人生航路の灯台として。

気付くと、とても幅広い年齢層の人達にお会いしてきました。十代から八十代まで。どんなにお若い方でも、そしてどんなに人生の終着駅に近づいた方でも、気付きがあり、広がりがあり、そして日々の「人生の流れ」があります。そこにおいて、できるだけ迷わず、しっかりと皆さんそれぞれがあるべき姿で生きていけるように応援できれば、と願っています。いわば人生航路の灯台のようなお役目なのだな、と思います。

どんなに濃い霧がたちこめたとしても、しっかりと光を届けてあげたいのです。

幸せにとまどうこと。

はたからみると、幸せのまっただ中。それなのに本人はちっとも喜べないでいる…。どんなに運気がよく、いい人生の流れの中にあるとしても、ご本人の心が閉ざされていると、楽しいパーティもただの喧騒でありノイズでしかなく、かえって苦しくなったり辛くなったり。人の心というのはなかなかデリケートにできています。誰も本人の心のなかにふみこんで強引に楽しませたり、喜びの美酒で酔わせることはできないのです。

でも、いい流れ、いい運気というのは永遠に一定のまま待っていてはくれない。ふと気付くと、宴は終わり、あたりに誰もいなくなってしまうかもしれません。やはり、物事には「最善のタイミング」というものがあって、それを逃すとなかなか次のサイクルがやってこなかったり…。どうやったら好機を逃さずにいい波に乗れるのか。ひとつは十分に内観をすることでしょう。そのうえで、自ら解決できない疑問や葛藤、矛盾についてあらいざらいぶちまけてみることではないでしょうか。

よく「こんなレベルの低いことを尋ねるのは恥ずかしいのですが…」と前置きをする方がいらっしゃいます。でも、その次に発する言葉がとても大切で重要なポイントであることが多いようです。人は自分で自分の評価を決めてしまい、思いこんでしまう傾向があるのでしょうか。自分で自分が恥ずかしい、と考える意識。でも、その意識はけして客観的ではないようですよ。ですから、勇気をふるって恥ずかしさから脱出してみることも、起死回生のきっかけになるでしょう。いい運気を逃さないうちに…。是非。

それぞれの癒しの道

セラピスト、カウンセラーなどといった肩書きを持つ方もいらっしゃるし、医療や福祉の世界でがんばっていかれる方…それぞれの癒しの道があります。人の身体、心、精神を癒すお仕事についている方に、ずいぶんたくさんお会いしてきました。またこれからいよいよその道にはいっていくという段階を迎えた方…。癒しの道にも、さまざまな道中の出来事があるもの。時にトラブルに遭遇する方、疲れてバランスを崩してしまった方、方向転換を図る方、そしてすべてやり遂げてそろそろ長い旅路の終焉に近づきつつある方…。

どの段階においても、心がけるべきこと、注意すべきことがあります。時にはもっと努力が必要なこともあるけれど、時には勇気ある撤退をすべきタイミングもあるし、じっくり養生して次なる機会をじっくりうかがうべき時もあります。大切なことは、臨機応変な状況判断ではないでしょうか。常識や既成概念にとらわれてしまうと、思わぬ問題に遭遇します。直感を信じ切れればおおむね問題はないけれど、その直感のアンテナが間がっていたり、受信機が不調になることもある。そんな時にはきっとお役にたてると思います。

お告げ。

霊的な能力をどういかすのか。その方法論を模索する以前に、霊能者としての根本的な能力、つまり間違った情報を受け取っていないかどうか…。その検証の為にずいぶん長い時間がかかりました。とても一人では確認できないので、はじめのうちは自分と同レベルの能力を持った人にチェックをお願いしていました。そうやって何年か少しずつ仕事をこなすうちに、次第にひとり歩きできるようになってきて、今ではほとんど検証の為に時間を費やすことはありません。その代わりに、精神的な回路を疲労させないように維持することがとても大切だとわかってきたので、十分な瞑想の時間を取ったり、自分の能力を維持する特別な工夫を怠らないようにしています。そういった事は、プロとしては当然なのだと思いますが、誰も教えてくれなかった非常に特殊な工夫なので苦労はしました。これからスピリチュアルな能力を開花させていこうという若い人達にとっては、貴重な情報、ノウハウになると思うのでしっかり磨いて後世の人達に残していこうと思っています。少しずつですが、後をついてきてくれる若い人達が現れてきたので、心強いですね。

