by sasagawa ~ 2011年06月12日(日) 21:15 pm
このコラムでは、なかなか「スピリチュアル」な視点からしか紐解けない、日常的で普遍的で誰にでも関わりのある事について広く言及していきたいと考えています。ですから、霊視鑑定による特異な事例などの紹介はまず出てこないでしょう。というより、そこまで掘り下げるだけの回数にも文字数にもならないので、あしからず。
さて、今日は「痛み」ということについて。少しレイキにも関係があります。
私たちの身体はずいぶん「痛み」を訴えます。なにかというとどこか痛くなります。おかげで不調に気づき、早く対処が可能になりますから、痛みほどありがたい身体からのメッセージもないわけです。ところが、痛みを覚えて病院に出向き、検査を受けたがなにも原因がみつからない。そういう場合もあります。お医者さんでも「わからない」という場合。それでも本人は間違いなく「痛い」のですから、困ります。
心理学もいろいろな学派があるようですが、ある心理学者は患者の訴える「痛み」と向きあい、何度もカウンセリングを繰り返すなかで過去の抑圧された意識が潜んでいるのを見出し、解放していくそうです。これなどは「痛み」といっても千差万別なのだから症状からひとつの原因に結び付けられず、固有の解をその都度導きだそうとする方法論だと思います。なかなか時間もコストもかかる方法にみえます。一般の人はそんなカウンセリングを受けることはできません。
では、もし私たちが原因不明の痛みに襲われ、苦しんだらどうすればいいのか。代替療法のなかではひょっとしたらホメオパシーも有効なのかもしれませんが、私はそちらは専門ではないので自分の得意な領域である「レイキ」がどうアプローチし得るのか、も含めて「痛み」を紐解いてみます。
実際に、何度かあった事例です。やはり「身体」の痛みを訴えている方がいました。レイキを習得している方の場合は、自分でその箇所に手当を繰り返して行うように指示をだします。また、もしその箇所以外にも原因となっているような場所があれば同じように手当をしてもらいます。自分は幸いにも、オーラがかなり詳細に見えるので、見当がつくのです。そういう事例をたくさん見ているうちに、オーラの陰りが、ある一定の段階に達すると、身体に異変が起き始めることがわかってきました。ほとんど感じない段階もあれば、かなり痛みを覚える段階まであります。また、そのオーラの陰りにも幾つかの特性があって、いわば「質感」が違うのです。違う質感を生み出す要因の一つは「時間軸」のように思われます。古いエネルギーはかなり重く、しつこいエネルギーに変化していきます。たくさん研鑽を積んで「何年前のものか」を鑑定できるようになったのですが、こういうことは自分だけがわかっても仕方がない。どうやったらこれらのエネルギーの質感を理解してもらい、感じ分けてもらえるようになるだろうか。レイキを習得した人が自分でその原因を把握して対処できるようになるにはどうすればよいのだろうか。ずっとそのことを考えて、指導してきています。
この原因不明の痛みを作り出すオーラの陰りはストレスなんです※。多くの場合は対人関係のストレスです。家庭の問題からくる場合もあります。稀に、家や土地など風水の問題もからみますが、北海道は土地柄、風水的なトラブルが起きにくいようですから、まずほとんどの場合は家庭の事情か、学校や職場、友人か恋人(夫婦)関係に源があります。それらが時に何十年、時に数日のストレスを創り出し、オーラに重いエネルギーの陰りを生み出した結果、身体の一部に極端なエネルギーの淀みとなり、身体が細胞にダメージを受けていると錯覚をして、「痛み」シグナルを発しているのです。
レイキは、オーラの陰りもどんどん浄化をしますので、どんな痛みでも必要なだけの時間をかければ治ります。ただ、その痛みのある箇所以外にも原因があると、完治はしません。単純なものであればすぐ治るのですが、何箇所も原因が関わりあっていたり、複雑な事例だと自分だけの力では治せないかもしれません。
