Archive for the 'スピリチュアリティ' Category

気づきのペースは人それぞれ

金曜日, 4月 13th, 2012

問題に直面する、葛藤と向きあう。ひとまず解決の糸口をつかんで前進する。

また新たな問題に直面したり、葛藤と向きあうことになる。同じような状況だったり、前回とは違う状況になっていることもある。前回と同じ方法論が通用しないこともあり、前進できるようでいて、ぎくしゃくしてみたり、なかなか結果に結びつかなかったり。

実は同じ問題や葛藤でも、時の流れや自分の変化で「気づきの方向性」が変わっていると、それに対処する方法論も変わってきます。

人は自分が変わった、ということを客観的に理解することはあまり上手ではありません。心はまだしも、意識というのは基本的に閉鎖的で内側を向いていて、外との関わりは限られているもの。自分が変わったということを理解できれば方法論をかえるべきかもしれない、という気づきにつながりやすくなります。

人が変わるのに必要な時間は3カ月かもしれません。半年かもしれません。1年とか、3年とか、あるいはもっとかもしれません。が、時にそれは3日かもしれません。人が変わるのに、これという基準もないし、絶対的な時間の枠もありません。人は変わるべくして存在しているので、あらゆるタイミングで変化し得る、ということです。必要なだけの気づきを得るべきなのです。日々精進する、という意識を持っていればいいのですが、それでは疲れます。そこは各自のペースでよいので、一定期間ごとに自分がどう変わったのか、という客観的な視野を持つ機会を作るようにするとよいのではないでしょうか。

カルマの解消方法

木曜日, 3月 29th, 2012

スピリチュアルな世界で、実に様々な人達の考えにふれ、書物もよんできました。人それぞれ考え方も違います。例えば「カルマ」ということについての考えも様々あるわけです。

・カルマを解消してあげます
・カルマ解消の秘技をお伝えします
・カルマ解消のエネルギーを伝授します
・カルマ解消の祈祷をします

いろいろな表現がありますが、そんなことができるのだろうか?と素直に疑問が湧いたものです。そもそもカルマとはいったいなんなのか。年月を重ねていくうちに、自分なりに宇宙を感じ、マンダラを見つめ、そのなかでカルマに対する解答を持てるようになりました。

そこで、今日は私なりの「カルマ解消の秘技」をお伝えしようかと思います(笑)。
それはお金を通して返済する、ということです。

ここまできてうさんくさいと思うなら、読まなければよろしい。
ふと興味があるなら、お読みください。

それは寄付をする、ということです。
仏教の言葉におきかえれば「布施」ということになります。細かいことはさておき、日常の多忙な日々のなかでお金というエネルギーを通してカルマ解消につながるのなら、多いに利用してもよいのではないかと思うのです。

ただ、そこには幾つかの条件があります。
・魂がカルマ解消を願っていることを受け入れる
・魂の本質がお金というエネルギーと共鳴している
こういった条件が揃ってはじめて、寄付をする行為が魂を浄める力を持つでしょう。

お金で苦労する人は、もしかするとカルマ解消を魂が願っているのかもしれません。でも、そのことを受け入れないと苦労することの葛藤が減らなくなります。また、お金というエネルギーに拒絶反応があると潤滑油不足でせっかくのお金というエネルギーがカルマ解消につながりにくくなります。

カルマとお金の関連性は、宗教でもなく、倫理でもなく、宇宙の法則であり物理学のようなものです。シンプルな原理でひもといていけば理解は難しくなさそうです。

いったいどこに寄付をすれば?と思った方はするどいですね。そこはすべての方程式になんらかの解があります。個別の命題に対して無限の答えがありそうです。

まざらないドレッシング

土曜日, 2月 11th, 2012

水と油、あるいはふってもふっても一体化しないドレッシングのようなもの。

誰しも、自分が可愛いものです。どこかしら自分の利得を優先して行動しています。
自分を大事にしてくれる人にはごく自然に好感を持ちます。逆に自分に対して攻撃的な人には嫌悪感を持つこともごく自然なこと。

自分に利益をもたらす人には媚を売ることもある一方で、敵対する人とは距離を保つようにして身を守ります。

でも、でも。

魂はそんな自分を許容しないのですね。自分のことばかり優先しているエゴイストの自分を嫌悪することすらあります。人の為になにかしたいとも思います。それが魂の感覚なんです。

