Archive for the '人生' Category

怒るということ

日曜日, 7月 7th, 2013

レイキを学んでくださっている方には「怒り」をいかに抑えるべきか、というお話をよくしています。実際のところ、怒りのエネルギー(感情の実体はエネルギーです)は、とても不安定で、コントロールが難しいです。いろいろな悪さをします。そして伝染しやすいです(磁力のようであり、匂いのようでもあります)。つまり、怒りというネガティブなエネルギーは、内から外へと拡散していくのです。

だから、いつも怒っていると、気づかないうちに周囲にそれを拡散しているわけですから。けしていいことではありません。周囲に、よくない影響を広げてしまうと、それが負の連鎖をひきおこし、やがては自分に因縁となって戻ってくるからです。

ただ、いっぽうで「怒る」ということを意図的にコントロールできるならば、それを発展的に利用することもできます。でも、その為にはひとつの方向に目的を向けなければいけない。その目的を達成する為に、すべてのエネルギーを集約し、昇華させていくのです。いわば、はるかかなた遠い地点をめざして、莫大なエネルギーを搭載したロケットを打ち出すようなものです。ミスコントロールすると大爆発です。でも、うまく目的に達したら大成功です。

宇宙探査機「はやぶさ」の帰還は素晴らしかったですね。素晴らしいご褒美をもって戻ってきました。目標に到達できたら、素晴らしい未来がまっていることでしょう。

運気改善:方向転換、変化成長を望んでいる方

月曜日, 9月 3rd, 2012

婚活、転職、転居、人生の再出発、大きな取り組み、過去との決別…人生のさまざまな局面があります。しっかりなんらかの変化をつかみとりたい、結果に結び付けたい、そういうタイミングの方もたくさんいらっしゃると思います。

年齢や現在までのお仕事、ご家族の状況など様々要因もかかわってきますが、大きくわけて「仕事の流れ」と「プライベート」の流れ、この2つについては、特に女性の場合はとても微妙な関係があります。更にお子さんがいる場合、お子さんの性格やお子さん自身の運気の流れの変化も考慮することになります。原則として、この2つを同時に大きく変えないほうが一般的にはいい結果がでます。ひるがえせば、2つを同時に変えざるを得ない場合は、とても注意が必要だということです。

例えば、実家が家業をしている場合など、実家で同居しながら仕事も手伝うということがあり得ます。が、なんらかの事情で、住まいを移して、仕事も外で働くようにする、といった場合など同時に2つの流れを変えてしまうことになります。こういった場合は、転居だけ、または仕事だけを鑑定をしてもいい鑑定ができません。2つの変化の流れをバランスでみながら読み取っていく必要がでてきます。

別な例えでは、同じ職場で恋愛をして、破局して気まずくなった場合などはとても困りますね。それをきっかけに転職をしてしまおうと考える方もいます。でも注意をしないと転職はできても、その後また同じような失敗を恋愛で繰り返してしまうことを繰り返す恐れもあります。

人は人生において、同時にたくさんの課題と日々取り組んでいかなければなりません。シンプルに生きたほうがよりよい結果が得やすいです。でも、時に家庭のこと、仕事のこと、さまざまな変化の流れが複数同時にやってくることもよくあります。そんな時は、冷静にじっくりと流れをよみながら、無理しすぎないように計算高く行動することが大事です。特に2008年ぐらいから、もの事がなかなかスムーズに進みにくい流れです。早い人は2012年、10月、そして12月というタイミングで大きく変化を遂げますが、まだこの大河のような巨大な変化の潮流はますます勢いをまして来年、再来年と続いていきます。人によって変化のピークにさしかかるタイミングは違います。今はまず当面やらねばならない最優先事項に集中したほうがいい時期であることは多くの人にいえるようです。

それでも、どうしても幾つかの大きなことを同時に動かす他はないという方については、とにかく過去を内観することをお勧めします。過去の因縁をひきずる限り、努力の割には結果を結ばないということが起きやすいもの。お盆の時期は内観をするのにはよいタイミングでした。お彼岸の頃も過去の内観には最適だと思います。そういう時期に、なにをして過ごすかで人生の流れは時に大きく変化することがあるものです。是非、大事に活かしていただきたいのです。

