ビジネス(転職、職場の人間関係)に関するアドバイス

ビジネスに関することのみでご相談にいらっしゃる方も年々増えてきました。経営者の方(一般企業、美容、医療福祉、サービス、飲食、娯楽など業種は実に様々です)も多いですし、進路をまだ決めかねている学生さん、男女問わず若い世代の人達、まだまだこれからという現役ばりばりの世代の人達、パート勤めにでたい主婦の方、派遣でお勤めの方…。この世で一通りの職種の方のご相談をお受けしています(他には私と同業の方や芸術・スポーツ・報道関係の方もおみえになります)。

転職に関するご相談であれば、もし具体的に勤め先に候補がある場合は「会社名」と「住所」がわかれば大丈夫です。まだ決まっていない場合は業種、勤務地についてお伺いします。

もし医療関係の場合は勤務先と配属部署まで絞り込んでご相談いただくと、かなり的確なアドバイスが可能です(もう少し具体的にいうと、看護師さんで勤務先を変えたい場合、病院名と配属先をお知らせいただけるとはっきりした答えをお伝えできます)。

また、職場を辞した後にお気落ちを整理できない場合もそこから学ぶべきものについて紐解くことは可能です。

現在の職場での人間関係、または取引先の企業(担当者)との相性や将来の発展性についてのご相談もお受けしています。

学業(幼稚園〜大学院まで)についても同様にお手伝いできます。

※霊視する対象の企業・団体・個人名を明らかにできない事情がある場合はおよその住所と業種、事業規模だけわかれば結構です。
※取引先についての霊視をご希望の場合、名刺(あるいはコピー)をお持ちになっても結構です。 

ご感想メール

最近、レイキや瞑想のトレーニングを受けてくださった方からご感想をいただきました。
受講後に感じてくださった事、日々実践するなかであらわれた効果について…。自然体で楽しみながらとりくんでいただいている様子が目に浮かびました。どんな贈り物にも勝るうれしいメッセージでした。このサロンで学んでくださったことがそれぞれの生活の糧になっていくことが私自身でも実感できてこんなに嬉しいことはありませんし、とても励みになります。

ご感想をお寄せくださった方、ありがとうございました。

これからも精進します。

レイキの実践

レイキの進度という記事をかいたので、続きです。

レイキのセミナー(時に瞑想が主体だったり、ヒーリングの実践だったり内容には幅があります)を開催するようになって、まる9年たちました。サロンを開設する前からセミナーは開始していましたので。その間、本当にたくさんの人達とお手合わせをさせていただきました。ご参加くださった皆さんには心から感謝しています。

長い年月、セミナーを開いてきて、実はすごく悩みの種だったことがあります。それはセミナーにたくさん通ってくださる方が必ずしもヒーリングが上達するわけではない、ということです。ヒーリングを実践的に学ぶ場なのですが、実際のところ集う人達には技量の差もあれば、なによりも「人生の方針の違い」が存在します。そこが難しいところなのです。というのは、レイキのエネルギーには「必要なだけその人を癒し、導き、気づきを与える」という特徴があるのです。つまり、どんなにセミナーに出席回数をこなしても、その人が気づける以上の気づきはないのです。レイキの技法は非常にシンプルで、さほど教えるべきこともありません(こんなことを書いてしまうと元も子もない感じですね、でも実際にそうなんです)。でも、私のサロンではいろいろと発展させた内容の技法も教えています。が、それはあくまでレイキを私なりにアレンジし、発展させ、もっと進度をあげたい人の為に特別に用意したメニューなのです。でも、通常のレイキ講習で教えている技法はセミナーではさほど発展させたものを教えることはしません。なぜなら生徒さんの間に混乱を与えるだけですので。何年後にいらしても、できるだけ基本は変えないで安定した流れを維持しておきたいのです。そうでなければ、将来教師になった人達が教える時に、お互いに溝が生じてしまってはサポートしあうことができませんし、行き来する生徒さんを路頭に迷わせてしまうことも考えられます。ですから、教える内容を安易に変えることはできるだけ避けたいのです。

セミナーに何度いらしていただいても、実践していただくことは同じなのです。でも、そこで腕をめきめきとあげる人と、そうでもない人の開きがどこで出てくるのか…。それは自分なりにどれだけ実践を積んでいくか、という点なのです。

