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弔いの大切さ

土曜日, 9月 3rd, 2011

これからは、人の死を弔う、という行為の本当の「質」が問われる時代になってきました。
地上でもアセンションという言葉が広がっておりますが、これは精神的な価値観が大きく変化していく時代の流れのことをさしています。丁度、地球上のすべての人の意識が、大局的な意味で変貌を遂げつつあるということです。この変化の流れから逃れられる人は一人もいない。この21世紀の今という時代に、生を受けて地上に生きている存在であれば、すべての人はこのアセンションという時代の変化の「洗礼」を必ず受ける運命にあるわけです。アセンションの影響は、ひとりひとりにどのような影響を及ぼすのか、それはまたの機会に譲るとして。

今日は、アセンションの影響は「お弔い」という行為にも及ぶということをお伝えしようと思います。

そもそも、「お弔い」は、見送る側、そして霊界に旅立つ魂、両方の立場にとって大切で貴重な儀礼であるわけです。今までは四十九日を過ぎても、法要の度に、命日の度に、ご供養をしてさしあげればそれでよかったと言えます。それはそういう霊界の仕組みだったんです。ところが、アセンションの影響で、霊界もいろいろ変化がありましたので、これからは四十九日までに、できるだけきっちりと「お弔い」を完結させなければいけなくなってきました。つまり、供養が急がれる時代になったのですね。逆をいえば、人の死というものを本質的に理解し、死は永遠の終わりではないのだ、魂は不滅なのだ、という概念をまず受け入れ、亡き人の魂と「一対一でしっかり向きあっていく」ことだとか、お互いの絆を「双方が魂の糧としてしっかり吸収する」ことだとか、非常にスピリチュアルな概念で人の死を理解し、悲しみや喪失感を超越していくことが、誰にとっても求められる時代が来てしまったのですね。つまり、お弔いは生きている私たちにとって、大変に貴重な命題になってしまったのです。

私たちはけして、死んでそれで終わりではないのです。見送るほうも、そして旅立つほうも、双方がしっかり「命の終焉」をきちんとまとめあげなければいけません。ですから、本当に命日からの四十九日までの間というのは、大切な貴重な、二度とやってこない時間である。そして、その重みというのはこのアセンションの時代の影響で、かなりずっしりと重さをましています。

できればあまりネガなことはお伝えしたくないのですが…。もし、お弔いが完結できないと、双方が悔いを残すことになります。それはお互いに、いわゆる因縁という形でさまざまな影響を後に残してしまうわけです。当人だけではなく、家族や子孫にも影響が伝わってしまうことも十分にあります。因縁は、血のつながりの濃い順序で、魂の絆の強い順序でリレーのように流れていくもの。自分ひとりの問題ではないのだ、といいきかせて、喪失感や悲しみを乗り越えて、しっかりと「お弔い」に取り組んでいただきたい、そう願っています。

弔う(四十九日のお話)

金曜日, 9月 2nd, 2011

今日はお弔いについて。

私たちはアジアにおいても、すべてを仏教に依存するでもなく暮らしています。熱心な仏教国からすれば教会や神社があって、それだけなく様々な宗教の行事を別け隔てなく日常生活に吸収してしまっている、という点で非常に稀有な民族だと思います。

しかし、多くの日本人は人の死を「とむらう」という形で見送ります。「とむらい」は、元々仏教の考えからくるものです。古くは儒教の影響でしょう。今では五十回忌まで法要を行う、というスタイルが一般的になっています。形式的はともかく、お弔いにおいて大切なことはなにかを少し考えてみたいと思うのです。

様々な例外があります。一般的には…という解説は非常に難しいのですが、そこを無理してあえて「一番多い事例」を一般的と強引にくくってしまいましょう。

人が本当に亡くなった瞬間というタイミングも本当はどこにあるのか、も様々ですので、ここでは、
・昏睡状態に陥って24時間後に、心肺停止になった
という場合で考えてみます。

魂は、生まれ落ちた瞬間から肉体とエネルギーが強く結ばれてています。実際のところ、生誕後しばらくの間(乳児期)は、魂と肉体の結びつきはすごく弱いので、大切に守っていかなければなりません。ガイド達もけして目が離せない時期です。赤ん坊が空間をみて、にこにこしている、とすればそれはたいていは守護霊さんがあやしている、と思って間違いないのです。
そんなふうに守られて成長していく過程で、魂は肉体とのつながりを強め、自分の新しい人生を歩み始めます。本格的には思春期になって精神的なエネルギーが強まってから、魂はその本来の活動を開始するわけです。ですから、幼年期と、思春期以降で人は随分、変貌を遂げるわけです。そして、親離れして自立していきます。

さて、話しを戻しまして・・・
心肺停止になった後ですが、魂は数十年間、共に生活をしてきた「肉体」とのつながりをひとつひとつ、ほどいていきます。つまり、肉体という器から完全に離脱するわけです。これは割と短い時間で完了します。その間に、現実側では葬儀の準備も整っていきます。本来の「魂」の姿にもどった本人も、いよいよお世話になった人達とお別れをしなければなりません。
この間に、実にたくさんのいろいろなことがあるのですが、それは死んだらわかることなので割愛して・・・。
ここでは、「見送る」側の心がけについて、少し書いておきたいと思います。

今回はシンプルに、このことをお伝えしておきます。

人が亡くなった後で、一番大切な日は「七七日(なななのか)」※です。この日をどう過ごすかで、見送るほうは「亡くなった人への弔い」が、しっかり完結できるかどうかが決まるといってもいいでしょう。七七日はいわゆる「四十九日(しじゅうくにち)」です。ちょうど、その日に法要をするとも限らないようですが、たとえお坊さんがお経を読んでくれないとしても、関係者の方、あるいは各自が心のなかで幾つか、きちんと成し遂げておいて欲しいことがあります。

※七七日:命日から数えて49日目、いわゆる「しじゅうくにち」。

◯七七日までにしておいて欲しいこと
・亡くなった方との絆をしっかり思い出すこと
その際に、いい事だけ思い出してはいけません。対立したこと、憎みあったこと、絶縁したこと、苦しかったこと等、どんなことでも、しっかり思い出すことです。
・その人とのつながりを通して、自分がいったいなにを学び、なにを気付かされたのか、整理すること
・その人とつむいだ「絆」をしっかり確かめたら、感謝でたばねて天に返すこと

これは各自が心のなかで行えばよいのです。
別な言い方をすれば、七七日が最後のチャンスなのです。それを過ぎると、絆を確かめても、その思いをきちんと昇華させることが難しくなってしまうでしょう。

もし、最近、身近な人をなくした方はご命日を確認してください。そして七七日(四十九日)まであと何日あるか、それまでにしておくべきことはないかどうか、今一度ご確認ください。