日本人は仏教が早くから普及している国ですが、仏様のもたらしてくださった素晴らしい智慧があまり活かされている感じがしません。瞑想にしても、内観にしても、素晴らしい智慧がたくさんあるのです。なんでも自力で、ということではなく、自分にとって必要な智慧をまず授かろう、少しでいいからなにか新しいことを学ぼう、それを糧にして新しい流れを引き寄せよう、という考え方が物事、為す為にはとても大事なことではないでしょうか。

過去をみつめ、少し内観をし、新しい智慧を受け取り、新たな目標をさだめ、そして日々の積み重ねによって結果をつかみとりましょう。そのような方に為に、仏様もたくさんの智慧を貸してくださいます。

気づきのペースは人それぞれ

金曜日, 4月 13th, 2012

問題に直面する、葛藤と向きあう。ひとまず解決の糸口をつかんで前進する。

また新たな問題に直面したり、葛藤と向きあうことになる。同じような状況だったり、前回とは違う状況になっていることもある。前回と同じ方法論が通用しないこともあり、前進できるようでいて、ぎくしゃくしてみたり、なかなか結果に結びつかなかったり。

実は同じ問題や葛藤でも、時の流れや自分の変化で「気づきの方向性」が変わっていると、それに対処する方法論も変わってきます。

人は自分が変わった、ということを客観的に理解することはあまり上手ではありません。心はまだしも、意識というのは基本的に閉鎖的で内側を向いていて、外との関わりは限られているもの。自分が変わったということを理解できれば方法論をかえるべきかもしれない、という気づきにつながりやすくなります。

人が変わるのに必要な時間は3カ月かもしれません。半年かもしれません。1年とか、3年とか、あるいはもっとかもしれません。が、時にそれは3日かもしれません。人が変わるのに、これという基準もないし、絶対的な時間の枠もありません。人は変わるべくして存在しているので、あらゆるタイミングで変化し得る、ということです。必要なだけの気づきを得るべきなのです。日々精進する、という意識を持っていればいいのですが、それでは疲れます。そこは各自のペースでよいので、一定期間ごとに自分がどう変わったのか、という客観的な視野を持つ機会を作るようにするとよいのではないでしょうか。

浪費癖

木曜日, 7月 14th, 2011

これは身内の方からのご相談に多いテーマです。親族に浪費癖をもつ人がいて、ご相談者(あるいは一族の皆)がとても苦労をさせられてしまう、という事例です。

お金というのは、それ自体は純粋なエネルギーですからうまく使うことによって人生をとても有意義なものに変えることができます。非常に便利で魅力的なパワーの源です。もちろん、そのパワーを高める為には努力と積み重ねが必須であることは言うまでもありません。積み重ねの努力もなく、一攫千金でつかみとったお金がもたらすエネルギーは過剰になりすぎる傾向があるので、多くの場合は上手に使いこなせず、ただ漏れ出してあっという間にすべてなくなってしまいます。燃料でいえば少しで莫大なエネルギーを発生する元素は取扱いが非常に難しい。お金も同じです。自分に見合う「枠」がありますから、そのなかで使いこなしを学びながら人は成長を遂げていきます。

さて、なぜ浪費をする人がいるのか。そもそも浪費の実態はなんなのか。いろいろな意見、考えがあると思いますが、お金は単なるエネルギーです。それ自体は純粋です。それを使う、ということは良いエネルギーを発散するわけですから、非常に心地良い状態になれます。非常にピュアなエネルギーの放出。たとえばのど自慢大会でグランプリを取るような、歌の上手な人。そんな人が歌えば、皆が聞き惚れます。誰よりも、歌っている本人が最高に気持ちよいに違いありません。上手な歌は多くの人を癒すのですから、非常にピュアなエネルギーの発散になるのです。上質のエネルギーを発することは、運気の上昇につながります。運気がよくなるのですから、翌日からとても爽快な気分でポジティブに再スタートを切ることができます。

