■光をもとめている方へ

■このページの更新日:2005.4.14

☆光を求めてやまない自分がある…しかし手を差し伸べれば遠のいてしまうかのよう…
■それでもあなたは「光」に見守られています
 どんなにあなたが、失望しようとも、あきらめようとも。いかなる事があっても変わらずに光はあなたを見守っています。そして願い続けています。あなたの未来が完全なる調和へと再び還っていくことを。これはいかなる状況になろうとも変わることのない永遠の真実です。

 しかし、あなたは弱い。そして小さい。そしてなんの力もない。勇気も持たず、意志力もなく、ただの小さなか弱き存在でしかない。しかし、あなたには「強い想い」がある。その想いはけっして揺らがず、ひるまず、そして消えはしない。その意識の溝にはさまれて、身動きがとれない。そんな日々をいったい…もうどれぐらいの年月、そうやって送ってきたことでしょうか。

 僕もまたそうでした。いったい、自分の人生は「なんの為にあるのか」という疑問をぶつけ続けてきました。でも、誰もそれに答えられない。どこにも答えを見いだせない。しかし、どうやっても決して「最悪の事態」にはならず、ここぞという場面では必ず強烈なシンクロが起きて救われてきた。絶体絶命の場面でも、奇蹟的に導かれてきた。そして、いつの日か自分はこう考えるようになる。「宿命があるんなら従うよりない…」と。

 ならば、いったい自分の宿命とはなにか? 持って生まれた使命とは? それがあるのならば、とっとと知り、やっつけてしまえ、遂行してしまえ…と。そう考えるようになる。でも、答えは得られない。得られないどころか、もがけばもがくほど苦しくなる一方。

 やがて光はこう導く。「苦しむ必要などない」「人生を楽しめ」と。苦しみと楽しみは紙一重。苦しむことは望まないが、それを乗り越えたところにこそ「喜びはある」という事実もある。「楽しむ」ことはしたいが、楽しめば楽しむほど罪悪感と葛藤がやってくることもまた事実。いったい、光はなにを自分に教えようとしているのか? 本当の答えとはなんなのか? 心のざわめきが鎮まる日はけっしてやってこない。

 それでも求めつづける…ひたすら…天を仰ぎ、星を見上げて祈る。ただ祈り続ける。

 いったいなにがあなたをそこまで追いやるのでしょうか。光とはいったいなんなのでしょうか。  

■あなたはそのままで完全である
 次なる光の教えはこうです。「あなたはそのままで完全なのだ」というのです。そんなことがあるでしょうか。葛藤が消えることは1日たりとてない。苦悩と不安と怖れと罪悪感で一杯の自分。喜びも少なからずあれば、苦しみが次から次へとやってくる。なに一つ納得できるものもなく、光がなにかもわけもわからず、ただ生きているにすぎない。そんな人生のいったいどこか「完全」なのか??? 問い掛けは止まない。疑問はなくなりはしない。答えはみえない。真実は、遠い遠いベールの向こうにしかないのだろうと思う。

 それでもあなたは求めてやまない…いつまでも、いつまでも…けっしてやまない…問い掛けをくりかえすのみ。

■光と闇
 あなたは今、光と闇のはざまにいるのです。あなたはどこかで「自分は光の一部だ、その末裔の魂だ、少なからずの縁(ゆかり)があるのだ」と思っている。そして、それを求めている。なぜ「自分は光である」とだけ思えないのでしょうか? なぜ「自分は光そのものである」と、いい切れないのでしょうか? いったい「光」でなければ、それ以外のなんなのでしょうか?

 光でないもの…。それは「闇」です。あなたは今、「闇」にとらわれているのです。もっというならば、あなたの中に「闇」があるのです。それをあなたは「認めていない」のです。認めるのが怖い、というのは言い訳にしか過ぎず、「認めたくない」のです。それはあなたの自我であり、小さなエゴの作用なのです。あなたは「エゴ」の意識にとらわれて、光であることを忘れているのです。そして、光である自分を認められず、受け入れることができないのです。ですから、あなたが「光」であることを取り戻す、たった一つの道は「闇」を認めることです。それを知り、受け入れ、向き合うことです。内なる闇を照らし、光へと還すことです。あなたの「なか」にそれはあるのですから。あなた自身が自分で胸を裂き、おのれの心臓を取り出して「偉大なるもの」そして「崇高なるもの」の前に差し出さねばなりません。

 あなたは怖れている。罪深さを。ムチ打たれることを。地獄へと追放されることを…。しかし、その怖れを「あなたに代わって乗り越えてくれるもの」はいないのです。

 光はさんさんとあなたの頭上に降り注いでいる。宇宙が形づくられるよりずっとはるか以前より、この世界の始まりの瞬間から…永遠の終わりにいたるまで。変わらずに降り注ぎ続けている。しかし、光をおそれ、それがけっして差し込むことのない深い洞窟の奥底に潜んでいるのは、他ならぬあなた自身なのです。

 いいですか、光は「求める」ものではなく、「受け取る」ものなのです。あなたは「光」そのものだった…。今でもあなたの「本質」は代わらずに「光」そのものです。その意味において、あなたは「あるがままで完全」な存在です。しかし、「あなたはなにかを体験した」のです。そして、「なにかを積み重ねた」のです。なにかの理由があって「闇」を宿した。そのいきさつは、全ての魂それぞれに「全く違う歴史」があります。

 あなたは、ただ単に「自分が闇を宿した歴史物語」を読みたいのですか? それが本当の目的なのですか? もし、そうでないのなら、あなたが為すべきことは、たった一つ、それ以外にはなにもないのです。

 内なる闇と向き合うことです。

☆闇と向き合うといっても…
■内なる闇に気づき、それを無視することは人生を放棄することです
 つまり、あなたは今、まだ「おどろおどろしい幼虫の姿」をしている蝶のような存在なのです。毒液を吐き出し、みるからに恐ろしい存在であるかのようでもある。人を導いたり、ましてや希望を与えたりなどという存在とは「かけ離れている」とすら思っている。しかし、今の自分のあるがままの姿を見ずして、いったい他のなにになれるというのでしょうか。もし、脱皮したい、変身したいと願うのならば、今の自分という存在を「けっして否定してはいけない」のです。闇をあるがままに受け入れ、自分の今の醜さを知らねばなりません。それは、心がいくつあっても足りないほどの激痛を伴う作業かもしれません。だとしても、避けることはけっしてできないのです。

 それは魂が本当の姿に還る為の、いわば「霊」の浄化であり、禊(みそぎ)なのです。しかし、あなた達がもしも「わけあって、罪人となった」のならば、その罪は必ず赦されるのです。あなた達がなんらかの避けられないいきさつがあって「自ら志願して、悪しき世界へと埋没した」のならば、その罪は必ず赦されるのです。光はその為の偉大なる聖霊を地上に遣わしたのですから。

 自分の醜さ、罪深さに怖れる意識は、キリストの光を仰ぎみて祈ってください。自分の闇を切り裂き、自らの本当の姿を取り戻す日がやってくることを、全身全霊で祈り、導きを願うのです。

 あなたの祈りが本ものならば、聖なる守護者達がすぐさま降臨するでしょう。あなたを光のもとへと救い出すでしょう。必ずその時はやってきます。けっしてあきらめることなく、けっして希望を見失うことなく、そして「内なる闇」に負けないように、しっかりと前進するのです。

 必ず導きますから…。けっしてあきらめないでください。




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