カルマは解消できるのか

by hikarinosalon ‾ 7月 27th, 2011. Filed under: 人生の意味.

カルマ=前世の因縁、業ともいいます。

カルマが解消できる、という表現があって個人的には非常に違和感があります。カルマは解消すべきなのかどうか、という考えに対して自分の意見は。煩悩の一つとして「あるべくしてある」ものなので、とらわれず日々精進していくべし、という考えです。

過去を消すことはできない。無視することはできない。かといってとらわれてもいけない。覚えていないだけで、自分自身が選択し、行い、結果として今に因縁が残り、負債になっている。それがカルマ(業)というものならば、自分で背負っていくよりない。それが「消える」あるいは「消せる」あるいは「軽くできる」という考え方そのものに、非常に違和感を覚えます。

カルマを知ること、紐解くことはいけない事とは思わないです。自分も、日々そういうお手伝いをしていますから。前世を霊視し、現在にいたるカルマの実体をあばく日々です。ただし、それは「前向きに生きるノウハウ」に転嫁する為に調べるのです。原因を探り、それに対処する方法を見つけ出そうじゃありませんか。その為に検査してみましょう。という意味での前世の霊視です。カルマの探索です。ただ、探索して、はいどうぞ、こんな映像みえました、こんな前世でした、と説明して終わりじゃありません。「さて、それでいったいどうしたらいいかなんですけどね、それが一番大事ですから、しっかり考えようじゃありませんか」というところから、本当のスピリチュアルカウンセリングだと思っています。

ただ、実際のところある方向性に進路を切り、なんらかの手をうち、心がける、それなりの努力をする等の積み重ねを実践していき、なにもしないよりはずっとカルマの影響を軽減でき、実質、解消されたといっていい転換を果たせた、そういう事例がないわけではありません。しかしながら、それはたまたまそういう人生の転換期を迎えた人であったり、多少の時間軸のずれはあっても結果としてそこに辿りついたであろうと思われる流れに既に乗っていた方であったり。そういうケースがほとんどでした。ですから、深くて重いカルマがあるとしたら、それを簡単に消すことはできない。でなければ宇宙の調和そのものが根本から崩れてしまうと思います。

しかしながら自分がどれほど重いカルマを背負っているのかいないのか、生きている間はそれを実感したり、気付いたりしないようになっているので、ほとんどの人にとってこういった概念はもたなくても、しらなくても、とらわれなくてもいいのではないかなと思います。
それよりも、なぜカルマの事がきになるのか。どうしてこういう世界に興味がむくのか。そういう方の事例をみていると、やはり自分自身もカルマというものを通して、人との関わり方の視点を変え、他人の生き様と向き合ってお手伝いしたいという潜在的な欲求がある場合が多いですね。
病気の人を治したい、困っている人を救いたい、カルマが重くて苦しい人を救いたい。そういう考えは素敵だと思います。であれば、「カルマからいかに人を救済できるのか?」とお尋ねになったほうがいいわけです。そして、その方法をご自分なりにお見つけになればよいのでは。ちなみに私には、自分なりの考え、やり方があって実践しています。

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