レイキ・レベル2の遠隔治療の技法を応用して、みえない原因を探り当てたり、そこにエネルギーを送信する方法があります。上達すると、これらの技法をおりまぜながら、心理学でもなかなかアプローチできないストレスや過去のトラウマの蓄積が原因となる、身体の不調を改善することが可能になります。
ただ、こういったことはレイキヒーラーでも研究している人は皆無で、どこにも情報がありません※※。医療関係の方、特に精神医療に関連する人達がもっとレイキの技法に興味を持ってくれる時代がくることを切望しています。自分が持っている知識や技術は志の為にすべて提供します。
※厳密にいうと双方のチャクラが共振する波長から起きるエネルギーが調和せず歪んだ状態
※※海外のレイキマスター達は意欲的ですから研究レポートもあるでしょうが、まず翻訳されることはありませんので国内で得られる情報はありません。非常に残念なことです。
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by sasagawa ~ 2011年06月12日(日) 15:00 pm
自分のエゴを持つことをあまり気にしなさんな、という事を書いてみたのですが、それはひとつの視点であって、それですべて丸く収まるということではありません。
前言を翻すようですが、例えばカルマの法則というのは、完全に等しくすべての事象に作用しています。ですから、自分の身にふってかかること、というのは「まったく身に覚えがない」としても、それは絶対に「なんらかの作用があって、因縁として自分に戻ってきた」のですから、発端は自分にあるわけです。ところが私たちの記憶には、その発端がわからない、覚えていない。生まれ変わった時に記憶としては置いてきたのですから、仕方がありません。
つまり、カルマの法則ということはわかっても、「納得できない」のがそもそも人生なのです。この世は矛盾だらけ、という感覚は誰にでもあります。その度合の多い少ないはあっても、ないという人はいないでしょう。
全部自分に原因があるのだな、という考え方を持ってみると、世界が違ってみえるようになります。そこから新しい道が開けたり、人間関係が変わったり。そういうきっかけ作りになるとすれば、少しぐらいカルマについて考えることもけしてやぶさかではないわけです。
あまり気にしなくていい、けれど、それを考えてみたほうがいい時期も時々やってくるから、その時にちょっと真剣に向き合ってみてもいいでしょう。
カウンセリングのご相談テーマで、「自分にはどんな前世の因縁があるのでしょうか」というご質問、これは多くはないのですが時々あります。でも、本当は皆さん気になっているようです。問われなくても、心が問いかけているのを感じます。前世を霊視鑑定すると、長い転生のいきさつのなかで生まれた苦手意識だとか、抑圧された欲求、繰り返される悪いパターンなどもみえてきます。一方で、この人生の方向性もありありと浮上してきます。前進する方針がしっかり掘り下げられていくことによって、たとえ深いカルマがあるとしても(あまりないとしても)、もっともっと大切なことはなんなのか、ということがわかってくるわけです。
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by sasagawa ~ 2011年06月11日(土) 13:32 pm
カウンセリングを通して「エゴ」について、よく考えさせられます。
多くの魂が前世において「エゴ」を通して他者と対立をし、たくさんの苦しみを味わった経験を持っています。また、今生の人生で心が抑圧を受け、自らの「エゴ」を少しでも現すことを怖れるようになった事例も多い。私たちはなぜか最初から強いエゴをもって存在しています。これはある意味、仕方のないことで霊界とこの地上との関係からして、やむを得ない事情も多々あるのです。つまり地上に生きている私たちの視点から現状を分析するなら、この世に生きている人間はすべてエゴにまみれている、というのが客観的な事実のようであります。
そこを起点にして考えるなら、あまりエゴを持つことを怖れなくてもいいのかもしれません。あるものはあるのだから、とらわれても仕方がない、と。かといって無用にエゴを出してしまうと、人を傷つけてしまうかもしれません。もしそんなことになれば業(ごう)となって深い因縁を背負ってしまいます(カルマの法則により)。