今まで、もっとも熱心な生徒さんだった方は最初の数年間は月に一度ぐらいのペースでセミナーに通ってこられました。でも一方で毎日のように家族、クライアントさん、そして自分にもヒーリングをほどこしていました。その方には3年ぐらいたった頃にはもうなにも教えることがなくなっていて、今では私のほうが教えられることがあるぐらい、完全に肩をならべるほどの教師にまでなった方がいらっしゃいます。あるいは、数年に一度ぐらい顔をだしてくださる方もいらっしゃいますが、自分なりにできるだけ実践を積んでいると、その間にしっかりと感覚も磨かれていますし、オーラもしっかりと変化しているものなのです。

前回の記事でも書いた通り、レイキをいかに学ぶのか、それはすなわち「人生において魂をいかに磨き上げるのか」と同義なのです。

基本的な技術については3年ぐらいの実践でしっかりした教師になれます。が、たとえば瞑想をすごく上手に指導できるようになれるかどうかについては、レイキの基本からは少し離れた発展的な内容ですから、特別なレッスンを受けていただく必要があります。よいレイキの教師=よい瞑想の教師ではけしてありません。また、呼吸法の指導についても、レイキで用いる非常にシンプルな呼吸法以外の、たとえば特定のチャクラを活性化するような技法についてもやはりレイキの枠からは、かなり外れていますので、こういった内容はすべて個人レッスンで修得していただいています。

何人かの教師の人達には、それらの特別レッスンを何度も受けていただいているのです。その人達がどうしてレイキを自由に応用できるようになったのか、というと、レイキのセミナー以外にも、かなり頻繁に個人レッスンを受けていただいたからなのです。そういった事は学んでくださった人達の個人情報ですから私のほうでは開示しませんが、知りたい方はご本人に尋ねてみてください。いったいどれぐらいの年月、個人レッスンで私の指導を受けたのか。きっと、びっくりすることと思います。

魂の就職活動

地上でも「就活」という言葉があります。企業訪問、面接や試験をこなすことです。もっと本質的なことをいえば自分をアピールすることであり、認めてもらうことでしょう。まったく同じことを魂は霊界でもやっています。皆さんも、この人生で生まれ変わる前に随分たくさんの準備をしてきたのです。それがいわば霊界での就活。そしていよいよ就職がきまりフレッシュな社会人としての一歩を踏み出す…それが転生するという段階にあたります。

生まれ変わる以前にどれだけがんばって就活をしたか、それによってスタートはかわってきます。生まれ変わる土地、環境、出会う家族や友人、現実の就職、結婚、人生のあらゆるイベントの内容ががらりと違ってきます。霊界での就活でも履歴書に相当する魂の輪廻の経験値が重要視されます。前世での暮らしぶりで、もっとも評価されるのが「自己アピールの欄」なのです。「次の転生でどのように活躍したいのか」という質問があり、それにどれだけアピールできるかが鍵です。

レイキの進度

レイキを実践しはじめてかれこれ十年。私の場合は実践すなわち教える事でした。今おもえば…よく思い切ったものですが、瞑想のワークなどはすでに開催していたのでさほど不自然なことではありませんでした。なにかの集いを企画して人を集めることはある程度、慣れていたので。コンサートはすべて自主運営でしたから、それに比べれば瞑想会にしても、レイキの講習会にしても実施することはさほど難しくはありませんでした。が、教えている内容の基本はかわりませんが、自分の意識はおおきく変わりました。十年間レイキの実践をとおして感じてきたことの蓄積があります。ですから今、レイキを学びはじめた人達、教える側にたった人達、自分や家族の為に淡々と実践している人達に、経験からお伝えできることがずいぶん増えました。また、あまり脱線はしないように注意していますが、スピリチュアルな観点からレイキとどのように向き合うべきか、という信念も確立しましたので、セミナーでお話しさせていただくことはあくまでもレイキの技法の枠にはめていますが自分としては宇宙の真理にのっとった「人があるべき道」を示しているつもりです。

ずいぶん多くの方が勉強にこられています。また、今日までにたくさんの教師を育成しました。今月も来月もティーチャーになる方がいらっしゃいます。人それぞれ様々な段階を迎えています。

レイキの進度についていえることは、それがそのままその人の魂の学びの段階である、ということです。レイキを修得すると身体が変化します。心も変わります。意識も変容します。そのさまざまな変化の流れのなかで、魂は磨かれ発展し、成長を遂げます。ただどのように変化し、どのように魂がみがかれていくのか。それは人それぞれ皆、違うのです。ただ、ちゃんと順番に次ぎの段階がやってくるようになっていますね。