浪費というのは、いわば運気の切り返しの頻度が人よりもたくさん必要な人が、やむにやまれず行ってしまう行動なのですね。お金がなくても、その人がもしのど自慢チャンピオンなら、得意ののどを披露すればそれで済んだかもしれない。でも、人に与えられる純粋なエネルギーがこれといって自分の中にないのなら、やはりお金を使う他はないわけです。お金を使えば、使い続ける限り、歓迎され、受け入れられますから、自分の居場所が確立されます。どんなにダメな自分でも、必ず社会に受容してもらえるわけです。パチンコ屋に、自分専用の椅子をコインを投入し続ける限りはキープでき、誰にも文句を言われることはありません。

人は社会のなかでイス取りゲームを好むと好まざるとに関わらず、させられて生かされている面があります。社会人としての宿命といえます。残念ながら、そういうったプレッシャーにとても弱い人もいます。自分の存在意義を感じられない場合、なんとかしてその空虚さを埋めたくなるものなのです。

浪費のほとんどの根源にあるのは、精神的な弱さかもしれません。そこを周囲が気づいて、支えることができるようになれば、ある程度浪費を軽減させられると思います。

いったい、その人の内面にどんな空虚さがあるのか、どんな自己否定があるのか…。探ることは、ご親族であれば可能です(第三者に関する場合、プライバシー保護の観点から鑑定ご依頼をお受けできないことが多いです)。

自分がない

水曜日, 6月 15th, 2011

『自分のなかに「なにかをしたい」という意識がなかなか見いだせず、なんとなく流されるがままに生きてきてしまった。自分には自分の明るい未来を思い描く力がない。このまま人生が終わってしまうのではないか。』

そんなご相談の命題をいただくことがあります。

ご本人は自分の存在をとても小さく感じたり、社会のなかであまり必要とされていないだろうと判断していることもあります。人並みに自分を強く主張して、しっかりと地に足ついた生き方ができないことに悲観的になり、そういう自分に欠陥があると断じてしまうことも少なくありません。

『今の自分が満たされた生き方ができないのは、自分に原因があるのだろう。努力して解決できるならがんばれるかもしれない。が、やるだけのことはやったにもかかわらず、やはり結果がでない。だとすれば、自分の魂はものすごく重い業を背負っているのかもしれない…』

そんなふうに考えてしまう方もいます。

しかし、多くの場合、自分という魂が今生で生まれる以前に、どんな業を背負ってきたのか、その本当の意味や重さを客観的に感じることはほとんど不可能のようです。覚えていないからこそ、全力を発揮して、一度きりの人生(今生は一度きり)を十分に生きられるのですから。なんとなくそんな気がする、という程度の思い込みはまず前世の業からくるものではありません。

私たちはもっともっと、自分の心に素直に生きなければなりません。あまり魂の世界の問題を持ち込んでも解決はしません。人生は誰にとっても、とても大切な一度きりのチャンスなのです。それをどこまで充実させられるか、それぞれの生き方にかかっています。どんな立場、どんな境遇の人にも、きっとなにか工夫の余地がある。そうすれば心が楽になって、前向きに生きるヒントが得られるようになる。すると、自然に「魂の願った生き方」に沿っていくことになります。希望さえあれば人は自然に自らの本質が願う方向を見出し、光に向かって発展成長を遂げていくもの。そういう本能的なセンサーを持っています。

大切なことは、もし心が疲れているならしっかり休ませてあげることです。気分転換をしてリフレッシュしましょう。身体が疲れているなら、思い切って休息をとりましょう。なかなか休めないのなら、せめて新鮮な空気や水を求めてみましょう。そして、旬の野菜をしっかりとりましょう。野菜をたくさんとれば、心はとても穏やかになるものです。少しの間でもいいので、動物性の脂肪とたんぱく質を避けてみてください。そして新鮮できれいな水をたくさん、旬の土地の野菜をできるだけたくさん摂ってみてください。海藻類も非常によく、根菜類もよいです(とくに長芋、レンコンなど)。

自分がない、という虚無感が生まれてきやすい。そういう宿命のもとに生まれてくる魂もたしかにあります。少なくはないと思います。だからといってスピリチュアルな解読が即、奏功する可能性は低いです。謎解きは元気になってからでも十分可能です。まずは気持ちにゆとりを持つこと。そうすれば、自らの本質に秘められたアンテナが開き、希望の匂いをきっとかぎつけられるでしょう。