それにしても、私たちは知識ではエゴとか、カルマという言葉を知ってはいるけれど、誰もその「正体」を知らないのです。ウィルスやガン細胞のように検査薬で調べることができるわけではありません。ただ、そういうことが「あるらしい」ということを知っているだけです。
結局、本当はどれぐらい自分はエゴが強いのか、そうではないのか。どういう生き方は間違っていて、そうでないのか。どこからカルマになるのか、ならないのか。皆目見当すらつかない。それが現実です。
はっきりいってしまえば「暗闇で手探りをしている」のに等しいわけです。
すると、あまり気にしなさんな、という言い方が一番適当で正しい。そんな気がします。
私たちは様々な規制の中で生きています。たとえばふんだんにお金を使える人はいません。何人もの人と次から次へと欲にまかせた性愛遍歴を重ねていくようなふしだらな事はできません。働かずに遊んでくらせる人はいません。犯罪行為を犯すと、告訴され、処罰されます。高い税金や年金を払い続けなければなりません。自分の落ち度ではないのに、みえない放射線の恐怖におびえて生きていかねばなりません。いつかガンになって余命いくばくもないと宣告されてしまうかもしれないし、明日、事故や災害にあって死んでしまうかもしれません。
そもそも生きているだけで、いろいろなリスクがあり、たくさん守らなければいけないルールがあります。それでも日本は割と自由に気楽に暮らせる国のひとつだと思います。だとしても人生っていろいろあるんです。ありすぎるぐらい、あるんです。その上、なにがカルマになるとか、自分のエゴは強すぎないか等々、心配をはじめたらそれこそきりがないではありませんか。
もうなにも気にしないこと。そのことで気持ちが楽になった分、日々をしっかり生きる努力をすること。そこで少しでもゆとりができたなら、誰か困っている人に手を差し伸べてあげる。
結局は、そうすることがなによりもカルマを作らずに済む、もし作ってしまったとしても、すみやかに解消する生き方なのではないのかな。
レイキの教えに「五戒」という言葉あるのですが、最初に「今日だけは 怒るな 心配すな」と教えられるのです。この2つのキーワードは、いつも意識していないといけません。毎日、繰り返し自分に言い聞かせつづけないといけない戒めなんですね。これは人間だからしょうがない。本質的に人は怒りっぽいし、心配性。だって、いつか死んでしまうんですから。病気を絶対にしないなんて誰も保証してくれないんです。いらいらしたり、くよくよしたり、どうしてもするんです。そういう性癖は根本的に仕方のない、どうしようもないことだ、けれど、その感情にけして流されてはいけない、ましてそのことで生きる目標を見失ってはいけない、ということなんです。簡単すぎて、見失いがちなことですが本当に大切な戒めですよね。
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by sasagawa ~ 2011年06月10日(金) 22:52 pm
すっかり「目にみえない世界」で仕事をし、日々を生きる人生になりましたが、以前の仕事をふりかえってみますと音楽をつくることも大事な領域でした。音楽もやはり目にみえない世界である点では共通しているかもしれません。
音楽には「音階」というものがあります。1オクターブに12の音がある。ピアノでいえばこれが88個並んでいます。なかにはこの全ての音程を聴くだけで言い当ててしまう(いわゆる絶対音感)人がいます。自分にはそんな超能力のような感覚はありません。楽器は小さい頃に少しだけ習ったりしましたが、ピアノはちゃんとレッスンを受けなかった。習い事は嫌いでしたからね…。それに、1オクターブに音が12種類しかないのは、実はちょっと違和感がありました。簡単にいうと気持ちよくない。何故なのかはよくわかりません。でも、なんとなく変だな、という感覚はずっと昔からありました。
それじゃぁ気持ちよい音ってなんだろう、と考えてみるのですがどうも方程式がみつからない。きっちりオクターブ12音階で作られた音楽だって気持ちよい事もあります。かといって音階のあってないような民謡のような、民族音楽のようなものがすべて心地良いわけではない。
