怒るということ

by hikarinosalon ~ 2013年07月07日(日) 11:00 am

レイキを学んでくださっている方には「怒り」をいかに抑えるべきか、というお話をよくしています。実際のところ、怒りのエネルギー(感情の実体はエネルギーです)は、とても不安定で、コントロールが難しいです。いろいろな悪さをします。そして伝染しやすいです(磁力のようであり、匂いのようでもあります)。つまり、怒りというネガティブなエネルギーは、内から外へと拡散していくのです。

だから、いつも怒っていると、気づかないうちに周囲にそれを拡散しているわけですから。けしていいことではありません。周囲に、よくない影響を広げてしまうと、それが負の連鎖をひきおこし、やがては自分に因縁となって戻ってくるからです。

ただ、いっぽうで「怒る」ということを意図的にコントロールできるならば、それを発展的に利用することもできます。でも、その為にはひとつの方向に目的を向けなければいけない。その目的を達成する為に、すべてのエネルギーを集約し、昇華させていくのです。いわば、はるかかなた遠い地点をめざして、莫大なエネルギーを搭載したロケットを打ち出すようなものです。ミスコントロールすると大爆発です。でも、うまく目的に達したら大成功です。

宇宙探査機「はやぶさ」の帰還は素晴らしかったですね。素晴らしいご褒美をもって戻ってきました。目標に到達できたら、素晴らしい未来がまっていることでしょう。

アーティストは樹木のようなもの

by hikarinosalon ~ 2013年07月03日(水) 16:01 pm

アーティストを樹木にたとえるなら、枝であり、葉であり、花であり、実となる部分だろう。いかに多くの人に心地良い光と風と香りと色合いを分け与えるのか。そのことに没頭している。だが、自らの栄養を十分に取り入れることができないアーティストもいる。

可能性があるアーティストには、栄養を届ける人が必要だ。幹となり根となる人だ。その人達がアーティストに栄養を届ける役割を担うことで、一体となって多くの人に「ここちよい安らぎの場」を提供しつづけられるだろうと思う。

もし、あなたがアーティスト(表現者)の側ならば、より多くのひとに伝えたいと思うとき、まず必要なのは幹となり根となる人との出会いかもしれない。

もし、あなたがアーティストの表現活動を支援したいのなら、まず必要なのはアーティストとの信頼関係を築くことと、かれらの栄養となる力をしっかり集めてくる努力かもしれない。

お互いに歩みよることで、この地上は豊かな楽天になる。この世にアートがなければ、光はもたらされようもない。表現者はひたすら光へと、より高みへと自分を磨きつづけていけばよく、アートをささえる人たちは、よりしっかりとかれらとつながり続け、地道に栄養を集め続ければよいのではないか。

そこに山があるなら登るべし

by hikarinosalon ~ 2013年07月03日(水) 13:52 pm

近年、とても重大なご相談が増えてきました。健康について、仕事について、家庭について。今日は恋愛の行方についてのお話をひとつ。

三浦雄一郎さんがみごとにエベレスト登頂に成功なさって、世界的なニュースになったのは記憶に新しい。登山が好きな人は、なぜ危険を冒してまで冒険をするのか問われると「そこに山があるから」だといいます。私も、軟弱ながら北海道の自然が大好きで、ちょこっとですが山に登ります。でも怖がりなので、特に冬などはめったに一人で行きません。雪のない季節でも、クマが怖いので入り口に先行者の車がない時などは、いこか戻ろかとためらうほど。夏に霧にまかれて方向を見失い、あわや遭難死?と焦ったこともあります。自然の懐は深いけれど、人間はとても小さいので、万が一のことが起きると本当にあっけないものです。

ひとはなぜ恋をするのか。それはもう、そこに男と女があるからであって、恋に落ちるのも、恋愛に燃え上がるのも、理由もなにも要らない世界です。いったん火がついたら簡単に冷めるものでもない。生きるか死ぬか、というレベルで思いつめる方も多いのです。