エゴについて(2)

日曜日, 6月 12th, 2011

自分のエゴを持つことをあまり気にしなさんな、という事を書いてみたのですが、それはひとつの視点であって、それですべて丸く収まるということではありません。

前言を翻すようですが、例えばカルマの法則というのは、完全に等しくすべての事象に作用しています。ですから、自分の身にふってかかること、というのは「まったく身に覚えがない」としても、それは絶対に「なんらかの作用があって、因縁として自分に戻ってきた」のですから、発端は自分にあるわけです。ところが私たちの記憶には、その発端がわからない、覚えていない。生まれ変わった時に記憶としては置いてきたのですから、仕方がありません。

つまり、カルマの法則ということはわかっても、「納得できない」のがそもそも人生なのです。この世は矛盾だらけ、という感覚は誰にでもあります。その度合の多い少ないはあっても、ないという人はいないでしょう。

全部自分に原因があるのだな、という考え方を持ってみると、世界が違ってみえるようになります。そこから新しい道が開けたり、人間関係が変わったり。そういうきっかけ作りになるとすれば、少しぐらいカルマについて考えることもけしてやぶさかではないわけです。

あまり気にしなくていい、けれど、それを考えてみたほうがいい時期も時々やってくるから、その時にちょっと真剣に向き合ってみてもいいでしょう。

カウンセリングのご相談テーマで、「自分にはどんな前世の因縁があるのでしょうか」というご質問、これは多くはないのですが時々あります。でも、本当は皆さん気になっているようです。問われなくても、心が問いかけているのを感じます。前世を霊視鑑定すると、長い転生のいきさつのなかで生まれた苦手意識だとか、抑圧された欲求、繰り返される悪いパターンなどもみえてきます。一方で、この人生の方向性もありありと浮上してきます。前進する方針がしっかり掘り下げられていくことによって、たとえ深いカルマがあるとしても(あまりないとしても)、もっともっと大切なことはなんなのか、ということがわかってくるわけです。

エゴについて

土曜日, 6月 11th, 2011

カウンセリングを通して「エゴ」について、よく考えさせられます。

多くの魂が前世において「エゴ」を通して他者と対立をし、たくさんの苦しみを味わった経験を持っています。また、今生の人生で心が抑圧を受け、自らの「エゴ」を少しでも現すことを怖れるようになった事例も多い。私たちはなぜか最初から強いエゴをもって存在しています。これはある意味、仕方のないことで霊界とこの地上との関係からして、やむを得ない事情も多々あるのです。つまり地上に生きている私たちの視点から現状を分析するなら、この世に生きている人間はすべてエゴにまみれている、というのが客観的な事実のようであります。

そこを起点にして考えるなら、あまりエゴを持つことを怖れなくてもいいのかもしれません。あるものはあるのだから、とらわれても仕方がない、と。かといって無用にエゴを出してしまうと、人を傷つけてしまうかもしれません。もしそんなことになれば業(ごう)となって深い因縁を背負ってしまいます(カルマの法則により)。

それにしても、私たちは知識ではエゴとか、カルマという言葉を知ってはいるけれど、誰もその「正体」を知らないのです。ウィルスやガン細胞のように検査薬で調べることができるわけではありません。ただ、そういうことが「あるらしい」ということを知っているだけです。

結局、本当はどれぐらい自分はエゴが強いのか、そうではないのか。どういう生き方は間違っていて、そうでないのか。どこからカルマになるのか、ならないのか。皆目見当すらつかない。それが現実です。

はっきりいってしまえば「暗闇で手探りをしている」のに等しいわけです。

すると、あまり気にしなさんな、という言い方が一番適当で正しい。そんな気がします。

私たちは様々な規制の中で生きています。たとえばふんだんにお金を使える人はいません。何人もの人と次から次へと欲にまかせた性愛遍歴を重ねていくようなふしだらな事はできません。働かずに遊んでくらせる人はいません。犯罪行為を犯すと、告訴され、処罰されます。高い税金や年金を払い続けなければなりません。自分の落ち度ではないのに、みえない放射線の恐怖におびえて生きていかねばなりません。いつかガンになって余命いくばくもないと宣告されてしまうかもしれないし、明日、事故や災害にあって死んでしまうかもしれません。

