Archive for the '対人関係' Category

大切な人を憎む

木曜日, 1月 26th, 2012

人の心はよく「嘘」をつく。その理由は「怖れ」や「罪悪感」だろう。

お世話になった人、大事にしたい人、親、兄弟姉妹、子、取引先、お客さん、等々。日々、なにかと恩のある人、情が通う人を大事にするのは当然のことだ。仲良く、穏便につきあっていければそれにこした事はない。失うよりは「関係を維持できたほうが楽である」ならば、尚更だ。また、良好な交流がなんらかのメリット(利益)をもたらすのなら、更に「嘘」をつく動機が強くなる。

嘘が単なるストレスのレベルならば、ヤケ酒やカラオケで発散できるだろう。焼肉にビールもすごくいいし、瞑想もいい。スポーツもいい。セックスもいい。憎しみを抑えることは、とても大きなストレスになるのでその発散もエネルギーレベルを高めることが必要になる。お金もかかるし、時間もかかる、体力も・・・。なかなか大変である。若いうちなら夜は長いが、年を重ねるとだんだん体力が落ちてくるからストレス発散は十分ではなくなり、体内に蓄積する。強い憎しみのエネルギーは血の巡りを悪くする。内蔵の細胞が破壊されやすくなり、免疫も落ち細菌にも感染しやすくなる。炎症がおきる、治りにくい。治ればよいが、繰り返すと症状が慢性化してしまう。症状がでにくい臓器に故障がおきると深刻な病気になる怖れもでてくる。憎しみはとても強い波動なので、解放は十分にしなければ病気のリスクが高まる。

また、時に憎しみは「過去の記憶」のなかに影をひそめ、表面には出てこないことがある。それでも心は「過去」から亡霊のように憎しみが不意に顔を出すことを怖れるから、日々うっすらと「嘘」をつき続けることになる。余計な気配り、作り笑顔、義理でも付き合う義務感となって行動や判断に見え隠れする。それを長年続けることは、喉や胸のトラブルにつながる。呼吸器系、甲状腺、免疫系への影響も心配される。

また、人を憎む心を抑圧しやすいタイプ、というのがある。潔癖な心をもつ人たちだ。他人を傷つけるよりは、自分が傷つけられることを望むようなタイプの人は、心のどこかで「他人を傷つけまい」として、自分の心のどこかに「憎しみ」を宿してしまうことを極端に怖れて、関係性を歪めてしまうことがある。また、自分を嫌悪してしまう事もある。その場合は胸のあたりにトラブルを引き起こしやすく、自律神経への影響も懸念される。

心が嘘をつく傾向が強いと長年の蓄積の結果、体調への影響がはっきり現れるようになる。逆に、体調の悪化から、自分の心の素顔に気付かされることも多い。

職場の異動における不安

水曜日, 8月 10th, 2011

異動で、担当分野が変わる、居住地が変わる、上司が変わる、待遇が変わる…様々な環境の変化にさしあたり、とても不安で心配になることがあります。

どんな場合でもよくしたもので、ちゃんと守護霊さんは「きっと為になるから異動になるんだよ」ということを教えてくださいます。

もし、納得のいかない、厳しい条件、どう考えても難しい局面だとしても、それがご本人の魂にとって「試練」なのか「絶好のチャンス」なのか、一見してなかなかわからないものです。人生において起きる出来事というのは無意味なものはひとつもないのですね。どんなに厳しい、ついてない、不運だ、嫌がらせだ、パワハラだ、としか思えないような場面であっても、なにか隠された意味があります。どこか上のほうから、あなたをじっと見守っている人達がいて、あなたの人事をコントロールしています。その結果の異動である、最善の采配なのである、ということなんです。

そんなはずはない、自分は不幸である、苦労ばかりである、いいことなんかなにもない、辞めてしまいたい、すべて捨ててしまいたい、蒸発しよう、ホームレスのほうがマシ、いっそ死んでしまいたい…そんな気持ちがよぎることも人間、一度や二度はあるもの。

それでも、です。やはりものごと、起きるべくして起きている。そして自分の身に起きることは、よくよく深い大きな慈愛に満ちたまなざしが、あなたの存在をすべて包み込んでいる、そのうえで起きているのです。