しかし現実は本当にさまざまな事情がからんできますから、二人の気持ちがいかに高まったところで、事はそう簡単ではない。周囲の大反対に合うぐらいならまだしも、他にも様々な壁にぶつかってしまい、ご相談にみえる方も多いです。

壁がいかに高くても、登りたいのならとことん、応援する。それが私の姿勢です。なぜならこういったケースではその方の周囲に反対する人はいるけれど、応援する人が誰もいないのです。危険なエベレスト登山と同じです。でも人生を生きるのは本人なのです。誰にでも自由に未来を選択する権利があるのです。自分の意思は大事にすべきです。無謀といわれようと、夢を簡単にあきらめるようでは生まれてきたかいがないのです。

ただ、リスクもある。必ず成功するとは誰にもいえない。自然がそうであるように。人生もまたときに厳しい。だとしても簡単にあきらめるのなら本当の恋愛とはいえないかもしれません。

(そういえば、今日のニュースで大雪山系で登山者がお一人亡くなったと報道がありました。合掌。)

頭痛、吐き気、無気力、パニック状態の原因を調べると…

by hikarinosalon ~ 2013年05月12日(日) 11:00 am

突然、頭痛や極度の首や肩の凝り。食欲不振(ときに吐き気)。気力がまったくわかない、感情の起伏がゼロに近い。自分が消えそうな恐怖やパニック状態。そして不眠。
(これだけの症状がでていると、すでに精神科を受診して、睡眠薬ぐらいは処方を受けている可能性が高いと思われます。)

霊的な不調和に敏感な方がときどき体験する症状です(いわゆる霊感体質といわれる方)。症状も起伏があり、なんの兆しもきっかけもなく突然ひどくなることもあれば、親族の葬儀や法要だとか、お盆やお彼岸などの時節に合わせて起きることもよくあります。(であるが故に、霊障と誤解されることが多いのですが。)

憑依体質であれ、霊的に敏感であれ、人生は人それぞれ導かれ、ひとりひとりの学びの課題があり、そのうえで起きるべくして人生を体験して魂を磨いていくのです。霊的な体験はさほど特別なことではありません。誰しもが、親族の死を通して多くのことを学びます。天国への旅立ちを看取ってからも尚、霊的な世界とのはざまで葛藤したり、翻弄されたりしながら、魂をみがくレッスンを受ける人もいます。

大切なことは、この体験を通して自分はいったい、なにを学ぶべきなのか。どのような修行を積むべきなのか。その明確な方向性を確認することです。人生は受験と同じ。どんな学部をねらっているのか。必須科目はなんなのか。それによって、問題の傾向も、それに対する対策もかわってきます。

こういう体質の方は、まず先祖を供養する、ということが必須の修行です。ただ、一重に先祖供養といっても、やはりコツがあります。はずしてはいけないポイントがあります。夫婦であれば、自分の先祖由来か、配偶者の先祖由来なのか、父方か、母方か、何代ぐらい前なのか、どのような供養を何年ぐらい続ければよいのか。その間に注意すべきことはなんなのか。年月がかかるとすれば、いったいどうやってその間、気持ちを保っていけばよいのか。これらを明確に掘り下げておく必要があります。

人生は修業です。その修業の形はさまざまです。皆、違います。本を読んでもなかなか正しい答えにはたどりつきません。

怖れを手放すことのむずかしさ

by hikarinosalon ~ 2013年05月10日(金) 15:43 pm

自分の周りで、トラブルが起きる。自分が蒔いた種は自分が刈らねばならない。自分の行いがいけないのだ、ということは理解できている。周囲の人に(時にそれは家族だったり、友人だったり、仕事仲間だったり)、とても申し訳ないという気持ちが強い。罪悪感もある。事態を集収する為に、どうしたらいいのか。悩み、悶々とする。

