楽をするかどうか決めるのはあなた

とっても大変だけれど、やりがいのある仕事、充実感も達成感もある。でも消耗するし、ずっとつづけていくのは正直辛いものがある。

いっぽうで、大変さはかわらない、仕事の重みもけして軽いわけでもない。充実感、達成感もしっかりある。消耗もするんだけれど、それ以上に元気になれる、幸せな気持ちになれる。そして、これならずっと続けていけるだろうな、と「はっきりわかる」。

仕事にもしも2つの種類があるとしたら。どちらを選ぶだろうか。

選べるなら「楽なほう」と人は思う。それなのに現実はなかなかそうはならないもの。自分が苦労する分には耐えていけるから、仕方ない。人生とはそんなもの。そう思っている自分がいる限り、なかなか楽にはならない。

ところが、そう考えている人のパートナーにとっても、同じ試練がのしかかってくるとしたら。パートナーは、もう楽な生き方にしたい、すぐにでも切り替えていきたいと願っているのに、自分が意識を切り替えないばかりにパートナーにも辛い人生を歩ませてしまうとしたら。それでも、楽できる人生をあきらめる?

音楽で生きるということ

「ギャラリー門馬」でのウォンさんと及川さんのジョイントコンサートが終了。今年もいつもと違う空間で、違う時間を味わうことができた。

運良く打ち上げにも参加。ミュージシャンがあつまると音楽がはじまる。いろいろな人が少しずつ才能をもっている。面白いな。

音楽は純粋でいい。我が消える。人の内側から生まれ出るもので、こんなに美しくて純粋なものがあるだろうか。特に歌はいい。周りの人みんなが、ああいいな、と思う。

でも、いざステージに立てといわれて、和やかな場、空間、楽しい時間の流れのなかで、あるがまま自然に沸いてくるような声を出せる人がどれだけいるだろうか。

人は依存し合わなければ生きていけない。

自分と誰かがふれあっていて関わりあい、そこから生まれる温度差によって化学反応がおきて歌も生まれる。

まず報酬が、プライドが、条件が、と本質じゃないことが優先したり、誰かに強制されたりして、祭りの音頭のように自然に生まれてくるのではない歌が、はたして人の心をひきつけるものだろうか。

仕事で音楽をやっているとものすごく消耗する。実際、消耗し尽くしたこともある。職業音楽家は苦しいな。自分には向かないと思った。でも音楽は好きだ。好き、というよりも自分の一部だ。それができないのは苦しい。

気づけば、自分もいろんなことを背負ってしまう歳になったのだ。

12歳先輩のウォンさんの力強さと、一方で純粋な表情の両方を垣間みることができるだけで、本当に励みになる。このご縁がなかったら、音楽への情熱をとっくに見失っていただろう。

人はお金の為に生きるのではない

なんて当たり前のこと。
それなのに、いつの間にかとらわれてしまうのがお金のもつ魔力とでもいうのだろうか。
だからこそ、その「魔力」を通じて学びを深めることができる、ということも往々にしてあるもの。
だが、できるだけとらわれないで生きていきたい。

今回の相撲界の不祥事で貴乃花理事が辞職願をだしたそうだ。受理はされなかったらしい。受理されると思ってだしたわけではないだろうが、辞職願を提出することが大切だったのだろう。

人はなにかを強く訴えたい、という時にあえて自分を窮地に追い込むようなことをするものだ。

昔、課長職時代にちょっとした不祥事(と当時の自分では思い込んでいた)をやらかして、職を辞したほうがいいのではないかと悩んだ。が、相談するのはかっこわるいと思ったので「進退伺い」というのを上司につきつけて困らせたことがある。もちろん、そんなものは受け取ってもらえなかったが、それをきっかけに少し話しができたので、気が済んでしまった。自分の場合は、ただ話しをきいてもらいたかった、ということだったのだ。振り返れば幼稚ではずかしい。