ですからレイキの技法の枠にあてはめて自分の進度を自分の我で推し量ってはいけないのです。人よりも勉強が足りない、経験がたりない、という考えは持つ必要はありません。クラシックバレエの世界とは違います。他人の何倍も練習してなんぼ、高名な先生のレッスンを受けてなんぼの世界ではないわけです。レイキはその人の魂によりそい、あくまでも調和のもとに発展へと導きます。自然に次の段階がやってきます。

自分は人よりもヒーリングが上手だとか、下手だとか、レベル1だからまだまだなのだとか、レベル3だからすごいんだとか。そういうことは全く関係なく、その人の魂はあるべくして人生の進度をひとつひとつ歩まされるものなのです。

就職活動

就職活動中の学生さんからの相談をお受けすることもあります。積み重ねてきた学業との兼ね合いもふくめて、これからの展望がどう開けるのかいろいろなことが気にかかる時期です。北海道は今、経済的にはとても厳しく学生さんにとっても思うように内定がもらえず苦労している方も多いようです。がんばってほしいところです。もし道内にこだわらないのであれば、一度道外に出てみることも強くおすすめします。

自分の場合は社会に出てから在籍したのは一社だけ(そこに18年居続けました)。丁度バブルをはさんでその前後、一番波の高低差があるダイナミックな時期を思い切り味わいました。上向いていくにせよ、低迷するにせよ、かなり大きな動きでしたのでそれはそれで思う存分やり尽くしたという感があり悔いは残っていません。自分の仕事に関していえば大ヒット作も作ったけれど、大赤字も出しました。両方あってご破算で終えたというところでしょうか。会社には大きな恩もありましたがその分、本当に必死で働いたので貸しも作ったと感じていました。でも最後に赤字をだして丁度相殺されて貸し借りゼロになった気がします。全国に支社もあったので東京にもしばらく在籍しました。札幌に戻ってからも業務上の打ち合わせ(自分の場合は音楽ディレクターだったので作曲家や制作プロダクションとのミーティングがほとんどでした)も多く、パニック障害をもっていたので乗り物は本当に辛かったのに月2〜3回東京に出張が続く時期もありました。調子は悪かったとはいえ、若さ故でしょう、体力だけはあったのかもしれません。年に1〜2度激しい腰痛になったり風邪をひくことも多々。お腹もよくこわしたし今からおもえば実に不健康でした。30代後半はスポーツを心がけていたのに…それでも心身のバランスはすごく悪かったんです。基本的にすごく無理をして暮らしていたのだと思います(翌朝通常出勤なのに午前4時に帰宅、なんて日々が続いた事も…)。それだけ取り組みがいのあるいつも緊張感がただよう職場だったので、忙しくても辛くても大変でも、それに見合う達成感は得られていました。いい仲間にも恵まれて幸せでした。海外でのレコーディングも実現できたし、本当に悔いの残らない走り抜けた20〜30代でした。

東京で人に会うとよく自分が勤めている会社について、北海道についての評判をきかされたものです。一言でいえば、とても羨ましがられたんです。北海道来たことのない人は是非行きたいといいました。来たことのある人は北海道に住めてこうして東京に不便なく出向いてこれる仕事ができるなんて素晴らしいと称賛されました。札幌から東京に出向く時は自宅から空港まで車で行きます(高速だと1時間ほど)。午前の便に乗れば午後いちの打ち合わせには間に合います。午後からミーティングをこなして、たいていは目黒に泊まって(そこでよく友人と落ち合って飲んだものです)翌日も仕事をこなして羽田から夕方の便に乗ると2時間半後には自宅です。PDの症状は離陸時に出やすかったので、そこさえ乗り切ればなんとかなったんです。そんな東京までの通勤事情も嫉妬の対象になっていたようです。東京の通勤ラッシュや住宅事情(マンション事情)からすれば、北海道のそれは天地ほどの差があります。どちらがいいということではないにせよ、羨ましいなぁと口をつく要素はたしかに多いでしょう。