いったいぜんたい「自分の脳内回路」は、なにを基準にして心地良いとか、そうじゃないということを感じるのだろう。音という空気振動を通して聴覚神経が感じ取るバイブレーションから、いったいなにが伝わってきているのだろう…。
私は音楽は「記憶」だと思っているのです。記憶…。それも「魂の記憶」です。ですから「魂が覚えているなにか」を引き出す合言葉のようなもの。それが心地良い音楽のひとつのモノサシになっているのではないか。いいかえれば魂にとっての子守唄ですね。それは時にリズムだったりハーモニーだったり、あるいはシンフォニーのような、合唱曲のような、様々な種類のリズムと響きと立体的な構造をもった「アート」として、私たちの魂は記憶しているようなのです。
ある音楽家の前世を霊視した時に、その人は過去においても「音楽家」だったのですが、本当に様々な土地に出向き、たくさんの人に出会い、たくさんの体験をしている人だったんですね。その都度、喜びや悲しみを音楽に表して多くの人を癒し、頼ませ、励ました。そんな人生を過去に幾度となくおくった人でした。その方はいまでもたくさんの名曲を生み出し、演奏活動をし、日々ファンの人達を楽しませています。その人の音楽を聴くと、なぜか「懐かしい」という感覚がよぎります。多くのファンの人達も、なぜかうっとりと心ひかれ、陶酔してしまうようです。
音楽もまた、みえない波長の世界ではひとつの大切な言語となり得るのではないでしょうか。
自分の魂が必要としている音を是非みつけましょう。そして是非、大切にしましょう。懐かしい、と感じる音を素直に聴いてみる。心が喜んでいるのを感じられるかもしれませんね。
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by sasagawa ~ 2011年06月09日(木) 19:05 pm
「離婚」は非常に多いご相談テーマのひとつです。
特にお子さんを連れて離婚した女性には、生活の不安も大きい。加えて離婚はどんな方にとっても、何年も心の重荷になるもの。現実面は日々、忍耐と努力でなんとか乗り越えていくよりありませんが、心理的な重荷は少しでも軽くできるならそれに越したことはありません。
スピリチュアルカウンセリングでは、離婚の意味を「双方の魂が離婚によりなにを学んだのか」という観点でひもといていきます。離婚という事実よりも、その経験を通してなにかに気付いたり、考え方や価値観が変化したり、生きる方向性を見つめ直したり、というように前向きな人生を生きる為の「糧」と成し遂げられたかどうかが重要です。そこでひとつ言えることは「振り返って復習をすること」は非常に大切なんです。離婚してから何年も経ったとしても、その事実と向き合って「学ぶべきことを学び終えておく」とスムーズに次の新しい流れに入っていくことができます。逆に、向きあえず心の片隅にダンボールに詰めたまま放置しておくと、いつまでもその部屋に新しい物を置くことはできず、人生を浪費してしまう怖れもあります。
離婚は大きな人生のドラマです。時に一方がものすごい悪役を演じている場合もあります。でもお互いに「夫」と「妻」という役を演じているだけで、舞台を降りた後までいがみあったり、憎み合ったりし続けてはいません。実際、天国に昇天した後はたいてい仲直りし、肩をたたき合うような同士になります。いつまでも憎しみや心の痛みが消えないとすれば、おそらく「復習」がまだ終わっていないからなのです。ひょっとしたら相手がすごい悪役を「率先して演じてくれていた」のかもしれません。そのドラマのなかでは自分が一方的な被害者で可哀想な役柄だったとしても、本当は他の人はすべて脇役で自分にこそスポットがあたっていた、そして今でも空の上からは魂のガイド達があなたが「気づく」のをじっと見守っているのかもしれません。
離婚によって心が傷ついたり、思い出すことが辛い時期もありますから「復習」の準備が整うまでは少し時間がかかることもあります。もしできるだけ早く前に進みたいという場合には、あまり無理せずタイミングをはかる為に、まずは「カウンセラー」ではなく、心の痛みを受け止めてくれるセラピストやヒーラーに痛み止めを処方してもらうのがいいでしょうね。