こういう悩みの根源には「怖れ」があります。問題を解決する為にカウンセリングを受けてもなかなか改善できないこともあります。それはなぜかというと、怖れというのは現実のあるパターンがあって、本人の記憶がよみがえるところに原因だから。過去の記憶(それが幼少期のものであれ、前世のものであれ)は、容易に打ち消すことはできない。だから、原因となる怖れと向き合おうとしても、なかなか結果に結びつくことがないのです。だから、カウンセリングが無益になることが多いというわけです。

こんな時、カウンセリングには限界があります。そして、マイナスのエネルギー(トラウマ全般)を中和する各種のセラピーも、緩和することはできても全治には至らないのです。

怖れを手放せれば解決できるとわかっていても、いざ、それに取り組むとなると、煮詰まることがあります。

これはいわば、ガン治療と同義ではないだしょうか。怖れが心が生み出している毒素の溜まり場だとすれば、それを打ち消そうとする対症療法では、かえって毒素をかきまわし、広げてしまい、治癒どころかかえって混沌化させてしまう。ガンが毒素を集約して生命を衰弱させないように、私達の体を守っているのだとすれば(これはもしも、という仮定ではなく真実はそこにあるのだけれど)、怖れもまた私達の心や魂が、治癒にむかう為のひとつの防御の為の扉かもしれません。

だから、怖れを克服する、という考え方ではダメかもしれず、怖れという内なる心の防御の扉をうまく理解し、受容しつつ、その向こうにある真実をみつめていく方向にシフトすべきだと思います。

その為には、単なるカウンセリングにとどまらず、更に深いセラピーであったり、内観であったり、スピリチュアルメッセージなどが必要になってくるかもしれない。同時にそれらをうまく受け取る為に、エネルギー療法(アロマテラピー、瞑想、ヨガ、呼吸法など)も併用する必要があるだろうし、結果をいちはやく加速して受け取っていきたいのなら、レイキの習得もおおきなメリットがあるでしょう。ただしレイキは単なる技法といってもよく、その効果を、たとえば呼吸法だとか、瞑想、そして内なる怖れにアプローチする様々なワークに転化できる技量の幅を持っているヒーラー、セラピストに指示をあおぐこともポイントになってきます。

おだやか宣言

by hikarinosalon ~ 2013年05月06日(月) 23:42 pm

いつも「おだやかな人」っていいですね。どんな時でも、あわてずさわがず、自然体でおだやかな雰囲気の人は、どこにいても好かれます。そんな人になるぞって心にきめる。それだけで人生の流れはかわります。

でも、おだやかでいるのは、とても骨がおれるもの。なぜって、私達は日々、どうしてもいろいろなことで疲れます。疲れると、どうしても心も体も重苦しくなってしまう。けして、いつもあかるく元気でいましょう!ということではないのです。そんなにがんばらず、ただおだやかでいられるように心がけましょう、というだけのこと。それでも、重苦しい心と体にとっては、容易ではありません。表情にゆとりがなくなり、覇気もなくなります。集中力も欠けてくる。そうなると、逆にまわりから心配されてしまうようになるのです。

おだやかでいる。なかなか大変です。でも、そんな宣言を自分のなかで、ひっそりとしてみる。そこから一歩踏み出してみる。時にそんな気持ちの切り替えもしてみようじゃありませんか。

弱者達からの報復

by hikarinosalon ~ 2012年09月19日(水) 15:09 pm

人は皆苦しい時に、自分が一番苦しいと本当は思っています。でも、周りの誰かが大きなダメージを受けていると、まずその人を助けましょうといいます。ところが、状態が悪化し自分の身が危うくなると態度を一変します。それまでは他者を助けましょうと口々に言っていた人達が、今度は自分こそダメージが大きいのだ、まず自分を助けてほしいとアピールしはじめます。

心寂しい人に手を差し出す人は、どこかで自分こそが一番心寂しいと思っています。
貧しい人に手を差しのべる人ですら、自分はまったく豊かではない、もっと裕福な人がいるとぼやいています。