東京では北海道では出会えない業界の人達や、さまざまな場所に出向くことができました。プレステの仕事もあったのでソニーにも行きました。オフィスも働いている人もかっこよくて、憧れましたね(笑)。でも札幌に帰ってくると、やっぱりここがいいな、と毎回必ず思いました。東京には魅力がいっぱいあるし、素敵な人達も、憧れる企業も無数にある。でもやっぱりそこに居続けたいとは思わない。千歳空港について飛行機からでた時のひんやりとしてさわかやな空気を吸うたびに帰ってこれてよかったと思うんです。なにがあってもこの土地でがんばっていこう。何年も繰り返してもその気持ちは変わらなかったし、その意識が今ではすっかり定着してしまいました。この土地から出なくても暮らしていけるんならそれでも十分。実家は函館の津軽海峡を見渡せる高台にあります。最近は見通しが悪くなりましたが自分が住んでいたころは、窓から海峡に浮ぶいさり火が見えました。手前側の灯のずっと向こうにも白い光が点々とみえる。遠いほうは青森のいか釣り船の灯なんです。いつも海をへだてて本州の灯を見つめていたので「内地(北海道用語で本州)」に対する漠然とした憧れを持って育ったのかもしれません。

東京支社に在籍していた頃は体調はおもわしくなかったし、友達もお金もなかったので(楽器のローンがわんさか残っていて…)、なにもすることもなく、ただ生きていくだけで精一杯でぎりぎりで暮らしていました。でも、少しずつ人の輪ができていって、休みの日に遊びに連れていってもらえることもありました。でもほとんどは寝て過ごしたり、吉祥寺までぶらっと歩いていって井の頭公園を一周して駅前で思い切ってトンカツを食べたら最高の贅沢な休日でしたっけ。それでも、北海道にはない空気や人や食べ物や土地や風景に触れて自分の感性はすごく磨かれたと思います。そしてますます北海道が好きになっていったんです。

外にでて見えるものもたくさんあるし、やっぱり経済の中心は東京だったり関西だったり内地のそこかしこにあります。北海道は経済のバイブレーションでいえばいまだ国に庇護されなければ自立できない地方でしかない。国に借りがあるということは日本中の人に借りがあるようなもの。これからはお返しをしていくような気持ちをもってこの土地を盛り上げ、独立国家をつくりあげるぐらいの勢いが必要。それだけの意気込みをもっている若者だったらこの土地の神様も強く応援してくださると思うのです。

よく学生さんには大志を抱け、とげきをとばします。大志とは、この土地を愛し、人を愛し、そして自分を磨き、土地の人達とともに自立して大きくなれ、という意味での大志です。稼ぐ為には人間の器をできるだけ大きく磨き上げる必要があります。学業も大事ですが、若いうちに外にでて一番レベルの高い土地でテンションの高い人達にもまれる体験も不可欠ではないでしょうか。もしそんな機会が得られるなら強く求めてつかみとって欲しいんです。目先の安定や保証など求めないでほしい。よもや定年まで居られたら、などと夢の無い気持ちで企業面接に出向いて欲しくないんです。希望の種は自分でまいて育てましょう。私たちの先人の苦労を思いだし、フロンティア精神を復活させ、勇気をふりしぼって新しい未来へつきすすんで欲しいんです。

人のふり見て我がふり直せ

人のふり見て我がふり直せ、とことわざにあります。
当人の問題でないことでも、ご夫婦、親子、恋人、仕事といったご自身に直接利害関係がある場合は間接的なご相談でもお受けしています。周囲の人間関係とどう向き合えばよいのか、というご依頼はかなりの数にのぼります。身内の問題については、ほとんどが本人が気づきをうながされているのです。親子の問題にせよ、夫婦の問題にせよ、相手の悪いところを取り上げてどうしたら直せるのか、という問いかけの場合、ご本人が向き合うべき自分の問題から目をそむけている場合がほとんどです。
あなたが誰かのふるまいをみて「この人はどうしてこうなんだろう、どうしたらよくなるんだろう」と考えるとき、神様もあなたを同じ気持ちでみているのかもしれませんよ。

自分の親の事であれば、一線をひいて考えることはさほど難しくないかもしれない。自分の妻や夫のことであれば、お互い様なのだからやはり自分にも改善すべき点があるかもしれないと考えることは簡単ではなくてもできるかもしれない。もし、自分の子供に対する気持ちであれば、親としてかばったり守ろうとするのは当然なので自分が変わるべきだとはなかなか考えにくいかもしれません。でも、子供は自分の鏡でもあるのです。子育てを通じて親もまた成長していかなければなりません。親として世間人並みなことをしていればそれでよい、というわけでもないのです。人それぞれ到達すべき人生の目標地点は違うのですから。