自分の事が大事な意識と、もっと社会の為に人の為に輝きたい意識は相対するもの。なかなかひとつになりません。

人の心とはそういうものです。

厳しい時代の希望の光

火曜日, 1月 31st, 2012

レイキはとても不思議。いったいどこからこの波動はやってくるのか、と考えるけれど今でもよくわからない。感じようとしても感じられず、見極めようと思ってもそう思う自分のエゴが消滅してしまい、考えることすらどうでもよくなってしまう。その源流に辿り着こうとすればするほどエゴが消え、自分が消え、ただ穏やかな至福の境地に近づいてしまうようだ。

レイキがもたらされたのは関東大震災の直前だった。結果的に初代の先生は怪我人や病人の為に奔走し、数千人の入門者を指導し、数年で他界してしまった。戦前、レイキの技法による手あて治療を受けた人の数は、相当なものだったことは間違いない。

この歴史的ないきさつを考えると、そこで誰かが大震災を予見したかのように思える。時代が混迷し、救世主が現れたり、尊い教えがもたらされたりする。偉大なリーダーは命とひきかえに私達に勇気と自立心を与えてくれる。レイキは無形だが、それがもたらされたという事実は、心の深いところで私達はけして見放されてはいない、ということを感じさせてくれる。

めにみえるものすべてが崩れ去っても、なにも案ずることはない。レイキを学んでいると、そういう意識を感じることがある。その源流にある、光をこの世にもたらした意識かもしれない。

なにも案ずることはない。

なんども、それは繰り返されている。
地球が自転を続けている限り、絶望はないのではないか。
いつも、そこに希望の光は届けられているのではないか。

レイキを学んでいると、どうしても最後には煩悩は解放され、安心のみが満ちていくようだ。

瞑想は学ぼうとすると、その「学びたい」という意識が瞑想の妨げるになることがある。学ぼうとすればするほど、強い意思が壁になる。そういう時期が必ずやってくる。ところがレイキは、学ぼうとする意思を持たずとも学べる。気負わずに、楽に実践できる。そうこうしているうちに、ふと瞑想的な時空に心がただよっている感覚を味わう。ここはどこだろう?と思う。たしかに地上にあり、呼吸しているのだが、太陽や月や風や大地や緑や小動物や野菜や果物や花や蝶や香りだの、光だのいったものと一体化してしまい、そうのうちに宇宙空間のなかにいて蒼い星をみつめている自分に気付いたりする。

そして、結局のところすべてが愛おしいと思えるようになる。
生きることも、死ぬことも、生まれ変わることも。
出会うことも、別れることも。
愛することも、憎むことも。
悲しいことも、嬉しいことも。
食べることも、飢えることも。
すべてが愛であり、涙であり、喜びであり、感謝であり、
歓喜に包まれつつ、始まって終わって、そしてまた始まって終わっているのだとわかる。

結局、はじまりはひとつであり、おわりもひとつなのだろうと思えるようになる。

レイキは面白い。

ただ、あまりにもレイキを実践する私達の意識はまだまだ未熟で、使いこなせていないともいえる。

レイキを学べば間違いはないけれど、段階は無限にあり、一段一段をきちんと昇っていくべきでもある。一足飛びということはできない。なにごとも、急がば回れである。

レイキは希望の光である。でも、そこに至る道のりは、人それぞれ皆違う。だから、それぞれにみあった「それぞれのレイキを実践」する方法を学んでほしい。そういうレイキを指導する人を探して欲しい。

そう、レイキを地上にもたらした者は願っている、と思う。

ヴィバッサナー瞑想

土曜日, 1月 28th, 2012

誰にでも瞑想は必要。とくに精神性をいかに高めていけばいいのか、という命題に誰しもが取り組む時代には尚更のこと。人はとにかく考える生き物。ところが考えると神経は疲労する(すなわち、心模様も曇りがちになる)。休んでも、眠っても、疲れがとれない。そんな状況が続くとやがて黄色信号が灯ってしまう。最悪は向精神薬のお世話にならざるをえないかもしれない。

そんな時代にあって瞑想の技術を少しでも学んだり、身につけて実践していくことは必須になりつつあるのではないだろうか。

古来から知られている瞑想方法にヴィバッサナー瞑想というのがある。それを今日は、とても簡単に「今に生きる人」なら誰でもやりやすい方法にアレンジしてみたのでご紹介したい。