根本的なところで、自分という存在はけして一人ではなく、なにか大きな懐のなかに抱かれているのに違いない。こういった気持ちを失わずに生きられる人は、やはり修羅場に強いと思います。私たちはそういった気持ちを「信心」といいます。でも、この信心という言葉。解釈すれば「信じる心」ですね。いったいなにを信じるのか。これを論じると宗教論になってしまいそうですが、シンプルに考えてほしいのです。信じたいものを信じればいいのではないでしょうか。だって、その時に信じたいもの、すがりたいものがあなたにとっての神なのですから。それは一輪の花でもいい。一滴の水でもいい。歌でもいい、絵でもいい、誰かの言葉でもいい、瞑想のなかでみたビジョンでもいいでしょう。信心は自由であれ、と思います。それぞれの信心をまず大切にするなかで、うたれ強い心も磨かれていきます。そうすれば、きっと「すべての出来事には神様の慈しみが隠されている」と信じられるようになると思います。

どうしても納得できない異動、耐えられない職場でのストレス。そんなものがいったいぜんたい、なぜ神様の愛なのかわからない。そんな疑問にも、精一杯お答えしていきたいと願っています。

苦手な人との付き合い

火曜日, 6月 14th, 2011

人との付き合いのなかで「苦手なタイプ」の人と一緒に働いたり、共に行動しなければならない。そんな場面では誰しもが憂鬱な気分になるもの。同僚や同年代の関係など、お互いの力関係が均等であればそうでもないかもしれませんが、上司だったり目上の先輩であれば避けようもありません。自分に選択肢がない、追い詰められた状況で、しかも苦手な相手。これはなかなか辛い場面です。

そんな時は、とてもじゃないけれど「相手の立場になって考える」ということができなくなります。人はなぜか「防御」モードになると、もう自分をいかに守り抜くか、そして必要とあらばいかに応戦して自分の陣地を守るかしか考えられなくなります。目上の人の立場になって考えることほど難しいことはありません。

しかし、そこで少しでも「こんな自分と向きあう相手だって、少しぐらい緊張しているのかもしれない」と考え及ぶならば意識も変えやすくなります。先手必勝、いい意味で空気を和やかなものにできれば、お互いに対立ではなく、調和のなかでなにか共通の意識を見出そうと思えるかもしれません。

私のけして短くない会社員時代を振り返ると、今なら「自分のような若造がいかに上の立場からすれば、扱いにくかったか」がわかります。何を考えているかわからない、要求がはっきりしない、平均して覇気がない、愛想が悪い、あらゆる話題に乗ってこない…。こんな性格の部下をもったら上司は本当に困るでしょうね(苦笑)。

当時の自分は、非常に孤立感があり、神経質で内向的で世間知らずでしたから、同僚とはまだしも、上司とはどう付き合っていいか皆目検討がつきませんでした。あの頃はお酒の席も多かったのですが、どんなお酒も楽しめなくて、どちらかといえば苦痛を感じることも多かった。特に綺麗なお姉さんのいるお店などは、逃げて帰りたかったですね。今思えば、もう二度とかえってこないバブルという幻想の時代でした…。

さてさて、苦手な人とのお付き合い。どうすればいいのか。
ひとつの対応策ですが、相手だって人間なのだから、こちらが緊張したり、神経質になっていれば、相手も同じぐらい気を使ったり、困惑してしまうだろう、と考えてみて欲しいのです。とにかく、人間関係は先手必勝。自分から相手に対して、なにかサポートする工夫をしてみるのです。自分なりに、なにか力を貸してあげる。仕事や能力的に特になにもまだ身に付けていないのであれば、のど飴とか、予備のハンカチやティッシュをいつでも出せるようにしておくとか。もし携帯の検索が得意なら、必要な場面で情報をさっと調べてあげるとか。自分からなにかサポートすることをかってでてみて欲しいのです。もちろん、挨拶も肝心です。最初の印象で自分が敵意を持っていないこと、リラックスしていることを伝えられれば、相手も神経質にならず、けしてネガティブな印象をもたれることもないでしょう。コミニュケーションが少しずつ深まれば、あまり得意なタイプでなくても、それなりに美点を持っている人であることに気づくこともできるはずです。どんな人だって、長所はあるのです。そこをみつけたら吸収する努力をしましょう。相手に「見習う」ことができれば、そこから感謝の気持ちも生まれやすくなります。表面的な感謝を表現するだけでは、言葉や態度が上滑りして、かえって相手に不信感を与える怖れもあります。必要以上にへりくだったり、ありがとうございますを連発するのはいけません。人間関係は植物の生育と同じで、まず種を蒔き、自然に芽が出て生育していく時の流れをゆるりと待つ、ゆとりを持つことが大事です。けして収穫を急がない。ゆとりある付き合いをこころがけましょう。