レイキは過去のトラウマにも非常に有効です。じっくりヒーリングをしてもらうと潜在意識の奥でうずいている痛みが和らいでいきますよ。
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by sasagawa ~ 2011年06月08日(水) 14:08 pm
昨今は、ストレスと体調の関係についての情報も多く出回るようになってきました。我が若年時代の体験としてストレスによる下痢がありました。消化器系に関していえば、そもそも中学ぐらいから慢性的な十二指腸潰瘍があり、数年に一度は激痛で病院にかけこんでいました。ひどい吐き気とみぞおちの不快感に苦しみました。食後は少し楽になるし、症状にも波があるのでだましだまし付き合っていました。社会人になっても改善するどころか、ますますひどくなりましたね。近所の内科医に頻繁に通っては、薬をもらい、症状がひどいと点滴や、内視鏡検査も何度も受けました(最近の胃カメラはよくなってきたようですが当時のは太くて飲み込みにくく、本当に苦しかった…)。同時に、下痢のトラブルもひんぱんにありました。これについては子供の頃から、ふとしたきっかけで下痢をひきおこしていました。大人になってからも緊張すると兆しが…。大事な場面ではいつもそうでした。ですからトイレが近くにあるかどうかは死活問題。緊急時のことをいつも心配し続ける日々でした。逆に、トイレが近くにあれば少し安心して症状も和らいだのですが、不安が不安を呼び悪循環になっていたのでしょう。結局、これらの消化器系の弱点が最終的にはパニック障害の発作をひきおこす引き金になったように思います。今日は消化器系の問題について、もう少し当時の自分をふりかえってみます。
今では下痢はあまりしません。時々、ありますが原因もはっきりしていますので不安になることはないのです。それに今は会社員時代のように会議や出張(パニック障害持ちの自分に東京出張は地獄でした)のスケジュールに追われることもないので、外出していても、いちいち不安になったりはしません。
若い頃、どうしてあんなに調子が悪かったのだろうか。今では、人にレイキという健康法を指導する立場ですから、ずいぶん経験も勉強も重ねてきました。ある程度は客観的に把握することができるようになったのです。当時、夏場になると非常に調子が悪くなりました。冬は大丈夫なんです。汗ばむ季節になると下痢をしやすくなりました。つまり発汗が多くなるとトラブルが起きていました。水分代謝がとても重要だということは、最近までよくわかっていませんでした。
・水分はストレスを解消する重要な要素であること
このことは、今ならよくわかります。
ちょっとしたストレスなら、綺麗なお水をとると治るのです。当然、その分トイレにいく回数は増えますね。でも、そのおかげで神経系が回復しやすくなる。この事はレイキを教えるようになって、体感するようになりました。
夏場、発汗して水分補給を怠ると、どんどん神経ストレスが身体のなかに溜まりやすくなる。そうすると、不安が高まり、消化器系に過剰な刺激がつたわり便意を感じている、と脳が誤解をしたのでしょうね。実際、本当に下痢をしてしまう場面よりも、トイレにいきたくなったらどうしよう、と心がうろうろさまよう場面のほうがずっと多かったのです。でも、実際には便意を感じるし、下腹部にさしこむようなきつい不快感も覚えます。勘違いしてトイレに駈け込むことも多かった。でも、でないのですね。そのくり返しでした。
水分をとると、便意が高まるような気もしていましたから、症状が悪化したら怖い。だから水分をとりたくない、そういう悪循環もあったように思います。
今では気温が上がり、発汗が活発になるとひたすら水分摂取をこまめにこころがけています。ストレスもたまりにくいですし、神経疲労が穏やかになりますから集中力も落ちないで済むようです。運転中の集中力が落ちると事故をおこしやすいですから、ドライバーさんは夏場は特にドリンクを携行するようにしたほうがいいでしょうね。
