思想家、宗教家といった初代にあたる人達の言葉は、難解なものです。あの親鸞も、蓮如という弟子があってこそでした。レイキの初代臼井先生も受け継いだ一人の弟子があってこそ、今日ここまでの普及があり得たのです。親鸞が京都での修業中に夢告を得たエピソードなどをふりかえると、臼井先生の生涯とそれとなくダブるものがあり驚かされます。時代を超えて、苦行を重ね、この世の人々の為に生きた二人の聖人。私たちはこの二人に非常に大きな影響を受け、その恩恵にあずかっているのです。
二人の聖人の違いがあるとすれば、親鸞には法然という師があったこと。一方で臼井先生が誰かに師事したという記録はないのです。記録はないだけで、師はあったのかもしれない。けれど、なんとなく思うのは臼井先生は誰にも師事しなかったのではないだろうかということです。なぜなら、自分もそうだから。たくさんの恩人はいます。支えてもらった人、導いてもらった人も。でも、親鸞が法然と共に歩み、まったく同じ信念を共有したように、誰かに師事をしたことはなかったしこれからもしようとは思いません。それは平安後期から八百年という歳月が産み出した時代の違いからくるものでしょう。
臼井先生が鞍馬山で得た夢告はいったいどんなものだったのでしょうか。ひとつの奇跡的な体験が、先生の人生を変え、その後のヒーリング技術を大きく変えました。日本の仏教も親鸞がいなければここまで普及しなかったことでしょう。二人とも、一般民衆の為の普遍的なものを産み出していった人達である、という点が非常に似ているのです。
親鸞は生涯で三度の夢告のなかで菩薩と出会ったといわれます。
実は自分も、すでにこの人生で三度、聖霊に遭遇しました。自分の主たる指導霊となる存在とです。しかも、夢ではなく目覚めたまま、非常にリアルに出会いました。一度目は、手の中に。二度目は心の中に。三度目は全身全霊で対面しました。三度目はあまりに衝撃的で、夢か幻かと疑ったところ、同じ体験が再び繰り返されました。聖霊が身体のなかに入ってくると、波動が高すぎて耐えられなくなりましたから、もう二度と遭遇するのはごめんこうむりたいと思ったものです。
その時に、私という存在はたった一人の小さな存在に過ぎない。そんな当たり前のことを再確認しました。神仏の世界とははるか彼方、かけはなれたところに居る。厳しいけれど、その分離感を認めざるを得なくなったわけです。一方で、いかに距離があるかということを受け止めてしまうと、この世界の限界の枠のなかで生きていかねばならない、そうするしかないと心も定まったのですから、あの聖霊との遭遇は非常に大事な転換期になったといえます。
神はめったやたらに姿形を表わしたりはしないことでしょう。経験から申し上げるならば、神の光にふれることは非常に厳しく、辛い体験です。なぜなら私たちがいかに虚しい存在であるかを思い知らされるだけで、そのまま昇天して光のなかに還ることはできないのですから、その後の喪失感から激しい絶望のどん底につきおとされてしまうのは間違いありません。光は闇を浮上させるので、光に近づけば近づくほど、内なる闇をみつめることになる。その原理に気付いた時に、究極の調和、バランスというものが必用なのだと悟ったのです。絶望の底に落ちるのなら、対極の光をもとめ希望を目指して歩む他はなくなります。それだけの精神力を保っていられれば、光に近づくことはできる。
人生、楽あれば苦ありといいます。魂の修行の道には、光あれば闇あり、ということがいえるでしょう。闇に対峙する方法論を会得すれば、光との調和が得られる。遠回りせずに、魂は進化成長を遂げ、より高次元の波動へとシフトアップできるはずです。