そもそも生きているだけで、いろいろなリスクがあり、たくさん守らなければいけないルールがあります。それでも日本は割と自由に気楽に暮らせる国のひとつだと思います。だとしても人生っていろいろあるんです。ありすぎるぐらい、あるんです。その上、なにがカルマになるとか、自分のエゴは強すぎないか等々、心配をはじめたらそれこそきりがないではありませんか。

もうなにも気にしないこと。そのことで気持ちが楽になった分、日々をしっかり生きる努力をすること。そこで少しでもゆとりができたなら、誰か困っている人に手を差し伸べてあげる。

結局は、そうすることがなによりもカルマを作らずに済む、もし作ってしまったとしても、すみやかに解消する生き方なのではないのかな。

レイキの教えに「五戒」という言葉あるのですが、最初に「今日だけは 怒るな 心配すな」と教えられるのです。この2つのキーワードは、いつも意識していないといけません。毎日、繰り返し自分に言い聞かせつづけないといけない戒めなんですね。これは人間だからしょうがない。本質的に人は怒りっぽいし、心配性。だって、いつか死んでしまうんですから。病気を絶対にしないなんて誰も保証してくれないんです。いらいらしたり、くよくよしたり、どうしてもするんです。そういう性癖は根本的に仕方のない、どうしようもないことだ、けれど、その感情にけして流されてはいけない、ましてそのことで生きる目標を見失ってはいけない、ということなんです。簡単すぎて、見失いがちなことですが本当に大切な戒めですよね。

人生の流れがなかなか定まらない時期

土曜日, 6月 4th, 2011

人生の流れがなかなか定まらない時期もあります。

目標がなにもないわけではないが、いまひとつ踏み出せない。
自信がないということもあるかもしれません。
努力を積み重ねればなんとかなる、とわかっていても
どうしてもその気にならない、きっかけができない。
力試しをしようとしても、弾き返されるかのように流れができない。

こういう場合はどうも「その時期ではない」ということも言えそうです。

では「その時期」というのはいったいどういうことなのか。
スピリチュアルな観点では「その時期=条件が整うタイミング」と考えます。
条件は、
・運気が上がっていること
・心身の調和が整っていること
・家族の調和が得られていること
・守護霊との一体感が得られていること
といったようなことがあげられます。
そうはいっても、自分の条件が整っているかどうか簡単に自己診断はできません。

運気は「易」で鑑定できます。
心身の調和については、自分の主観で判断したり信頼できる相談者の意見も参考になります。加えて周囲の人との関係性から浮上してくる場合が多いですね。
家族の調和については自分で感じる通りで間違いないでしょう。
でも最後の「守護霊との一体感」というのはどうやったら判断できるのか。
これはいいかえれば「心が止水のごとく穏やかであること」ともいえます。

日々、慌ただしい現実に流されてばかりでなく騒々しい日常を一切忘れて、
静寂のなかに精神を委ね、完全に脱力しきっている状態があるかどうか、です。
瞑想が上達すればよいのですが、なかなかそうもいきません。
趣味に集中することもよいのですが、あまり神経が高ぶるようなことはいけません。
どちらかというと、単純作業(漬物をつける、床の拭き掃除)のほうが頭が空っぽになります。
自然のなかを散歩することもよいです。
とにかく、すべてを忘れる、リセットする、ということです。
これは「魂感覚」を敏感する為に本当に大事なことです。
加えていえば「綺麗な水」も大切な要素になります。
おだやかな生活環境、ということも大事です。
ただ、これらのことは日常の工夫で得られることも多いので、
時間やお金をかけず、いかに心を静め、頭を空っぽの状態にできるのか、
創意工夫が必要なんです。

これらの条件が整ってくると「その時期」がおのずとみえてきます。
人生の流れに対して不要にいらついたり、焦ったりという感覚は次第に消えていくでしょう。