時代の変わり目

ランディさんが今日のブログで、最近の若者の「先を読む癖」について書いていた。実はずっと感じていたことだったので、なるほどと思った。

昔の人は「腹のさぐりあい」という言葉があるように、腹でものを考え、コミニュケーションをしていた。「腹がすわる」とか「肝いり」という言葉もある。どちらも身体の部位でいえば、みぞおちのあたりだろう。自分の世代や少し上の世代の人は平均すると「腹」とか「肝」のあたりでものを考えながら人と関わり合っている。ところが最近の若い人は特に、そして小学生でもそうなのだが、考える部位が「腹」ではなく「胸から上」なのである。

これは人のオーラをみていると人間関係のストレスが身体のある部位に集中して現れるのでそれを見ていて気づいたことなのだ。この傾向はこれからますます顕著になっていくここと思う。胸から上でものを考えると、これから起きるかもしれないことをすごく長い目で受け止めてしまう。つまり目の前にあることよりも、遠い将来に起きるであろう「不調和」をすごく怖れるようになる。なぜこうなるかというと、因果応報の法則にすごく敏感になってきていることがひとつの理由になっている。

因果応報の法則というのは、人を傷つければそれが巡り巡って自分に災いとなってかえってくる、というものだ。腹でものを考え、人と関わると「腹のあたりで共鳴する波長で因果応報の法則が作用する」のである。それに慣れれば、それに打たれ強くなる。だが、腹のあたりの波長というのは、その場限りのもので、長く継続的な波長ではない。昨日は昨日、今日は今日なのである。明日は明日の風がふく、という気ままな暮らしが成り立つ時代ならばそれでもよいが、現代はそれでは明日がないと感じる人が増えてきた。今日の平安よりも、できれば明日も明後日も穏やかでいられるほうを選ぶ。時代が変わってきたということもあるし、遠い未来になかなか希望がもてない空気もあるだろう。長中期的な視野で「おだやかに」人と関わっていたいと考える。そうすると、「胸」のあたり、あるいは「喉」や「頭」の周辺でものを考えて人と関わるようになる。身体の上のほうで考える波長というのは、つきつめれば自分の人生全体を意識するようになるし、もっといえば自分の孫子の世代のことまで考える波長である。だから、自分自身のことだけでなく、自分の家族や遠い未来の子孫のことまでなんとなく視野にいれたうえで、常にものを考え、人と関わろうとする。そうすると「なにごとにおいてもことなかれ主義」になる傾向にはなるだろう。今日、明日の刹那的なことはひとまずこらえる。それよりも、もっと遠い未来に「利得」が得られるような方向でものごとをとらえ、判断し、人との関わり方を考え、定めていこうとするようになる。

ただ、こういった感覚を磨いて現実生活が充実するように適応させていくことは簡単ではないだろう。なぜなら、今の子供達には手本になるような大人が多くはないのだから。

昨年からの流れ

昨年ぐらいから、ご相談のテーマに転職、開業が増えてきました。これまでも転職に関する相談はありましたが、ご依頼いただく方の年代が上がってきたということ、それから自営業、役員の方からのご相談をいただくようになりました。幹部候補で抜擢されるような方からのご依頼はその方が担うであろう生活や仕事の波及効果を考えると、大変な決断です。それをお任せいただけることは、とても嬉しい反面、心がすくむような緊張をおぼえます。私は学歴に関しても自分という人間に関しても根本的なところで大きなコンプレックスがありました。今でもすっかり消えてなくなったわけではないのです。でも、自分のもてる力が誰かのお役にたてるなら、怖れたりひるんだりしている場合ではない、とも考えるようになりました。答えがあまりにもはっきり見えてしまう時は、迷いも恐れも、どこか遠くへいってしまいます。常にではないにせよ、未来がありありと見える時もあるので…。予知や霊視を非現実ととらえて、あざ笑ったり、拒絶することはどんな時代にもありました。でも私は結果がでればそれでいいじゃないか、と割り切っています。本当は科学的に実証したい。自分だけのひとりよがりではなく、ある程度の能力を備えた人であれば同じ予知や霊視ができるはず。そう信じて、可能性のある人には技術指導もしています。霊感を科学的に証明できる時代はいつかくると信じたいし、そのために今はまず信仰やトリックを完全に払拭して、ガラス張りのカウンセリングを続けていきたいと思うのです。