父親いらずの時代

by hikarinosalon ‾ 7月 16th, 2012. Filed under: スピリチュアリティ, 人間性, 男性性と女性性, 社会性.

21世紀になって大きくかわったこと、といえば父性が崩壊する時代をむかえたことでしょう。父性というのは、一言でいえば「権威」といってもいいでしょう。家庭において、学校において、対人関係において、組織において、政治において、あらゆる面で父性的なもの、つまり「人と人との関係に優劣をもたらすもの」が崩壊しはじめています。これは時代の流れなので、いわば日本という国の宿命というか、運命といっていい変えがたい流れにみえます。変えがたいのだから、そうなっていくでしょうし、止めようもありません。なぜ、という議論は何千年も歴史をさかのぼることになってしまいそうなのでしませんが、もうその流れは止められないとすれば、ではどう生き延びればいいのかを考えたほうが得策でしょう。まず権威を頼らない、ということです。今は頼れても、それはいずれ崩壊します。だとすれば、早めにそこから離れて自立したほうがよいかもしれません。でも、まだ少し時間が残されているのならば、なにも変えなくても問題はないかもしれません。それは個々のケースにおいて違います。が、誰にとっても時間の問題ということになってきました。あらゆる関係性において権威は一旦、失墜し、崩壊し、消滅していく流れにみえます。そういう流れなのだから、誰にも逆らうことはできないのだと思います。

そのかわり、今は母性の時代です。これはいいかえれば権威の反対語の世界です。あえて表現せずとも、今、そこかしこにそれは芽生え、開花し、広がりつつあるものです。それは、こうでああで、と説明すればするほど、それがなんであるかを見失いそうになるような気がするので、あえて詳しく解説しませんが、とにかく時代は大きくかじを切り180度ターンをしたのです。

マザーテレサがお元気だったころは、まだ権威の時代でした。ですから社会はマザーに権威を押し付けようともしました。でも、けしてマザーは自らそういう立場に甘んじることなく、あくまで最も社会の底辺にいる人達に寄り添いました。そして、時代は変わりました。今、私達は一旦マザーが手をさしのべた、路上に横たわる人々の側に立たされるのだと思います。私達は守られなければ生きてすらいけません。いったい何に守られたいのか、どのように守ってくださるなにかをみつけ、手にいれ、力とし、糧とし、生き延びればいいのかです。そこがとても重要です。

私はいつも学びにきてくださる人達にグランディングをしなさい、といいます。それを必要と思えば何度でも、いつでもいいます。そうすると、またそれですか?いったいいつまでそれを続ければいいんですか? もういい加減次の勉強をさせてください、と言われます。

でも、私達は今、路上に横たわっていて、自分ではなにもできないのだから・・・あるがままの自らの姿を認める他になにができるというのでしょうか。願い、乞う。もし救われなければ音もたてず朽ち果てるほかはない運命です。であれば、そうするしかない、ということを悟り、あるがままに横たわることも大事です。運命を悟る。大げさだけれど、どうしてもそこに意識を向けなければいけない時代になったように思えてなりません。そして、この方向転換はこれから何世紀も続いていくようです。であれば、少なくとも私達の子、孫、ひ孫・・・思い浮かべられる限りの末代までの流れだということではないでしょうか。

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