古典を知っている人には怒られそうだが、これがどうして効果があるのです。是非、お試しを。

【ヴィパッサナー瞑想〜写メ・イメージ法】

前置き:ヴィパッサナー瞑想では、心がとらわれている状況を手放し、客観視することにより意識を空っぽにしていこうとする技法です。でも、言葉で自分に言い聞かせるのは、なかなか面倒であったり疲れている時にはかえって神経が疲れるような気がします(個人差もあるかもしれません)。そこで、言葉はいっさい念じることなく「イメージ」だけで取り組める方法を考案しました。

準備:特に必要ありません。いつでもどこでもすぐに始められます。

方法:心に雑念がうかんできたら、その雑念にフォーカスします。心のなかで携帯をとりだして写メを撮影する時のように「対象に狙いを定め、シャッターチャンスを待つ」のです。雑念をはっきり見つめ、感じ取ったら「パシャッ」とシャッターをきります。その瞬間、イメージで「雑念の対象」が静止画で表示されていることを思い浮かべ、そして「保存ボタン」をおします。そうすると、対象は画面から消えます。

事後:ここからが大切なポイントだと思います。さきの雑念を撮影し、保存し、画面から消したら次の対象に意識を向けます。携帯を構えて、シャッターボタンをいつでも押せる状態を保ちます。心のなかに新たな雑念が浮かんでくるのを、今か今かと待ち構えるわけです。このような意識の状態をなるべくはっきりと数秒間保ってください。

以上です。

あとがき:できれば一週間ぐらいは続けてみてください。一日に何回やればいいというルールはありません。自由に試してみてください。慣れてくると一日の嫌なことをさっぱりと忘れていることに気づくようになり、一ヶ月も続ければ心が軽くなり、一年もすれば随分と前向きな自分に変われるかもしれません。

尚、この方法はヴィパッサナー瞑想に心から敬意をはらいながら考案しました。実践なさる時は心のどこかに、「ヴィパッサナー瞑想」の智慧を授けてくださった先人達に感謝をして行なっていただければと願っています。

先住民族に学ぶ

火曜日, 10月 11th, 2011

輪廻のいきさつを紐解きながら、運命鑑定をしていくと、自ずと古代からの知恵といっていい仏教の考えを引用することも多いです。それぐらい、私たちの魂にとっては非常に受け入れやすい智慧がたくさん詰め込まれていると思います。お経を読んだり、解釈していくことでなるほどと得心することも多い。多くの人の人生の悩み、深く重い葛藤も、仏の教えが救いになることはきっと多いことでしょう。

しかしながら、それだけで本当にすべてが納得いくのか、全部がまとまるのか、というとなかなか敷居が高い世界でもあり、日常的とはいえず、誰かの葬儀でもなければお坊さんの講釈を聴く機会もほとんどないのが私たちの現実生活です。また、仏教にはこの世は空であるという考えはあっても、ならばその空なる世界とどのように調和して生きていけばよいのか、という智慧はさほど多く用意されていないようです(あるところにはあるのでしょうけれど普通に仏教の表には出てこない)。

スピリチュアルな感性と現実を生きる知恵が調和し、非常にナチュラルな死生観を持っている人達といえば、やはり世界各地に少数ながら存在している先住民族達でしょう。彼らの運命に関する考え方や独自の生きていく知恵の多くが、日本人である私たちにもとても参考になります。いや、参考にすべきといっていいでしょう。

そして、ある一定数の人達は先住民族の精神を受け継いでいるので、その教えや考えを伝えていく使命を持っています(とはいえ、圧倒的に少数であることは間違いありません)。ネイティブな魂を受け継いでいる人達は、非常にリアルに自分の魂のルーツを知っている(そういう感覚をすでにお持ちになっている)ので、お会いする機会があっても「念のための確認」といったようなセッションになります。血は受け継いでいないけれど、魂の由来が先住民族であるというタイプの人も若干ですがいらっしゃいます。そういうタイプの方は自分が今生で持っている肉体、民族、国家、宗教の一切にとらわれず、あくまでも自然との調和や共生を実現する方法論をシンプルに模索する傾向があります。そして、こういう限られた人達と接触することは、非常に深い学びになることが多いものです。どうぞ皆さんも、ご自身の周囲に一般社会に属していても尚、なにか精神が自然と一体化しているような雰囲気を持っている人を探してみてください。心がけてさえいれば、一生に一人ぐらい出会えると思いますよ。