本当に心豊かな人は、その豊かさが自然に溢れでて現実を包みます。自然体であるがままでいるだけで、人を抱擁して癒します。森の大きな大木がそうであるように。朝日にあそぶ鳥達の鳴き声のように。

私達人間は、エゴをもっています。そのエゴは自分が一番かわいいという意識です。森の樹木や鳥達とは違います。私達には、とても残忍な肉食獣の面があります。

あなたが肉に食らいつく限り、人が人の命を奪う獰猛さを手放すことはできません。

あなたは、なんによって生かされているのでしょうか。
神の体からできたパン、神の血からできたワインでしょうか。

それとも貧困な者、弱い者から奪い取ったフライドチキンやぷりぷりエビバーガーでしょうか。

もし、あなたの体が弱き者の命を奪った食品でできているなら、あなたの体は弱き者達の怒りによって焼け尽くされるでしょう。それはこの自然界の因果応報の法則なのですから・・・。

愛する人との死別

by hikarinosalon ~ 2012年09月17日(月) 1:45 am

愛する人を失った時の喪失感や深い悲しみは、本当に辛いものです。
その方の年齢がまだお若い時、小さいお子さんがある時、あるいはこれからお子さんをもうけたかった、一人っ子、健康だった方の突然の死…。予測できなかったお別れであればあるほど、その衝撃は耐え難いほど大きくなるものです。

人生は、稀にですがこのような試練を私達につきつけます。日本人は特に深い悲しみを共有し支えあうことが苦手なようです。ことさら北海道の方(さらにことさら札幌圏の方)は、本当にその方法論をお持ちでない方がおおく、一人で抱えることもできず、心を病んでしまう方もお見受けします。もっと地域社会の生活習慣に、深い悲しみを背負っている人をサポートする力が宿っていればいいのですが。北海道は新しい土地ですし、札幌は若い人達の寄せ集めのような都市でもあり、世代間のつながりも希薄です。横のつながりも希薄です。そんな環境で、これほどの大きく絶望的な感情を、支えあえる。そんな関係性をみつけることは大変に難しいことのようです。

悲しみは、しっかり悲しいという気持ちと向きあって、それを手放していくことが大事です。向き合うことができなければ、心の底にその強い感情を押し込め、しまいこむよりありません。それでは、心は「しまい込み続けること」で消耗してしまい、発展的な人生を望めなくなります。

死別のような絶望的な悲しみを体験すると、心はどん底まで沈んでしまい、生きる目的や気力をも奪われてしまいます。そうすると、
・人に会いたくない
・健康を維持することに無関心
・あらゆることに前向きに取り組めない
・この世で最高に美しいものを見ても感動できない
・食べ物の味がわからない
といった感覚に陥ってしまいます。こうなると、生命力も下がりますし、ちょっとした事で病気をしたり、トラブルに巻き込まれやすくなります。これまで通り仕事がしっかりできない罪悪感が強くなると辞職してしまう可能性もでてきます。すべてが嫌になり、自殺願望もたかまる人も出てきます。向精神薬で危機を脱出できたとして、悲しみそのものはかわらず、胸の奥にしまわれたままです。これでは本当に回復することは難しいでしょう。

愛する人と、死別を体験してしまうと、なぜ死んでしまったのかという疑問だけではなく、あの時こうすればよかった、もっとこうすればよかったという悔いが無数に出てきます。生前に口論や対立があったとすると、その時のすれ違った事を悔いる気持ちもたくさん出てきます。あの言葉の意図は本当はなんだったのか?ともはや確かめようのないことを、なんとかして確かめたくもなります。