批判にかくされた意味

月曜日, 6月 6th, 2011

人から批判をされたりクレームをつけられたり。それが友人関係であろうと職場での関係であろうと、心は傷つきます。いったいどうして人はわかりあえないものなのでしょうか。

魂はけして「傷つくこと」を願っているわけではありません。それぞれが「魂を磨きたい」と進化成長をまっすぐに望んで転生するのです。傷ついて挫折したり自己嫌悪に陥ったり、ストレスで円形脱毛症になったり逃げ出したくなったりすることは、本当はどんどん乗り越えたいわけです。これらは願った結果ではなく、過程にしかすぎないのですから、できるだけ早く通り過ぎて次のステップに進むべきなんです。でも、人は「煮詰まる」ものです。そんな時は、
・ほとぼりが冷めるのをまつ
・やんわりとやり過ごす
という人もいるでしょう。一方で、
・毅然として相手と議論をする
・逆に攻撃をする
などという過激な人もいるかもしれません。

でも、人の心の持っている性質としては、まず
・傷ついたダメージの修復
がはじまります。つまり、誰でも本能的に「心を癒そう」とするわけです。意図しようとすまいと心はまず分かり合える事よりも先に「癒し」を求めます。それはしばらく静かな時間を持つことだったり、休暇をとる事だったり。時には転職することだったり。人によって様々な癒しがあります。これらはけして逃避ではなく「心に必要な処方」なんです。癒しが不十分だと心は故障してしまいます。故障すると回復するまでに更に時間がかかったり多くのサポートを必要とするようになってしまいます。なるべく自力で回復できる範囲で癒しを求めている期間に、「心のおもむくままに素直に」時を過ごせるときっと元気になれます。

でも、現実はなかなかそうはいかない。
時は待ってくれません。人も社会も待ってくれません。期限があることはそれまでに完結させなければならず、約束は果たさなければなりません。約束が果たせないと自分のプライドが傷ついてしまいます。心を優先するか、プライドを優先するか、本当に難しい局面も多々あるでしょう。

さて、人から批判をされる場面を考えてみると、傷つくことが目的でないのならそのシナリオにはどんな意図があるのか。なんらかの気づきや成長のきっかけに過ぎないのなら、解があるはず。もし批判された心のダメージが癒されて、相手の立場になって冷静に考えてみることができるならば、なにかひらくことだってあるでしょう。
多くの場合、人が誰かを批判したり、攻撃する時って「なにかわかって欲しいことがある」ものなんです。

それが「なに」かは、千差万別です。でも、メッセージを伝えたいがまっすぐストレートに伝えられない事情がきっとなにかあるのです。それは、その人の性格だったり、立場だったり、双方の関係性だったりです。意地やプライドが邪魔をする場合も多々あるでしょう。でも、言葉や態度の裏に隠された「真意」がもしも汲み取れたなら、シンプルに「先方からのリクエスト」なのだ、と理解し、受け入れることも可能になるでしょう。いいかえれば「お互いの関係を向上させる為のささやかな提案」かもしれないのです。

他者からの批判が単なる攻撃ではなく「お互いや周囲の人みんながよくなる為のポジティブな提案」なのであればまったく傷つく必要はなく、誰だって素直に受け取れるはずです。

すべての人が誰かにメッセージを発信する時に、親しい友人、大切な家族にギフトカードを贈るような暖かい気持ちでくるんで届けられたら、誰も傷つかないで済むでしょう。

しかし、いろいろな理由があって私たちはどうしても傷つけあってしまいます。でも、そこで立ち止まってしまうとそれ以上、進化できないまま人生が終わってしまう。なにか手段を探して、まず心を癒し、その辛い出来事の背後に隠された意味を見つける工夫をしようではありませんか。