スピリチュアルなセミナーに参加すること

土曜日, 9月 10th, 2011

スピリチュアルな成長の為に、時にセミナーや様々なワークショップへの参加がきっかけになり、新しい目覚めにつながることがあります。どんな場が自分に最善なのか、誰にでも必ず導きがあります。自分の内なるガイドによく相談をすることで、きっといいご縁があるものです。

今日はセミナーやワークショップに参加したくても、なかなかきっかけがない、現実的にちょっと難しいという方の為に少し書いておこうと思います。

◎きっかけがない
きっかけは、向こうから一方的にやってくるものではなく、まず自分の意識を変えてみることが大事です。スピリチュアルなイベントに参加したいと興味をもつ時点で、参加する資格は十分にあるのです。

もし、自分の経験値や年齢や立場などを気にしているのなら、「いったい自分はなんの為に参加したいのか」をよく考えてみてください。「自分の成長の為」という目的がもっとも大きなものでしょう。シンプルに「参加したい」という気持ちを味わってください。そこには「自分はもっと変われるはず」という思いがあるはずなのです。でも「変われるかどうかわからない」という不安もあるでしょう。その不安は必ずついてまわります。けれども「変われるはずだ」という思いも消えてなくなりません。

もし何度も参加するきっかけを得られないままチャンスを放置してしまうと「変われないまま終わってしまうのではないか」という不安と、いつも戦い続けることになり、次第に気持ちが萎えてきてしまうかもしれません。鉄は熱いうちに打て、といいます。思い立ったが吉日かもしれません。参加したい、変わりたい、変われるはずだ、という思いをどうか大切にしてみてください。

◎そうはいっても仕事や家庭の事情が許さない
こういう方もたくさんいらっしゃると思います。誰しもが余裕がありません。時間的、金銭的に余裕がない。そんななかでそれなりの時間を「自分の為だけに割く」ことは簡単ではないでしょう。
でも、参加をあきらめたとして、その時間はそれに代わるだけ有意義に過ごせるものでしょうか。なんとかやりくりすればよかった、と後で後悔する可能性はないのでしょうか。
さまざまな事情があって、とても無理であるとしても、自分は変わりたい。変われるかどうかを試してみたい。その為に自分に投資(時間や費用)をしてみたい、そう考えてみることも大事です。事情がゆるさないのではなく、時間と費用を「自分の可能性に投資することを許可していない」のは自分自身なのです。
自分はきっと変われる、時間と費用を投資するだけの意義をきっと見つけられる、そう信じることです。自分の内面から新しい意識に脱皮することで、人生をより充実して、有意義に生きられるようになるかもしれない。そうすれば、人生のなかで少しばかりの時間と費用の投資は、大きな糧となって戻ってくることでしょう。

一生の長い人生で考えれば、ほんの些細な投資にすぎないはずなのです。うっかりインフルエンザにかかってしまったらどうせ消えてなくなる程度の人生の一場面でしょう。学業や健康や目先の収益や知識や資格の為の投資でなく、時に「自分という存在そのもの」への投資もしましょう。

◎あなたが参加すると決めれば、あなたの為に最善の席が用意される
できるだけ早く、明確な目的をもって参加を決意することで、あなたのガイドが、あなたの為にもっともよい学びとなるように、最善の席を用意してくれます。もし、当日までに必要な準備があれば自然にそれが整うように導いてもらえます。そして当日は驚くほどスムーズに会場に到着し、あっというまに充実した学びの時は過ぎ行き、充実感に浸りながら帰路につけることでしょう。

こういう経験を重ねていくと、誰しもが「けしてひとりではない」と実感できるようになります。そして魂のガイドとの絆が安定し、人生のさまざまな試練にも打たれ強い精神力を得ることにつながるのです。

より多くの人に、たくさんのよい成長の場が与えられますように、心から祈っています。

子宝

金曜日, 9月 9th, 2011

結婚し、そして子宝を授かることによって人生の意味が大きく深まり、生き方そのものが変わってしまうこともあります。

人はさまざまな過去のいきさつをもった魂が、今回の人生では新しい境遇に生まれ変わってくるのです。いわば「やりなおす」ことが可能になるわけです。その際に、新しい生き方を実現する為に、「子宝」を得ることもあります。これは本当に神様からのご褒美といっていい巡りあわせです。

