批判にかくされた意味

by hikarinosalon ‾ 6月 6th, 2011. Filed under: 対人関係.

人から批判をされたりクレームをつけられたり。それが友人関係であろうと職場での関係であろうと、心は傷つきます。いったいどうして人はわかりあえないものなのでしょうか。

魂はけして「傷つくこと」を願っているわけではありません。それぞれが「魂を磨きたい」と進化成長をまっすぐに望んで転生するのです。傷ついて挫折したり自己嫌悪に陥ったり、ストレスで円形脱毛症になったり逃げ出したくなったりすることは、本当はどんどん乗り越えたいわけです。これらは願った結果ではなく、過程にしかすぎないのですから、できるだけ早く通り過ぎて次のステップに進むべきなんです。でも、人は「煮詰まる」ものです。そんな時は、
・ほとぼりが冷めるのをまつ
・やんわりとやり過ごす
という人もいるでしょう。一方で、
・毅然として相手と議論をする
・逆に攻撃をする
などという過激な人もいるかもしれません。

でも、人の心の持っている性質としては、まず
・傷ついたダメージの修復
がはじまります。つまり、誰でも本能的に「心を癒そう」とするわけです。意図しようとすまいと心はまず分かり合える事よりも先に「癒し」を求めます。それはしばらく静かな時間を持つことだったり、休暇をとる事だったり。時には転職することだったり。人によって様々な癒しがあります。これらはけして逃避ではなく「心に必要な処方」なんです。癒しが不十分だと心は故障してしまいます。故障すると回復するまでに更に時間がかかったり多くのサポートを必要とするようになってしまいます。なるべく自力で回復できる範囲で癒しを求めている期間に、「心のおもむくままに素直に」時を過ごせるときっと元気になれます。

でも、現実はなかなかそうはいかない。
時は待ってくれません。人も社会も待ってくれません。期限があることはそれまでに完結させなければならず、約束は果たさなければなりません。約束が果たせないと自分のプライドが傷ついてしまいます。心を優先するか、プライドを優先するか、本当に難しい局面も多々あるでしょう。

さて、人から批判をされる場面を考えてみると、傷つくことが目的でないのならそのシナリオにはどんな意図があるのか。なんらかの気づきや成長のきっかけに過ぎないのなら、解があるはず。もし批判された心のダメージが癒されて、相手の立場になって冷静に考えてみることができるならば、なにかひらくことだってあるでしょう。
多くの場合、人が誰かを批判したり、攻撃する時って「なにかわかって欲しいことがある」ものなんです。

それが「なに」かは、千差万別です。でも、メッセージを伝えたいがまっすぐストレートに伝えられない事情がきっとなにかあるのです。それは、その人の性格だったり、立場だったり、双方の関係性だったりです。意地やプライドが邪魔をする場合も多々あるでしょう。でも、言葉や態度の裏に隠された「真意」がもしも汲み取れたなら、シンプルに「先方からのリクエスト」なのだ、と理解し、受け入れることも可能になるでしょう。いいかえれば「お互いの関係を向上させる為のささやかな提案」かもしれないのです。

他者からの批判が単なる攻撃ではなく「お互いや周囲の人みんながよくなる為のポジティブな提案」なのであればまったく傷つく必要はなく、誰だって素直に受け取れるはずです。

すべての人が誰かにメッセージを発信する時に、親しい友人、大切な家族にギフトカードを贈るような暖かい気持ちでくるんで届けられたら、誰も傷つかないで済むでしょう。

しかし、いろいろな理由があって私たちはどうしても傷つけあってしまいます。でも、そこで立ち止まってしまうとそれ以上、進化できないまま人生が終わってしまう。なにか手段を探して、まず心を癒し、その辛い出来事の背後に隠された意味を見つける工夫をしようではありませんか。

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