Archive for the '生きる知恵' Category

おだやか宣言

月曜日, 5月 6th, 2013

いつも「おだやかな人」っていいですね。どんな時でも、あわてずさわがず、自然体でおだやかな雰囲気の人は、どこにいても好かれます。そんな人になるぞって心にきめる。それだけで人生の流れはかわります。

でも、おだやかでいるのは、とても骨がおれるもの。なぜって、私達は日々、どうしてもいろいろなことで疲れます。疲れると、どうしても心も体も重苦しくなってしまう。けして、いつもあかるく元気でいましょう!ということではないのです。そんなにがんばらず、ただおだやかでいられるように心がけましょう、というだけのこと。それでも、重苦しい心と体にとっては、容易ではありません。表情にゆとりがなくなり、覇気もなくなります。集中力も欠けてくる。そうなると、逆にまわりから心配されてしまうようになるのです。

おだやかでいる。なかなか大変です。でも、そんな宣言を自分のなかで、ひっそりとしてみる。そこから一歩踏み出してみる。時にそんな気持ちの切り替えもしてみようじゃありませんか。

糧になる努力をし、糧にならない苦労をさける

土曜日, 8月 4th, 2012

人生に起きること、すべてに意味があるという考え方があります。ものごとは起きるべくして起きるのだから、自分にとっての苦労もただ嫌がるのではなく時に耐えて乗り越えていくことも必要…そう考える人も多いと思います。

たしかに、ものごとにはすべてきっかけがあります。なぜその出来事が出来したのか、しっかりした理由があり、意味があるのだろうしエネルギーが帰結するまで終わらないのでしょう。

しかし、一方ですべての出来事は空であるという概念もあります。一切のできごとにとらわれるな、ということです。つまり、私達にはひとつひとつのできごとを意味を見極めることは不可能なのだから、一喜一憂せず、あまりとらわれすぎず、ほどほどに受け流していこうという考え方です。それはそれで一理あるような気がします。でも、子供をもつ親御さんが子供のいうことを無視して受け流しては困ります。役所の窓口の人が、本当に困っている人の訴えを適当にあしらってしまうのも困ります。時には、その出来事の大切さ、重要さに気づいてもらい、事態をしっかりみつめ解決するまで取り組まねばならないこともあります。

結局のところ私達にはひとつひとつの出来事の意味を掘り下げ、しっかり取り組むべきことと、さらっと受け流すべきことの区別はつけられないのでしょうか。なにかいい方法はないものか。

一生懸命苦労を背負っても、魂にとってはさほど糧にならない事は、やはりたくさんあるような気がします。一方で、もっとがんばって努力を重ねていくことで魂はより磨かれていくのに、そのことに気づいていないこともたくさんあるようです。

なんとか、そこのところの見極めができるようにならないものだろうか。そういった方法はないものだろうか。日々、ご相談をいただくなかで、いつもそのことを考えるのです。おひとりおひとりには、できるだけ糧になる努力をしていただくように具体的にお伝えしています。また、糧にならないことで苦労はしていただきなくないので、あまりとらわれても意味のない事については切り捨てて考えていただくようにもしています。

これひとつですべて解決する、というシンプルで万能な努力の法則があればいいのになぁと思います。

自分の弱点をみつめる

日曜日, 4月 29th, 2012

与えることからはじめよう、という考え方があります。でも、自分には与えられるほどのものがない、と考えてしまうのが人間の弱さでもあります。特に日本人は自分の正直すぎる面があり(西洋の人に比べれば…)、心で思っていることをうまく隠せないもの。そうなると、与えようとして力むと、かえって上滑りしてしまう。そんな自分に嫌悪を感じて悪循環に陥ることもあるかもしれません。

与えるほどのものはない、と考えていてはなにもはじまらないので、自分をよく見つめることからはじめてみるのがいいでしょう。これ、すなわち瞑想でもあるのですが。ひとりでできることでいえば、自分の弱さをみつめることです。

自分のことで恐縮ですが、わたしは小さい頃から歯が弱くて冷たいものが苦手。ガリガリ君*をみんなと同じペースで食べられない。一緒にたべはじめると一人だけ食べ終わらない。なので、隅に隠れて食べるとか、みんなが食べてない時にこっそり取り出して食べるとか、そんなふうにしか食べられないわけです。だいたい最後はとけて棒から落ちてしまう。手もよごれるし、悔しいし、とにかくいいことがない。そんな自分の弱みを小さい頃は、さほど苦労だとは思わなかったわけです。軟弱な歯を無意識にカバーしようと自然にこんな身勝手でマイペースな行動をとっていました。でも、今考えれば、そもそも行動全般がマイペースだったので、そういう口実があったことはかえって良かったんですね。

ところが、大人になってからは歯が丈夫でないとか、冷たいものに過敏であるといったことはコンプレックスにしかなりません。どうしてこんなに不便な身体で産まれたのかと嫌悪することはあってもよかったと思うことがないわけです。

でも、よくよく考えてみると、子供時代はそうやってマイペースにしか行動できない自分の心を守っていたのかもしれないなぁと今ならわかってくるのです。ほんとうに歯がキリキリとしみるのですからゆっくりにしか食べられないことを堂々と言い張れたわけですから。きっと神様はわたしの心を守る為に、人よりも少しばかり弱い歯にしてくれたのでしょう。

最近は、一生懸命歯磨きをしてがんばって虫歯ゼロをキープしていますよ。

*もっとも、わたしの子供の頃はガリガリ君という商品はなかったのですが…わかりやすくする為に、ね。

※固い氷をガリガリと噛み砕いてしまう人がいることが子供の頃から信じられなかった…あれは「冷たいのを我慢」しているんだと思っていましたからね。それで時々、挑戦したのですが一瞬で降参です。大人になって知覚過敏というものだと知ってから、やっと腑に落ちました。最近は不思議なことに、多少は我慢できるようになってきたのですよ。なんででしょうね? いつも顎に手をあててレイキをしているせいかもしれません。