一方で、子供には子供の人生があるので、いずれは親離れをします。ですから、親御さんは自分の人生の「やりなおし」の為に子宝を授かる場合、多くの場合は子供が小さいうちにしっかり向きあっていく、その過程を通して魂が癒されていく体験をします。子供は成長しきってしまうと自分の世界を創り上げてしまいますから、親子の時間は終わりになります。その間、早ければ十年、あるいは15〜6年続くこともあれば18年ぐらいかかることもあります。いずれにしても、子供が精神的に、社会的に大人になり、自立していく流れで子宝としてのご褒美を受け取れる時間は終わります。でも、その間に、親御さんの魂は十分にやりなおしが終わり、深く癒され、素晴らしい人生の時間を味わうことができます。

親御さんの魂にとって「子育て」が大きな深い意味をもつ場合は、その10年から18年ぐらいの時間を、大切にしっかりと味わっていく必要があります。一方で子供にも個性がありますから、いろいろ心がけて欲しいことがあります。

大切な親子の関係がすでに用意されている場合は、10年から18年の流れがはっきり現れます。幼年期から入学し、思春期を迎え、成人していく過程における心構え、注意すべきことなどをひと通り、お伝えすることもあります。お子さんがまだ乳児でも、幾つになっても、これらの情報をひもとく事が可能です。

もし、お子さんを授かって、そこになにか大きな意味を感じている方は、一度鑑定を受けられると参考になると思います。

Be the change you want to see in the world

月曜日, 9月 5th, 2011

あるセミナーで、ハイアーセルフとのつながりを強化する取り組みを行いました。
その時の覚え書きになります。

ハイアーセルフとは、皆さんの過去ではなく、未来にある。過去を振り返ること、とらわれることはすべからく自我のなせる技であって、ハイアーセルフは関知していない。

また、ハイアーセルフは常に、わくわくするような新しい方向性を自分に与えようとする。つまり「自己変革」ということをいつも要求してくる。もしも新しい方向に進むことを自分に許さなくなれば、それだけでハイアーセルフとのつながりは弱まってしまう。いつでもハイアーセルフと一体になっている生き方を実現する為には、新しいものにチャレンジすることに、喜びや楽しみをみいだせる自分を維持するべきである。

というような内容のことを、レクチャーではなく、呼吸法や瞑想などの技法を通して一緒に学んだのです。頭で学んでも実践していかなければ意味がありません。

ガンジーの有名な言葉(タイトルの通り)がありますが、まさしく、世界を変えるには自分が変わること。新しい未来を創造する生き方はハイアーセルフとつながる生き方でもあるんですね。でも、言葉から学ぶのではなく、ひとりひとりが自分に見合う技術を実践的な方法論として学び、自分で日々実践し、そこから新しい未来を築くとっかかりを見つけていける。そんな指導を私はいつもこころがけています。

指差し、の意味。

火曜日, 7月 26th, 2011

人差し指。使い方がいろいろあります。駅のホームで駅員さんが指差し確認をしていたりします。子供が空を見上げて飛行機を指さしたりします。

大人になると、あまり指差しをしなくなります。が、稀にテレビで、相手を指さししている偉い人をみかけることがないわけではありません。

ヒーリングをする時、指先は非常に大事な道具になります。エネルギーをそこに直接、注入できるからです。特に人差し指の先端はとても敏感なセンサーにもなっていて、エネルギーを適切に送り込む為に大事にしなければならない部分です。

人差し指は自分の心とまっすぐにつながってもいます。人差し指の先端で触れる。これはすでに「心でふれあう」ということを意味しています。ですから、小さい子供に人差し指で、ほっぺたをおされたりすると、どんな人でも心がとろけてしまいます。また、赤ちゃんのほっぺたがやわらかくて気持ちよいのですが、人はなぜか右手の人差し指で触れたがりますね。それは「心」が触れていることを感じられるセンサーの役割を、人差し指がもっているからです。

仕事のなかで、大切な部分を人差し指でしっかりなぞったり、指し示したりしている人。とても職業に忠実でまじめな人だということがいえます。自分の「真心」をそこに向けているからです。純真な子供が空をみあげたり、動物を見つけて指をさしているのは、好奇心ゆえに心奪われている状態だからです。

では、大の大人が上から目線で相手を見下したような態度で指差しをするのは、どういう了見からくるのでしょうね。

あまりすべてを解説してしまっても仕方ないので、これは宿題ということにしておきます。皆さんなりに、考えてみてはいかがでしょうか。