいでしょう。でも、けっこう遊んでもいたしなぁ…。人よりはひょっとしたらパワーはあったのかしら、と思います。

当時の写真も若干、残っていたりしますが形相がちょっとすさまじい。今と違ってなにか殺気だっていました。そんな時期もあったのだなぁ。当時に比べれば今、これほど穏やかにマイペースで淡々と生きていられるというのは…。これは年の功なのでしょうか。それとも修行の成果でしょうか。両方かもしれません。いずれにしてもこの世に愛があるからであることは間違いありません。あの頃は愛を見失っていました。

言葉を伝えること。

先日、講話会をひらきました。思ったよりも多く方から反響があり、またご感想もいただきました。その節はありがとうございました。

せっかくなら、よりいい形で実現させたいし、必用とされるならずっと続けていきたい。それが本当の本音です。私が伝えようとしているメッセージはとてもシンプルで普遍的なものだと自分では確信があります。しかし、そのシンプルな原理をそのまま伝えようとしても、簡単に伝わらない。なぜなら、自分自身でもこの非常にシンプルでいて、尚且つ崇高で無限の宇宙の根本に関わる真理とでもいったような類いのことを会得するまでに、いったいどれぐらいの年月を重ねてきたのかをふり返ると、一朝一夕に人にわかってもらえようもないと思います。

いつの時代も、なにか普遍性をもったメッセージを伝えようとする人の存在感が浮上するのは、その人の立場が非常に貴重で類をみないものであったり、時代がその存在を重要視しているような場面が多いようです。そして、メッセンジャーその人の生き様という重しがあってこそ、人ははじめて耳を傾け始めるもののようです。なかなか生きているうちは理解されない、ということも歴史のなかでは多々繰り返されてきています。

別に歴史のなかに埋もれていつか誰かが自分を掘り起こしてくれればいいとは思いません。自分自身の未来のことを思いやって流ちょうにかまえていられるほど能天気でもありません。やはり、せっかくこの人生を授かったからには、なんらかの形をあらわしたいと願うのは人の常でしょう。できるだけ、できるところまでがんばってみようと、ごくごく普通に、誰でもがそうであるように「自己実現」ということを願っています。67億分の一の存在として。

人生の重み、さほどのものは持っていません。ちょっと変わった仕事を若い頃やっていました。ちょっとしたヒットも出しました。ピアノも弾きます。CDも出しました。そして、霊能力者です。ここからどう生きるか…。日々の積み重ねを淡々と続け、それが重しとなって人々に少しでもリアルな存在として受け止めていただければありがたいです。

PRIDE

PRIDE(プライド)のことをこの頃、よく考えます。

というのも、自分にもプライドはとても大切なものだったからです。
でも、一方でこの意識のおかげでずいぶん人生、辛かったこともありました。光と影を生み出すということにおいては、このプライドという意識はなかなか強く、堅固な性質を持っていると感じます。

プライドは、とても強い精神性の「要」になります。目的意識とうまく融合すれば、ひたすらまっすぐそこにむかって突進していく。強い精神力を導くものとなり得ます。ところが、その頑強さが、時に周囲との調和を乱します。

プライドは、社会から孤立しても尚、それを甘んじて受け止めて、とらわれず更に突進しようとする意識を作り出します。故に敵を作りやすいわけです。どんなに周囲から理解されずとも、時に攻撃されても、プライドの為に傷ついても、苦しくても、それでも歩みをとめられない。

自分のなかに大きなプライドが存在することに気付かない人も時にいらっしゃいます。男性、女性でいえば女性の方にそれは多いでしょう。男性の場合は、まだ社会的に未成熟な状況にある方も気付いていないことが多いようです。年齢と共に、状況が変化し、そのなかで周囲との関係性から気付いていく人がほとんどです。

プライドをうまく自分のものにできれば人生はとても有意義なものになります。でも、プライドが産み出す闇の側面に流され、打ち負かされてしまうと、とても苦しく孤独な顛末で終わってしまうこともあります。