※どんな環境や条件でみぞおちから下腹部周辺にストレスを溜めやすいのか、などはレイキの勉強を深めていく過程でお伝えしています。
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by sasagawa ~ 2011年06月07日(火) 22:35 pm
レイキは「神秘」と思われているのかもしれないが、外国では普通に代替医療に取り入れられている。習得も簡単で、技術として磨きあげれば十分に医療の現場での応用だって可能なのではないだろうか。
私事で恐縮だが、レイキがこんなふうにも効く、というひとつの事例として紹介しておきたい。
レイキは神経ストレスによく効く。これはヒーリングしていて実感として感じるし、レイキを習得していただいた多くの方がストレスが軽減したという実感を持っていらっしゃる。データを統計したことはないけれど、ほとんどの方はある程度、感じているように思う。
ただ、具体的にどのように神経ストレスを解消しているのかは、私たちは医療従事者ではないので見当もつかない。医学に長けた人達が研究してデータを公開してくださるような時代がくればいいのだが、自分でもできるだけ「検証できることはやっておきたい」と思います。さまざまな角度からの裏付けが増えれば増えるほど、レイキは単なる神秘的な「よくわからないもの」ではなく、実践的な経験に裏付けられた立派な代替医療の技術として更に認知されていくと思うのです。
さて、私自身の経験というのは「しゃっくり」です。
幼少の頃から「しゃっくり」がはじまると、なかなかとまらなかった。きっかけは本当にふとしたはずみです。ちょっとご飯が喉につかえたとか、びっくりした、とか。「ひくっ」とはじまるのですが、これが何日も止まらない。3日も4日もとまらないことなんてよくありました。不思議と寝ている間は止まっているのです。でも起きてしばらく活動しはじめると、また再開します。社会人になってからも、何年かに一度はそういうことがありました。近年もありました。記憶ではこの10年で数回あったと思います。ただ、レイキ習得後は次第に症状は軽くなっていて、おおむね1日ぐらいで治るようになっていました。
少し前ですが、またしても「しゃっくり」が始まった時、今度こそは「原因」を探してあててやろうと思い立って集中してピンポイントのセルフケア(自らでレイキの手当をする)をしました。前回のしゃっくりの時に、だいたい感触は得ていたのでここかな、と思われるところに手当をしました。それがどんぴしゃだったようで、数分でしゃっくりは止まりました。その後は再発もありません。振り返れば、あれから「そのポイント」をよくセルフケアしているせいか、まだ一度もしゃっくりは起きていません。次回また始まったとしても治せるだろうと思います。
今日はこの一件の裏付けをとっていました。人体解剖図でしゃっくりに関連しているらしい神経系をじっくりみていると、手当てをしたポイントにぴったりの神経がありました。おそらく、この神経になんらかのトラブルが起きていて、それが原因になっていたのではないでしょうか。

最近は、解剖学的な知識もできるだけ調べて、さまざまな身体症状に対するヒーリングの方法も指導するようにこころがけています。単なる知識を伝えるのではなく、手当をしてみて効果を感じるところを見つけること、そこに医学知識の裏付けを加えていくようにすると、後々の人達に役立てていただけるデータになっていきますね。できるだけ溜めて、生徒さんには伝達していこうと思います。
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by sasagawa ~ 2011年06月06日(月) 22:19 pm
人から批判をされたりクレームをつけられたり。それが友人関係であろうと職場での関係であろうと、心は傷つきます。いったいどうして人はわかりあえないものなのでしょうか。
魂はけして「傷つくこと」を願っているわけではありません。それぞれが「魂を磨きたい」と進化成長をまっすぐに望んで転生するのです。傷ついて挫折したり自己嫌悪に陥ったり、ストレスで円形脱毛症になったり逃げ出したくなったりすることは、本当はどんどん乗り越えたいわけです。これらは願った結果ではなく、過程にしかすぎないのですから、できるだけ早く通り過ぎて次のステップに進むべきなんです。でも、人は「煮詰まる」ものです。そんな時は、
