ハラがたつ、ということ。

レイキの講習で、「怒り」について一言ご説明をします。「怒り」というのは腹に宿るのですね。この場合の「腹」というのが肉体の部位でいう腹部とは、少しニュアンスが違うので以下「ハラ(腹」」と表記します。

日本語は不思議な言葉です。「ハラがたつ」という表現があります。英語圏の人にはピンとこないでしょうね。「ハラワタが煮えくり返る」なんて言葉もあります。「ハラ黒い」、「ハラいせに」、などなど。様々なニュアンスの表現がありますが、概ね「本心からくる強い感情を表す」時に使う言葉ということがわかります。つまり「ハラがたつ」ということは、単なる「怒っている」という言葉よりも、もっともっと心底で感情が強くいらだち、強く渦巻いているんだよ、となるわけです。ところが、どうもその中心には冷静でしんとした静けさがあるわけです。表面上は「荒ぶる表情をみせている」のだが、その実は「穏やかで静かな表情」を芯に隠し持っている。どうもこれが日本語の「ハラ」という言葉の二面性であると思われます。

いったいぜんたい、この「ハラ」の本質ははんだろうか。

それは「エゴ」と「真我」といえるかもしれません。エゴは自己本位ですから、対立を生みます。真我にはエゴがなく、究極の統合された意識ですから調和に向います。ですから、日本人が「ハラをたてる時」は、本当は怒りまくっているようにみえていて、実は冷静に真実を見つめる瞳は輝いているのだ、ともいえるのではないでしょうか。

さて、いま私たちはセシウムが検出されて「怒っている」のでしょうか。それとも「ハラをたてている」のでしょうか。よく考えてみたいところです。