エゴについて

by hikarinosalon ‾ 6月 11th, 2011. Filed under: 人生.

カウンセリングを通して「エゴ」について、よく考えさせられます。

多くの魂が前世において「エゴ」を通して他者と対立をし、たくさんの苦しみを味わった経験を持っています。また、今生の人生で心が抑圧を受け、自らの「エゴ」を少しでも現すことを怖れるようになった事例も多い。私たちはなぜか最初から強いエゴをもって存在しています。これはある意味、仕方のないことで霊界とこの地上との関係からして、やむを得ない事情も多々あるのです。つまり地上に生きている私たちの視点から現状を分析するなら、この世に生きている人間はすべてエゴにまみれている、というのが客観的な事実のようであります。

そこを起点にして考えるなら、あまりエゴを持つことを怖れなくてもいいのかもしれません。あるものはあるのだから、とらわれても仕方がない、と。かといって無用にエゴを出してしまうと、人を傷つけてしまうかもしれません。もしそんなことになれば業(ごう)となって深い因縁を背負ってしまいます(カルマの法則により)。

それにしても、私たちは知識ではエゴとか、カルマという言葉を知ってはいるけれど、誰もその「正体」を知らないのです。ウィルスやガン細胞のように検査薬で調べることができるわけではありません。ただ、そういうことが「あるらしい」ということを知っているだけです。

結局、本当はどれぐらい自分はエゴが強いのか、そうではないのか。どういう生き方は間違っていて、そうでないのか。どこからカルマになるのか、ならないのか。皆目見当すらつかない。それが現実です。

はっきりいってしまえば「暗闇で手探りをしている」のに等しいわけです。

すると、あまり気にしなさんな、という言い方が一番適当で正しい。そんな気がします。

私たちは様々な規制の中で生きています。たとえばふんだんにお金を使える人はいません。何人もの人と次から次へと欲にまかせた性愛遍歴を重ねていくようなふしだらな事はできません。働かずに遊んでくらせる人はいません。犯罪行為を犯すと、告訴され、処罰されます。高い税金や年金を払い続けなければなりません。自分の落ち度ではないのに、みえない放射線の恐怖におびえて生きていかねばなりません。いつかガンになって余命いくばくもないと宣告されてしまうかもしれないし、明日、事故や災害にあって死んでしまうかもしれません。

そもそも生きているだけで、いろいろなリスクがあり、たくさん守らなければいけないルールがあります。それでも日本は割と自由に気楽に暮らせる国のひとつだと思います。だとしても人生っていろいろあるんです。ありすぎるぐらい、あるんです。その上、なにがカルマになるとか、自分のエゴは強すぎないか等々、心配をはじめたらそれこそきりがないではありませんか。

もうなにも気にしないこと。そのことで気持ちが楽になった分、日々をしっかり生きる努力をすること。そこで少しでもゆとりができたなら、誰か困っている人に手を差し伸べてあげる。

結局は、そうすることがなによりもカルマを作らずに済む、もし作ってしまったとしても、すみやかに解消する生き方なのではないのかな。

レイキの教えに「五戒」という言葉あるのですが、最初に「今日だけは 怒るな 心配すな」と教えられるのです。この2つのキーワードは、いつも意識していないといけません。毎日、繰り返し自分に言い聞かせつづけないといけない戒めなんですね。これは人間だからしょうがない。本質的に人は怒りっぽいし、心配性。だって、いつか死んでしまうんですから。病気を絶対にしないなんて誰も保証してくれないんです。いらいらしたり、くよくよしたり、どうしてもするんです。そういう性癖は根本的に仕方のない、どうしようもないことだ、けれど、その感情にけして流されてはいけない、ましてそのことで生きる目標を見失ってはいけない、ということなんです。簡単すぎて、見失いがちなことですが本当に大切な戒めですよね。

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