弔いの大切さ

これからは、人の死を弔う、という行為の本当の「質」が問われる時代になってきました。
地上でもアセンションという言葉が広がっておりますが、これは精神的な価値観が大きく変化していく時代の流れのことをさしています。丁度、地球上のすべての人の意識が、大局的な意味で変貌を遂げつつあるということです。この変化の流れから逃れられる人は一人もいない。この21世紀の今という時代に、生を受けて地上に生きている存在であれば、すべての人はこのアセンションという時代の変化の「洗礼」を必ず受ける運命にあるわけです。アセンションの影響は、ひとりひとりにどのような影響を及ぼすのか、それはまたの機会に譲るとして。

今日は、アセンションの影響は「お弔い」という行為にも及ぶということをお伝えしようと思います。

そもそも、「お弔い」は、見送る側、そして霊界に旅立つ魂、両方の立場にとって大切で貴重な儀礼であるわけです。今までは四十九日を過ぎても、法要の度に、命日の度に、ご供養をしてさしあげればそれでよかったと言えます。それはそういう霊界の仕組みだったんです。ところが、アセンションの影響で、霊界もいろいろ変化がありましたので、これからは四十九日までに、できるだけきっちりと「お弔い」を完結させなければいけなくなってきました。つまり、供養が急がれる時代になったのですね。逆をいえば、人の死というものを本質的に理解し、死は永遠の終わりではないのだ、魂は不滅なのだ、という概念をまず受け入れ、亡き人の魂と「一対一でしっかり向きあっていく」ことだとか、お互いの絆を「双方が魂の糧としてしっかり吸収する」ことだとか、非常にスピリチュアルな概念で人の死を理解し、悲しみや喪失感を超越していくことが、誰にとっても求められる時代が来てしまったのですね。つまり、お弔いは生きている私たちにとって、大変に貴重な命題になってしまったのです。

私たちはけして、死んでそれで終わりではないのです。見送るほうも、そして旅立つほうも、双方がしっかり「命の終焉」をきちんとまとめあげなければいけません。ですから、本当に命日からの四十九日までの間というのは、大切な貴重な、二度とやってこない時間である。そして、その重みというのはこのアセンションの時代の影響で、かなりずっしりと重さをましています。

できればあまりネガなことはお伝えしたくないのですが…。もし、お弔いが完結できないと、双方が悔いを残すことになります。それはお互いに、いわゆる因縁という形でさまざまな影響を後に残してしまうわけです。当人だけではなく、家族や子孫にも影響が伝わってしまうことも十分にあります。因縁は、血のつながりの濃い順序で、魂の絆の強い順序でリレーのように流れていくもの。自分ひとりの問題ではないのだ、といいきかせて、喪失感や悲しみを乗り越えて、しっかりと「お弔い」に取り組んでいただきたい、そう願っています。