また、ある時、給与査定に文句をつけたことがある。その時の自分の言い分は「なぜ今年も年俸があがらないのか。だめな理由があるならちゃんと下げてくれ。少しでもいいというところがあるなら1円でもいいから昇給させろ」というものだった。これもまた思い出すだけでも恥ずかしい。人間は5年も評価されずに放置されていると腐るものだ。当時の会社の言い分は、こんなに高い給料を払っているんだから、ほうっておいても大丈夫なはず、というものだったろう。たしかに自分は扱いにくい人間だったと思う。中途半端にアーティスト気質が強く、組織の中でそれなりにうまく生き延びていて、なんだかんだと仕事の実績は積み上げていたし、自分がいなければ会社が回らないという事も実際に多々あったのだから。傲慢でもあったが、結果はだしていたと思う。実際、かなり高給取りだった。それなのに5年ほうっておかれて、1円でもいいから上げろ、成果がたりないというなら下げてみろ、と因縁をつけたのだった。まったく恩知らずとはこのこと。会社にしてみれば飼い犬に噛まれた気分だったことだろう。

でも、あの時の自分としては本音だった。評価されているからこその立場、役職、給料だった。それがわからなくなるのだ。自分のやっていることがこれでいいのか。何年も評価されないと、次第にやる気が失せてくる。がんばれなくなる。いらいらしてくる。きっと部下にもやつあたりしていたに違いない。ギャンブルこそやらなかったが(いや、ちょっとパチンコはやっていたかも・・・)趣味だなんだと浪費していた気がする。それもこれも、ある種の自己アピールであって、気にかけてほしい、注目されたい、という心の作用からくるものだ。それが積もり積もると、年に一度の給与査定の面談で爆発する。

でも給与を払う側からすれば君の1年間の査定は1円だよ、といえるわけがない。人生のモチベーションをどうしたら得られるのか、という無理難題を相手に委ねていた自分は間違っていたと思う。

スティーブジョブスの給料は1ドルだそうだ。世界で一番いい仕事をしている人のモチベーションはいったいなんなんだろう。それを彼は自分で人生のなかで見つけたんだろう。だから大病をしても、必死で仕事にくらいつき最高の成果を出し続けている。

天才と自分を比べるわけではないが、1円で100%以上の力を出し切れるかな、と考えるとまだまだ未熟な自分がいる。お金はあったほうがいい。時々、パチンコでもやってパッと盛り上がりたい…でも、自分の魂はお金を通じてなにを感じたいのか、なにを学びたいのか。そう考えると「まったく重要ではない」と答えがかえってくる。「お金はあくまで手段であり、道具でしかない。けして振り回されるべきではない。目的や志の介在しないお金は、地面にこぼしたミルクのごとく、本来の力を発揮せずにむなしく消えていくだけ。」

人生は方向性を定め、しっかりと前進していくことが大事だ。心が通じ合うことができないから、言いたいことが通じないから、といってお金のせいにしてはいけないのではないか。でも、日常の自分の心模様、じっと静かにみつめてみると「お金があれば・・・」というつぶやきが幾つ聞こえるだろうか。一度、たしかめてみるといい。

まとまらないが、お金についてふと思った徒然。

学びとは

人はいかにあるべきか。

ひたすら学び続けるべきである、と思います。
そんな厳しい、難しい人生は嫌だよ…と考える人も多い。
どう考えるかは自由です。

でも、魂をもって生まれたわたしたちの命題は「学び」であることは間違いないのです。
もちろん、「学び」のスタイルは無限。どんな方法、スタイルでもいいし、人それぞれのやり方があります。遊んでいるようにみえてもそこに学びがあればいい。

ヒーリングやカウンセリングを「他者にほどこす」ということも、大きな学びになります。学びというと「知識を学ぶ」ことだとか「学校で学ぶ」ものと定義づける方も多いように思いますが、魂の学びというのは「魂が発展成長すること」につながらなければなりません。知識であるとか、学校での学びというのは、魂の成長にとってはあくまでも準備にしか過ぎず、ほんとうの意味で魂が発展成長を遂げる糧になるものは「行い」のなかで得られるものです。