・ほとぼりが冷めるのをまつ
・やんわりとやり過ごす
という人もいるでしょう。一方で、
・毅然として相手と議論をする
・逆に攻撃をする
などという過激な人もいるかもしれません。
でも、人の心の持っている性質としては、まず
・傷ついたダメージの修復
がはじまります。つまり、誰でも本能的に「心を癒そう」とするわけです。意図しようとすまいと心はまず分かり合える事よりも先に「癒し」を求めます。それはしばらく静かな時間を持つことだったり、休暇をとる事だったり。時には転職することだったり。人によって様々な癒しがあります。これらはけして逃避ではなく「心に必要な処方」なんです。癒しが不十分だと心は故障してしまいます。故障すると回復するまでに更に時間がかかったり多くのサポートを必要とするようになってしまいます。なるべく自力で回復できる範囲で癒しを求めている期間に、「心のおもむくままに素直に」時を過ごせるときっと元気になれます。
でも、現実はなかなかそうはいかない。
時は待ってくれません。人も社会も待ってくれません。期限があることはそれまでに完結させなければならず、約束は果たさなければなりません。約束が果たせないと自分のプライドが傷ついてしまいます。心を優先するか、プライドを優先するか、本当に難しい局面も多々あるでしょう。
さて、人から批判をされる場面を考えてみると、傷つくことが目的でないのならそのシナリオにはどんな意図があるのか。なんらかの気づきや成長のきっかけに過ぎないのなら、解があるはず。もし批判された心のダメージが癒されて、相手の立場になって冷静に考えてみることができるならば、なにかひらくことだってあるでしょう。
多くの場合、人が誰かを批判したり、攻撃する時って「なにかわかって欲しいことがある」ものなんです。
それが「なに」かは、千差万別です。でも、メッセージを伝えたいがまっすぐストレートに伝えられない事情がきっとなにかあるのです。それは、その人の性格だったり、立場だったり、双方の関係性だったりです。意地やプライドが邪魔をする場合も多々あるでしょう。でも、言葉や態度の裏に隠された「真意」がもしも汲み取れたなら、シンプルに「先方からのリクエスト」なのだ、と理解し、受け入れることも可能になるでしょう。いいかえれば「お互いの関係を向上させる為のささやかな提案」かもしれないのです。
他者からの批判が単なる攻撃ではなく「お互いや周囲の人みんながよくなる為のポジティブな提案」なのであればまったく傷つく必要はなく、誰だって素直に受け取れるはずです。
すべての人が誰かにメッセージを発信する時に、親しい友人、大切な家族にギフトカードを贈るような暖かい気持ちでくるんで届けられたら、誰も傷つかないで済むでしょう。
しかし、いろいろな理由があって私たちはどうしても傷つけあってしまいます。でも、そこで立ち止まってしまうとそれ以上、進化できないまま人生が終わってしまう。なにか手段を探して、まず心を癒し、その辛い出来事の背後に隠された意味を見つける工夫をしようではありませんか。
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by sasagawa ~ 2011年06月06日(月) 0:38 am
グループでレイキの講習を受けていただく場合は、必ず手当(ヒーリング)の実習があります。もちろん生徒さんが中心に行うので、指導する自分は横で見ているだけです。と言いたいところですが、実際にはエネルギーの流れがよくない箇所などを指摘したり、どうしてもうまくいかない時などは手を出すこともしばしばです。レイキを指導しはじめてもう10年以上の年月が経ちますが、今でも初めてのケースに遭遇することもしばしば。本当に人の身体というのは千差万別、皆違います。ですから同じような手の当て方でヒーリングを行ったとしても、毎回違う感覚を味わうことになり、その度ごとに新しい気づきや発見があります。その積み重ねは本当に膨大なものです。