とにかく、生きてさえいてくれれば…という生への執着が、失われた過去の記憶の断片を蘇らせ、葛藤がぐるぐると回り続けます。

失ってしまった人への執着は容易に打ち消すことはできません。打ち消すことができないほどの強い執着があるのです。その強い執着に、しっかり向きあっていくよりないのです。こうもしかたった、もっとこうすればよかった、という堂々巡りの思いは、すべて執着から生まれます。であれば、何度繰り返しても仕方のない思考をひとつひとつ手放し、「ひたすら悲しい、ひたすら寂しい」という感情に、どっぷりと浸るよりないのです。もはや、そうするしかないのだ、と心に逃げ道を与えず、追い詰める必要があるのです。

この作業は本当に容易ではありません。人の心は、一番辛く、苦しい感情から遠ざかるようにできているのです。誰でも、辛いこと、苦しいことは嫌なのです。まして、大切な人を失った感情とまっすぐ向き合うことほど辛いことはないのですから。なんとかして、死を受け入れず、生に執着することを選択しつづけようとします。

死はどうしようもなく変えがたい運命が訪れた結果です。なぜ、という疑問符をすべて手放さければいけません。そして、命は有限であり、誰しも必ず死ななければならないということを受け入れるのです。

過去をどんなにふりかえっても、それは取り戻すことはできない。振り返れば振り返るほど、自分の苦しみは消えることなく、また亡くなった人も浮かばれることがありません。地上に残された者も、霊界に旅立った魂も、お互いに苦しいのです。もはや意思や言葉を交わす手段がないからです。

もし、亡くなった人の思いがきけたら。死の意味についてなにか参考になる情報がえられたら。あの時、あの人は本当はどうしてほしかったのか。自分がなげかけてしまった愚かな言葉で傷ついたままだったのではないか。こういった繰り返すべきでない執着由来の感情は簡単に消せません。しかし、これらの疑問に対してのずばりの答えがあれば、もはや死は確定していること、運命は受け入れるしかないと心は悟ることができます。そして、ついに、悲しみと深い絶望のどん底に、どっぷりと身を浸す覚悟が整うのです。その後、死ぬほど、いや、死ぬよりも苦しいと思われる瞬間がやってきます。これを一人で乗り越えられる人はいないかもしれません。でも、支えてくれる人が一人でもいれば、きっとなんとかなります。

苦しみは一人で背負えないこともあります。まして、大切な人を失ってしまった時…どうか一人で耐え続けないでください。空へ旅立った方も、あなたが一人で苦しむことなど望んでいないのです。

どうかその大きな重荷を卸ろしてください。その為のお手伝いは必ず可能ですから。光のサロンへ、あなたの悲しみと絶望を、すべてお持ちになってください。11年の霊視鑑定の経験と、中年おやじの情熱でしっかり受け止めていきます。

結婚・離婚と先祖霊

by hikarinosalon ~ 2012年09月10日(月) 21:25 pm

違う家庭に育った、二人の人生が交わり、ひとつの流れに紡がれていく。それが結婚です。逆にある程度の期間紡がれた絆をほどいていく。それが離婚です。

それぞれの人が持っている運命的な流れをしっかり支えているのが、先祖霊です。大きくわけると父方、母方の先祖霊が関わってきます。誰にでもついている裁判でいえば国選弁護人、マラソンでいえばコーチ、ボクシングでいえばセコンド、といった役目でしょうか。ご先祖様は非常に個性的です。先祖霊といえども、それぞれの人生を何度も生まれ変わって体験してきた人達ですから、かなり癖があるものです。得手不得手もあります。それから、ご先祖様にも悔いや反省という意識もあるのです。それが強い場合もあればほとんどない場合もあります。こういった先祖の個性、経験値、持ち越した意識などの影響を総合して因縁と称します。

ですから、パーフェクトな神様のようなご先祖様というのはいません。いや稀にいますがそれは滅多にない事例です。ほとんどの場合は、かなり個性がありますから、二人の人生の流れにかなり影響を与えることもあるのです。