知恵によって、このプライドについて学び、その性質を理解し、セルフコントロールに長けていっていただきたい。そうすれば、きっと成功できると思うのです。

まだまだこれから。

最近、開業しますというお手紙がご縁のあった人達から届くことがあいつぎ、とても嬉しく思うのです。目標にむかって努力したのはご本人達であって、私たちはほんの裾野で応援させてもらっただけです。それでも、関わった人達が無事に目標に到達できたことを報告してくれる、その気持ちが本当に嬉しいですね。

昨年、一番心に残っている出来事は、会社員時代の直属の部下だった女性から新婚旅行の絵葉書が届いたことでした。みながそれぞれあたらしい人生の門出に立ち、船出していくのは美しい情景だし、本当に素晴らしいことです。

10年前ぐらいをふり返ると、会社員の仕事にも少し煮詰まってきていて、新しい方向性をひそかに模索しはじめていた時期でした。でも、会社の仲間や友人達にはとても自分が霊能者であることをカミングアウトする勇気もなかったし、まったくそのような空気でもなかった。どんな目でみられるかわからないし、なによりも普通じゃない人種として区別されることを非常に怖れていました。率直に、人間としてそれは寂しく、切ないことだからです。ですから、このような時代になる以前、カルト扱いされたり変人扱いされて社会の片隅に追いやられたまっとうな霊能者も多々あったはずなのです。そんな暗黒時代を思えば、今は本当に私たちにとっては生きやすい時代なのです。こうして堂々とブログを書いたりできる時代がくるなんて想像もできませんでした。

ただ、ある種の予言としてまもなくこのような時代になるということはわかっていましたので、本当にわずかに希望を持っていたことは事実です。その予言がなければ、希望も持てず、誰にも言えない苦行を社会の水面下よりずっとしたの暗い地下で淡々と続けていくことは、到底できなかったことでしょう。

自分自身もいくつか今後の時代の流れについて予言は受けとりましたし、ここ数年はまったくその通りの流れになっています。ただ、これから先の時代、予言はもう流行らないことでしょう。そんなことよりも目の前の現実がとても大切ですし、しっかり足元に目を向けていなければなりません。また、そうせざるを得ないいろいろな意味で厳しい時代になってきました。

スピリチュアルというものが目新しい時期はもう終わりました。

これからは、しっかり地に足着けて、現実にそくして「お役に立てる底力をもった霊能者」だけが生き残れる時代でしょう。ただ、なんとなく見えない世界のことがわかるだけでは求めていただけない。現実をどうしたら乗り切れるのか。その方法論について、私たちはいつも議論したり、必用な知恵を編み出したりする努力を積んでいます。

私は去年からひそかに風水を勉強して、もうかなりマスターして日々のセッションにどんどんいかしています。運気を読むリーディング方法も確立できましたから、いわゆる占い、運命鑑定的な手法での対応も可能になりました。それに加えて、これまで通り、守護霊や指導霊、必用があれば大天使やエンジェル達からのメッセージをお伝えしたり、ヒーリングや霊能力開発の指導にも全力をあげていきたい。潜在的な能力を秘めた人達が一日も早く目覚めて、活躍できるように死力を尽くしていきたい。

まだまだ仕事がいっぱいありそうです。ひたすらがんばっていこうと思っています。

初代の言葉。

思想家、宗教家といった初代にあたる人達の言葉は、難解なものです。あの親鸞も、蓮如という弟子があってこそでした。レイキの初代臼井先生も受け継いだ一人の弟子があってこそ、今日ここまでの普及があり得たのです。親鸞が京都での修業中に夢告を得たエピソードなどをふりかえると、臼井先生の生涯とそれとなくダブるものがあり驚かされます。時代を超えて、苦行を重ね、この世の人々の為に生きた二人の聖人。私たちはこの二人に非常に大きな影響を受け、その恩恵にあずかっているのです。