レイキの教えに「業をはげめ」という古い言葉があります。これぞまさしく魂が成長を遂げる為に必要な糧でありましょう。

ではいったいなにが自分にとって「業をはげむこと」なのか。その定義はひとりひとり皆違います。まずは他人と自分を見比べないことからはじめましょう。

より堅実な前進の為に

今月にはいってから「開運」を意識したセッションをこころがけています。
平坦な日々であっても、わたしたちの人生の足元のコンディションは、微妙に変化しています。
それを読み取って、より疲れにくいよに、足をとられないように、上手に歩くことを心がければ自分のペースを見失わず、疲れにくく、故障もせずに日々前進できるもの。

なにも問題がなければないなりに、心がけ、注意すべきことはなにがしか見いだせるものです。

宅配の時間指定とベンサムの功利主義

この頃、外国に商品を注文する機会が増えた。ネットで国内へのオーダーとなんら変りなくできるようになった。少し敷居の高かった個人輸入が非常に簡便で身近になったことはありがたい。昔、個人輸入をはじめたころはオーダー用紙をFAXする為に英文タイプでガチャガチャ打ったりしたものだ。FAXできたとしても届くまで発注手続きが間違っていなかったどうかはわからない。無事に日本に着いても税関で止められたり税金でトラブって先方と英語のFAXをやりとりするはめになったり…苦労が多かった。その当時を思えば、今は英語圏についてはまったく境界がなくなったような感覚だ。ただ一点をのぞいては。

それは「時間指定」ができないということだ。国内の通販については(アマゾンはまだできないが)ほとんどが配送時間指定が可能だが、海外からの荷物はそうはいかない。「時間指定」はとても便利だ。2時間ぐらいの範囲で到着時刻を指定できる。これはすごいことだと思う。一旦この便利さになれると時間指定ができない業者より、時間指定ができる業者を選ぶようになってしまう。

ある時、宅配業者が指定したのと違う時間帯に荷物を持ってきた。できれば来て欲しくないタイミングだったのでクレームをつけたところそれ以後は改善された。北海道の人は全般的にこの程度ならクレームをつけないのではないか。冬の交通事情が悪い時期はどうしても時間通りに届かない。それに慣れていると、たとえ夏でも配送時間がルーズでも「なにか仕方のない理由があるのかもしれない」と考えてしまうのではないか。
北海道人の気質には、困った時にはお互い様というのがあると思う。相手のミスをなんでも受け入れてしまう「甘さ」がある。もちろん支え合っていこうという連帯感からくる「命がけで必須の」甘さだったはずだ。昔は「郵便」が通信、配送のかけがのない手段だった。吹雪の日などは命がけで配達していたことだろう。予定通りに届かないからとクレームをつけることはなかったはずだ。開拓時代のなごりは当然だが、もはやインフラは完成されたのだしこれからはわたしたちは意識を変えていく時期にきているだろう。

だが、どう意識を変えればいいだろうか。
配送時刻が時間指定と違ったら必ずクレームをつけるべし、でいいのか。豪雪の日にそんなクレームをつける人はいないし非常識と思われるだろう。でも、本当にそれは非常識だろうか・・・。

わたしたちはその回答を持たない。でも、なにか共通の概念や倫理観を持つようにしなければいけないのではないだろうか。

こういう時にベンサムの功利主義ではこう考える…などという哲学の時間が小学校にあってもいいんじゃないか。公立では無理でも、私学なら可能だろう。

高校は私立カトリック系だったので毎週1時限だが聖書の時間があった。他にも倫理という授業もあったがかなりカトリックに傾倒していたような気がする。聖書も倫理も、どちらも宗教、思想について学ぶ時間だった。難解な数学よりは興味をもてたが、ありきたりの解釈は正直なところつまらなかった。リアルに自分にとって人生の血肉になるような授業ではなかった。