結婚を決めるまでには普通は数年の交際期間があります。この間に、それぞれの家庭の習慣だとか、親族に会います。そういうお付き合いのなかから、ご先祖様の傾向を感じ取っていくことができます。ですから結婚前の交際期間はとても大事なのです。特に親族との付き合いは、大事にして欲しいところです。こういうところをはしょって、二人だけで結婚を決めてしまうとどうなるか。例えば、外国で旅行中に意気投合して帰国したらすぐ入籍をして暮らし始めるといったような場合ですね。案外、何事もなく過ぎることもあれば、次第にぎくしゃくしてくることもあり、やっぱりうまくいかない…という場合は先祖の因縁が浮上したのかもしれません。このように先祖の因縁の影響というのは割りと年月をかけて、じわりじわりと浮き上がってくるものです。潜伏期間がすごく長いこともあります。十年とか十五年ですね。お子さんを授かってから出る場合もあります。ただ、子供というのは産まれる前にご先祖様に面通しがあるので、基本的には免疫があります。両親よりは先祖の因縁の影響は受けにくいわけです。それでも尚、先祖の影響を強く受けることもあるものです。

また、女性がある年代になってから先祖との関係が浮上する場合もあります。例えば特有の疾患を繰り返す家系においては、病気をしやすい年代になるとご先祖様達がすごくアピールをしてくるのですね。注意をすごくうながしてくる、そういうことが増えると。そんな時はやはり注意をして欲しいと思います。

離婚した場合は、基本的に相手の先祖との縁は切れます。そうすると元の伴侶の先祖の影響は受けなくなる、と思いがちですが、そういうものでもありません。結婚期間中に子供をもうけたが親権を争って別れたとか(争わなくてもどちらかに深く悲しみが残ったような場合)、かなり長くお互いの親戚同士が対立があったとか、こういった場合は離婚後も、相手側の先祖の因縁を引き継ぐことがあります。なので別れたからといっても、もうすっかり関係ないとも言い切れないものです。

離婚後にまた再婚する場合は、以前の結婚を解消した時の因縁が解決されているかどうか、この確認は是非しておきたいものですね。再婚の場合は割りと短期間でスタートする事例も多いのですが、できれば事前にご先祖様同士の相性も鑑定を受けられると、安心です。特に双方が再婚で、それぞれに連れ子ある場合などは確認する項目が多くなります。

先祖の影響というのは時に次世代、次次世代まで持ち越されることもあります。また仕事、健康などの運気にはっきり影響を与えることもあります。

これらの見えないエネルギーの絆を、どう活かすのか。基本的にはご自身の心がけ次第であります。私達は、そのお手伝いをするサポーターです。

おわらない子育て

by hikarinosalon ~ 2012年09月10日(月) 11:11 am

成人したお子さんをもつお母さんのセッションにて

お子さんとのほんの些細な会話のやりとりに隠された意味をひもときました。

いつものように繰り返されていた、親子のなにげない会話。
でも、その態度や言葉の奥に隠された、お子さんの強い思いがあったので、それがどんなものなのかをお伝えしました。そして、子育てはずっとずっと続くということもお話させていただきました。

もうカウンセリング業も12年目で、自分も人生後半にさしかかりました。同世代の方のご相談を受けするということは、もうその人達のお子さんは成人しているのですね。親子二世代でご縁をいただくこともだんだん増えてきました。

同世代の方には、できるだけ十年、二十年先の流れもお伝えするようにしています。皆さんが健康で長生きできるように、といつも祈っています。そうすると、なにが健康と長生きの秘訣なのかが自然にみえてくるのです。その時にいつも浮上するのが、親子の絆です。どんな態度をとればいいのか。何十年も親子をやっていても尚、まだ気づきはあります。まだ学びはあります。そして、もっと健康になれる余地もあります。もっと楽に暮らせるようになる余地があるのです。そんな余地がある限り、お話させていただきたい。お子さんの心のなかにある、親御さんへの素直な思いがなんであるか…。