古来、霊的な能力を持つ人はただ「お告げ」をすればよかった。そこには対話はなかったようです。古い概念では、霊的な世界からの情報、メッセージは一方的なもので、現実世界の私たちはそれをただ受け取るしかなかった。ところが最近はその概念が崩れつつあるようです。お告げをききたいという感覚で相談にくる人はほとんどいないのです。占いの延長と考えている人もあるようで、そのギャップにはかなり悩みました。お電話やメールでの問い合わせでも「占いですか?」「占いと違うのでしょうか?」と尋ねられて、答えにつまることがありました。

占いではないのになぁ、と心のなかでつぶやいてみるのですが、ではいったい本質的に霊能者が守護霊からのメッセージを受け取ったりすることと、占いの人達が人生相談で受け答えをすることの違いはどこにあるのだろうか?と考えてみた時…ご相談者のお役にたてなければ、それがどんな情報やアドバイスであろうと意味がないと思ったのです。

はたして自分は霊的な能力を磨く事にばかりとらわれていて、相談者の立場、視点になりきれてはいなかったかもしれません。この事にきづいた時に、占いではないのになぁ、とぼやく事は辞めようと思いました。どのように理解(あるいは誤解)されようと、ご縁があればその機会を最大限に生かせるように尽力させていただく。ただその一点に心をこめていければいいのではないか。

できるだけそんな心がけを保ちつつ、お告げのようでもあり、、占い?のようでもあり、自分なりのスタイルを創り上げていけたらと考えているのです。

しかしながらカードを使ったりチャートを作ったりするわけでもないのであまり占い的ではないかもしれません…。

ピアノも弾くんですか?

このご質問も、よくありますね…。というより、霊能者としての噂をききつけてご来訪になった方は、BGMで流れているピアノが自作自演だと気付く人はほとんどいらっしゃらないようです。音楽家としては気恥ずかしいような、申し訳ないような気がしたりします。でも、ここ1〜2年は音楽家としての活動の比率はほとんどゼロに近いのですから、仕方のないことです。実質、今は両立するのが難しい時期なのですが、いずれ余裕ができたら活動を再開したいとは常々思っています。

ピアニストなので、ピアノはちゃんと弾けます。作編曲もします。ピアノ以外にもキーボードを演奏します。ただし自作自演がほとんどで、クラシックのレパートリーはありません。小さい頃からピアノを習っていたわけではないので、ほとんど我流です。普段はほとんど音楽はききませんが、影響をうけた演奏家、音楽家はもっぱらジャズ系のアーティストが多く、古典〜ジャズ〜ポップスまで幅広く、浅くかじったかな、というところでしょうか。

普段はあまり音楽はききません(疲れるから)。聴いていて疲れない音楽、というとけして自画自賛ではなくて自分の演奏したものぐらいでしょうか。

自分のスタイルで演奏をし始めてから今に至るまで、音楽家としてのモチベーションを維持してこれたのは、お手本にしてきたピアニストがいたからです。その人はウォン・ウィンツァンさん。今ではとても親しく交流させてもらっています。瞑想仲間でもあり、音楽に限らず哲学から雑学まで幅広く知的な交流が楽しい方です。彼は写真家でもあるので絵心を勉強させてもらっています。

演奏家として活動をはじめてしばらくしてから「音霊(おとだま)」という方向性を打ち出して曲を作っていました(今は休止しています)。その時は自分でもなにをやっているのかよくわからなかったのですが、非常に評価してくださった方がいました。今となってはとても有名な人になってしまいましたが、小説家の田口ランディさん。縁があって彼女の為につくった音霊をすごく気にいってくれてNHKラジオでオンエアしてくれたこともあります。その後、小説の題材にもとりあげてもらったり、自分のつくった音霊をずいぶん可愛がってもらいました。

「音霊」は魂の本質にひびくものだと思います。受け取った人には、とても深い意味があるようです。作るのはとても骨がおれるので最近はすっかりやめてしまいました。再開するかもしれませんが、今はその余裕がとてもありません。