わたしたちの人生はとても短い。世界中の人に普遍な知識も大事だろうが、今、この北海道で生きていく自分達に価値ある思想や哲学が学べるのなら、とても意義があると思う。

霊感のある人を支えたいという思い

霊感があるおかげで本当に苦しかった。母もそうだったので家族みんなが苦しかった。いつも母は霊障でツラそうでした。それなのに自分までおかしくなるわけにはいかない、と気張って生きていたのですがさすがに30代からはじまった霊障は途方もなくひどくて、自分ひとりではどうにもできなくなり、やはり母親には心配をかけてしまいました。とても親不孝なことをしました。意図しなかったにせよ、霊感なんてもので親を心配させるのは自分の倫理感では許せなかったのです。人並みに学校をでて就職をして安定した暮らしを得ることで安心させるのがなによりの親孝行…と信じていました。でも、やっぱり封じられていたはずの霊感がよみがえってしまい、どうしていいかわからなかった…なんとか霊障を解決したい一心で一大決心をしました。あの決意は自分の人生で最大のものでした。それは霊媒としての修行に取り組む、というもの。それから一心不乱に修行をつみました。滝に打たれ、瞑想をし、祝詞を唱え、神様にお願いをする日々でした。修行は死ぬほど辛かった。でも結果がでたんですね。何年も苦行を積むうちに霊障を振り払うことができましたから…。さまざまな霊力が開花する、というおまけもついてきました。が、本当は霊力なんて欲しくなかった。自分はただ母に心配をかけずに済む、誰にも心配をかけず普通に暮らせる。それだけでもう満足だったのです。霊障を解消できてからは仕事に専念しました。

が、人生というのはわからないものですね。大好きだったゲームを作るという仕事に「飽きてしまった」のです。自分にとっては天職だと思っていたのですが。会社のなかでもいろいろとあって、好きな仕事、お世話になった職場、大切な仲間たち…本当に切ないお別れでしたが会社を辞めることにしたのです。

それからは音楽を作ったり、ヒーリングを教えたり、瞑想を指導するようになり、結局一番磨かれていったのは更にするどく正確な霊視の能力でした。少しずつ相談が舞い込むようになるなかで、やはり出会ってしまうものです。同じように霊感を持っている人に。霊力をもって生まれてしまったが故に苦労して生きている人には、ものすごく共感してしまいます。自分のもてる力で、できるだけ支えたいと思いました。世の中は広い。けっこう霊感のある人はいるものです。

そうこうしているうちに、霊感も多種多様で実に様々なタイプの人がいることもわかってきました。なかには自分よりもずっと鋭いアンテナや分析能力を持っている人もいます。少しずつ横のつながりも増えてきて、もう一人じゃないですね。若い頃のような孤独感はすっかり消えました。必死に努力した甲斐はありました。

これからもきっと若い人達のなかから現れてくると思います。未来の預言者や、人の心や運勢、動物の意識を読み取ってしまう人達が。できる限り応援していこうと思います。

人生はわからないことだらけ

人生は、どうしていいかわからないこと、わりきれないこと、納得いかないこと…だらけ。

もし、人様の人生と向きあおうとする時に、わからないことだらけの人生の命題にどう向きあってあげればいいのか。
カウンセラーとして(というより、人ならばだれでも)その答を模索していることでしょう。

今日のヒーラースクールでは、カウンセリングを実習しました。
人生でよく出会う幾つかのケースを魂のロールプレイを体験し、実際に参加者に味わってもらいながら
答えあわせをしました。

参加者の皆さんにとっては衝撃的な体験だったかもしれないけれど、大きな心の糧になっていくでしょう。
それぞれの持場にもどって、しっかりと人の心を支える役割をになっていってくれることを願っています。