二人の聖人の違いがあるとすれば、親鸞には法然という師があったこと。一方で臼井先生が誰かに師事したという記録はないのです。記録はないだけで、師はあったのかもしれない。けれど、なんとなく思うのは臼井先生は誰にも師事しなかったのではないだろうかということです。なぜなら、自分もそうだから。たくさんの恩人はいます。支えてもらった人、導いてもらった人も。でも、親鸞が法然と共に歩み、まったく同じ信念を共有したように、誰かに師事をしたことはなかったしこれからもしようとは思いません。それは平安後期から八百年という歳月が産み出した時代の違いからくるものでしょう。

臼井先生が鞍馬山で得た夢告はいったいどんなものだったのでしょうか。ひとつの奇跡的な体験が、先生の人生を変え、その後のヒーリング技術を大きく変えました。日本の仏教も親鸞がいなければここまで普及しなかったことでしょう。二人とも、一般民衆の為の普遍的なものを産み出していった人達である、という点が非常に似ているのです。

親鸞は生涯で三度の夢告のなかで菩薩と出会ったといわれます。

実は自分も、すでにこの人生で三度、聖霊に遭遇しました。自分の主たる指導霊となる存在とです。しかも、夢ではなく目覚めたまま、非常にリアルに出会いました。一度目は、手の中に。二度目は心の中に。三度目は全身全霊で対面しました。三度目はあまりに衝撃的で、夢か幻かと疑ったところ、同じ体験が再び繰り返されました。聖霊が身体のなかに入ってくると、波動が高すぎて耐えられなくなりましたから、もう二度と遭遇するのはごめんこうむりたいと思ったものです。

その時に、私という存在はたった一人の小さな存在に過ぎない。そんな当たり前のことを再確認しました。神仏の世界とははるか彼方、かけはなれたところに居る。厳しいけれど、その分離感を認めざるを得なくなったわけです。一方で、いかに距離があるかということを受け止めてしまうと、この世界の限界の枠のなかで生きていかねばならない、そうするしかないと心も定まったのですから、あの聖霊との遭遇は非常に大事な転換期になったといえます。

神はめったやたらに姿形を表わしたりはしないことでしょう。経験から申し上げるならば、神の光にふれることは非常に厳しく、辛い体験です。なぜなら私たちがいかに虚しい存在であるかを思い知らされるだけで、そのまま昇天して光のなかに還ることはできないのですから、その後の喪失感から激しい絶望のどん底につきおとされてしまうのは間違いありません。光は闇を浮上させるので、光に近づけば近づくほど、内なる闇をみつめることになる。その原理に気付いた時に、究極の調和、バランスというものが必用なのだと悟ったのです。絶望の底に落ちるのなら、対極の光をもとめ希望を目指して歩む他はなくなります。それだけの精神力を保っていられれば、光に近づくことはできる。

人生、楽あれば苦ありといいます。魂の修行の道には、光あれば闇あり、ということがいえるでしょう。闇に対峙する方法論を会得すれば、光との調和が得られる。遠回りせずに、魂は進化成長を遂げ、より高次元の波動へとシフトアップできるはずです。

手紙を書くリハビリ

最近は、個人セッションのご依頼が増えてきたので、昔ほど手紙を書く頻度が減りました。ご依頼も公式にはお受けしていない状況ですし、実際のところ多忙で書く時間が全くなくなってしまいました。

先日、久しぶりにメッセージを書きましたが、ちゃんと書けるかどうかちょっとだけ不安になりましたが、無事に産み出せました。まったくやらなくなるといけませんね。少しでもいいから、続けていかなければと思い直しました。機会があれば対応できるように準備しておきたいものです。

手紙は、守護霊さんからだったり、天使や聖霊からのものもあれば、宇宙の法が降ってくることもあるし、予言のような情報が届いたり、様々です。印刷は残さないので、いったいどれぐらい書いたのかわかりませんがファイルは全て残っています。ざっと数百ページはくだらないでしょうか。やはり言葉の情報で届いたものは、緻密だし輪郭がはっきりしますから、解釈もしやすく、読んでいてたくさん得るものがあります。いつか整理する時間がとれるといいのですが。書きかけのまま中断した手紙もたくさんあって、どうなることでしょうか。