がんばる母性も父性

ちょっとテクニカルな話かもしれません。ややこしいので、ゆっくりとお伝えできればいいのですが、あまり日がないので急ぎます。数年後にはこんな話題は誰にも必要とされなくなることでしょう。

母性的な人のなかにも父性面があります。父性面はとにかく、誰かの為に自己犠牲をはらいながら、ひたむきにがんばる、努力を重ねるエネルギーを生み出します。それは責任感という波動で、私達の肉体にやどります。肉体は精神と一体なので、肉体面でいえば背中、首筋あたりに責任感というのは宿るのです。ですから、お父さんは背中で背負っている。これがこれまでの普通の男性(父性)の姿でした。男は背中が語るとよくいいます。実際、お父さんは責任感を背中で背負います。それがすなわち、そのまま父性面ということです。

一方で、一本義で頑固でがんばりやのお父さんを支える家族(もっぱら妻ですが、家族全員がその対象です)は、お父さんの父性を支えるのですが同類の意識を持ちます。お父さんががんばっているから、そ「その背中をみて、やはり背中で同じものを背負う」感覚をもちます。言葉少なで貞淑でおとなしい妻であっても、そんな夫をひたむきに支えるということは、母性的な役割をまとっていながらにして、内面的には「父性」のかたまりといえます。

時代はあらゆる人のなかにある、あらゆる父性の要素を打ち壊しはじめています。父性らしさを前面に出しているわかりやすい人よりも、父性らしさを内にひめ、母性でまとっている人のほうが解放が難しいので、少しやっかいです。