Archive for the '先祖供養' Category

お彼岸

火曜日, 9月 20th, 2011

いつからか、もっぱら先祖供養をする時期と理解されている「お彼岸」。元来は、悟りの境地を意味する。古来は六波羅蜜を行じる、いわばより修行に専念すべき期間でもあったようです。六波羅蜜などというと、途端に理屈がましくなるわけですが、布施という言葉なら誰でも知っているでしょう。この布施という概念は、仏の教えでは悟りに至る為に大切な修行の要素なわけです。そういったことを改めて考え、そして取り組んでみましょうよ、という呼びかけでもあるわけです。

お彼岸をお墓参りに出向いたり、おはぎをいただいたり、それぞれの習慣を通して過ごしていく。それでいいと思います。それぞれの家系に定着しているセレモニーを通して、まずは先祖への感謝を学んでいくことも、悟りに至る為には大切な事ですから。

先祖つながりの大切さ

火曜日, 8月 16th, 2011

お盆を機会に、因縁とか、先祖の話題が少しでました。

ここでひとつ、まとめとして「バランス」の話しをしておきたいと思うのです。

先祖供養はとても大切だ、ということを機会があればお伝えします。ではいったい「どれぐらい大切なのか」ということです。どんな人でも、その人の人生において先祖供養は本当に重要です。100%大切なことです。究極といっていい。それぐらい大切にしなければいけない命題といえます。でも、人生そんなに暇じゃないよ、それ以外にもいろいろあるんだよ、しかも先祖供養なんて非現実的。宗教だってそこまで強制しないよ、と。そうなんです。誰もそんなことを強制されたくないし、そこまで現実に余裕はないんです。でも、とても大切だということは事実です。

先祖とのつながり、その重要さにおいて「先祖供養は100%必須」なのです。だから、先祖とのつながりなんて、どうでもいいし、必要ないって人には0%、つまり先祖供養なんて必要ないという結論になりますね。

結局、その人のバランス感覚なんです。その人が「先祖とのつながり」が大事だと思えば、本当に供養は重要になってくる。でも、そういう感覚がなければどうでもよい、という位置づけになります。

食べ物のビタミンやミネラルだって、なにをどれだけ摂ればいいか、逆になにをどう摂らないとどんな病気になるか。人それぞれ考え方も、価値観も、経験値もバラバラです。だから、最小限、ほどほどのバランスを目指しているんだと思います。でも、重い病気をした人は、栄養バランスを本当に大切に考えるようになります。それと同じことで、人生でなにか「先祖つながり」のことで苦労をした人は、大事に考えるようになるんです。

人生、本当に人それぞれ今、どんな命題と向き合うべきなのか、テーマが違います。どんぴしゃ先祖つながりを考え、供養について考える人もいます。でも、多くの人はそうではないでしょう。であれば今は自分が為すべきことを為していくべし、なのです。

因縁の話し。

月曜日, 8月 15th, 2011

先祖供養のことをいうと、どうしても「因縁」という言葉を出さないといけなくなります。先祖の因縁などというと、なんとなく、うさんくさく、そしてネガティブなイメージがつきまとうのは何故なのでしょうか。

先祖の因縁というのは、あります。本来、れっきとして「ある」ものなのです。それは、いいとか悪いとか定義づけるべきものでなく、「あるべくしてある」ものなので、その善悪などという議論はいかがなものか、という感じです。

その本質はいわゆる因果応報の法則から発生するさまざなな因果関係のことを「因縁」と簡単に言うのです。特に、人間関係、先祖由来のものをそう呼びます。時に「もの」に関わる因縁という言葉もありますが、由来(ルーツ)は人間です。人の思いがものに宿った結果としての因縁、ですね。

ここでひとつのサンプルとして、私が作っているブレスレットの話しをします。私が作っているブレスレットはひとつひとつ手作りですし、持つ人の運気が上がるように、悪い因縁からよくない影響を受けず、それらが最小限で食い止められますようにと祈りをこめてつくります。

悪い因縁を止めるものはなにか、といえばそれもまた「因縁」でしょう。よきご縁が、悪しき縁を中和するのです。ですから、私自身も「因縁」を作り出しています。ただ、日常的にはお客様に対して「よい因縁をいただきまして・・・」などと申し上げることはありません。ただ、本来の意味からするとさして間違った使い方でもないと思うのですが。それは理屈の話し。常識からすると、縁起のよくない使い方になってしまいます。

ですから、常識(世間の空気)にはさかわらず、素直に「因縁」は、良くない因果関係のことを指す、という空気には従うことにしましょう。

亡き人を思う

日曜日, 8月 14th, 2011

お盆になると、ずっと昔、自分が産まれる前に戦地で亡くなった先祖のことをよく思い出します。沖縄戦でなくなった方は、少し前にお参りにいくことができました。でもロシアで抑留され亡くなった先祖については、残念ながら詳しいことがわかりません。最近、ロシア政府から厚労省に60万人分の名簿が届けられたそうで、分類作業をしているらしいのです。はやく一般公開して欲しいものです。遺骨が戻ることはもはや難しいでしょう。でも、わかるだけのことは調べたいし、とにかくできるだけのことをしてやり遂げておきたい。それが子孫の共通の願いでしょう。もう直接、覚えている親族も絶えてしまいました。私の代が忘れてしまえば、もう誰もその人のことを思い出すこともなくなってしまう。それはやはり無念なことに違いありません。

先祖を供養することは、とても大切な行為です。誰にでも先祖はあるのですし、私たちの先祖の多くはとても苦労をしていますからね。