霊媒という肩書はまんざらでもないこと

「霊媒」という言葉をみなさんはどう感じるのでしょう。自分にとっては呪われたキーワードでした。今でこそ笑い飛ばせるのですけれど、子供の頃は忘れたい世界だったのですから。自分のなかでは忌み嫌うナンバーワンの言葉でした。今はどうかといえば、霊媒である自分を誇りに思っているのです。苦労もありました。人にわかってもらえない、という孤独感やコンプレックスで悩まされました。霊感なんて、なんの役にたつものか…若い頃はそんな思いが強かったですし、役にたてられる方法も見つかりませんでしたから、そんな自分を押し殺して生きていたと思います。それでもなんとか人並みか、ひょっとしたら人並み以上ぐらいにがんばれたり結果もだせたりしたのは、ほんとうに不思議だったり奇跡のように思いますが。霊的な問題にとらわれて自分らしく生きられないのは、すごく悔しいという思いがあったものですから、かえって人よりもがんばれたのかもしれません。これは本当の気持ちですが、自分は30年ぐらいしか生きられないと物心ついてからずっと思っていました。そうしたら30歳からの人生は霊媒としての感覚が目覚めてしまって、とても苦しくなりました。生きている心地がしない日々でしたが、支えてくれる人がいたのでがんばれたんですね。

今は霊媒という職業がかなり好きです(笑)。横文字にすると、チャネラーとか、サイキックなんとかって肩書になるのでしょうか。すっかり普及したのでスピリチュアルカウンセラーを名乗っていますが。個人的には「霊媒」でいいです。翻訳するとやっぱりチャネラーでしょうね。

気負ってがんばる

若い頃はものすごく気負っていた。
幼少期は、自分の弟が病弱だったので、病気を憎んでもいたしいつか治してやりたいと思いっていた。当時、弟は頻繁に熱をだして病院にかけこむ日々だったので、いつまでも同じことが繰り返されることにいらだってもいた。そのせいで自分がかまってもらえない不満もしらずしらず抑圧されていたのだろう。

高校生になり進路を考え、決めなければいけない時期になって「人を癒す」という道を漠然と考えていた自分と決別した。漠然としていてはがんばれないし、気負いだけでは太刀打ちできないのが受験というものだ。進路はあっけなく、妥協の産物として「唯一選択できるもの」として消去法で決めた。いきあたりばったり、成り行きまかせの進路決定だったが、それらの連鎖の上に今があるのだから、まんざら間違っていたわけでもないのだろう。

社会人になってからも、世の為人の為という合言葉のもとに、なにかと気負う自分がいた。人よりも努力をしなければ、と考える。誰に認めて欲しいというわけでもないが、とにかく気負ってしまう。自分で自分にプレッシャーをかけ過ぎるので心が弱りやすい。強くもないのに、強がって意地をはる。悪循環におちいって心が自家中毒をおこして、眠れない、気力がわかない…そんななかでパニック障害になってしまう。うつ状態も併発。そんな最低最悪の時代もあった。

気負って生きていると自分が苦しいだけでなく、周りの人にすごく負担をかける。家族や友人、当時の会社の仲間にどれほど負担をかけて生きていたのかが、今になってよくわかる。

人は一人で生きているのではない。そんな当たり前のことが若い頃はみえない。見えないからこそ、がむしゃらに気負ってバランスを崩してみることもできる。失敗から人は学ぶのだから、それはそれでありだ。どうせ失敗するなら、とことん落ちてみるのもいい。

そこからはいあがってきた時に、やっと感謝ということがわかるようになる。自分の人生を今ふりかえると感謝の念しかわいてこない。両親、親族、兄弟、友人、元の同僚、恩師・・・いかに多くの人に支えてもらってきたことか。ひたすら、ありがとうという気持ちしか今はない。

気負ってがんばるしかない時期もあっていい。それがやがて感謝できる心を育てるのだから。