この経験値がデータにできればよいのですが残念ながら「みえないエネルギー」を相手に取り組んでいるので、どうしても客観的な資料にまとめることができない。いわば手から手へ、職人技として伝達する他はないわけです。たくさん手当の実践で場数をこなしていく以外に上達の道はない世界です。それでも近年は少しずつレイキに対する偏見も薄れてきて、正しい情報も出回るようになってきましたら、かなり幅広い人達が学びにきてくださるようになりました。
外国では普通に医療の枠に溶けこんで受け入れられているのですが、もっと日本でも普及すればいずれはガン治療と併用して使われていくことも一般化していく日がくるのではないでしょうか。
その日の為に、一人でも多くのレイキ指導者を世に送り出していきたいと精進しているところです。
レイキは誰でも必ず習得できます。始めることは誰にでも本当に簡単にできるシンプルな技法です。もちろん技術を進化させる為にはたくさんの練習が必要なのですが、難病の克服を目的とするのでなければ家庭内療法としてこんなに手軽にいつでもどこでも「お母さんの手」ひとつあればお子さんを癒せる素晴らしいものは他にはないと思います。
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by sasagawa ~ 2011年06月04日(土) 23:09 pm
光のサロンでは機会があればパワーストーンの取扱いを指導しています。ヒーラーになりたいような方にとって、石がもつ多種多様な波動を感じわけられるようになれば見えない場の力を察知して対応できる能力を高められますから、とてもよい基礎力アップになります。
石を集めるのはなんとなく趣味のような感覚ではじめたわけですが、こういう道に入ってみると周囲で水晶を使っている人がそれなりにいるわけで、本格的に学ぶことを避けては通れなかったのです。それでなにげなく手にとるようになりましたが、最初はさっぱり感じわけられませんでした。それでも機会があれば水晶や様々なパワーストーンを買い集めては、なんとなく手元に置くようになったのです。
サロンを開いてから、やはりヒーリングで石を使えたらいいなと思うようになりました。自分の手ひとつでエネルギーを感じ、調整し、整え、改善しようと思うとなかなか大変なのです。なにか支えになるものがあれば、という目的で水晶を使うようになりました。そうするとやはり「それなりに効果がある」ということが実感できるようになり、それでは、と少しずつ石を本格的に集めるようになりました。
元々、収集癖があった故か、あっというまに何百個と石が集まってしまいました。ところが、どの石がどのようにヒーリングに応用できるのか、さっぱりわからない。まず文献がないわけです。英語圏で探せばそれなりに出てきますが、読み込むのに時間もかかります。もっとてっとり早い方法がないものか、と自分なりに石のエネルギーを感じ分けてデータを積み重ねるようになりました。
そんなこんなをくり返しながら、何年かするうちにある程度の種類の石を感じわけられるようになったんですね。その頃からセミナーを開くようになりました。石もどんどん買い集めて、かなりストックが溜まったので、お守りやアクセサリーとして制作販売も手がけるようになりました。
日常、いろいろな方から相談もありますから、そのフォローという意味も含めてさまざまな石を用意していく。すると使ってくださった方からご感想やご意見がかえってくる…。そんなことを繰り返していくうちに、石がもっている神秘的な力を深く理解するようになってきたわけです。
地球の大地にはものすごくたくさんの種類の鉱物資源があります。そのほんの一部がパワーストーンとして流通しています。ひとつひとつが素晴らしい個性と才能を秘めているのですが、まだ私たちはほんのわずかしか利用できていない状況です。
当サロンでも、肝心の水晶の取扱いについてのセミナーはまだ未開催です。なぜかといえば、もっともパワフルな石はやはり「水晶」だからです。そのことについてはいつかまた書きたいと思います。
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