魂のやっかいごと

人とつながることが、なぜかとても疲れる、という方がいる。生きていれば疲れるのは当然なのだが、元気になれる場面が少ないと疲ればかり残る。元気になれる場面が少ない、ということは与えすぎ、ということが考えられる。知らず知らずのうちに与え過ぎているのかもしれない。そういう方に限って、困っている人には与えないと罪悪感になるから、やはり与えてしまうのだという。

「おもいやり」というのは、与えること、受け取ることのバランスが崩れてしまうと、ずいぶんダメージになってしまうものだ。人間の心はとてもナイーブで疲れやすい。疲れすぎて安全装置が作動するとスイッチがきれて、もうなにもできなくなってしまう。それもまた罪悪感になって、精神には毒になっていく。心には安全装置があるのだが、精神にはそれがない。どこまでも負のスパイラルにはまってしまうおそれがある。人間の精神回路は、肉体とすごく乖離したところに存在しているので、感情がすべて無感覚になってストップしても尚、活動をやめない。死ぬまでやめない。もっといえば死んでもやまない。そこから先は魂が考えることだから。そして魂はやはり・・・「与えたい」と願っていたりするから、事は非常にやっかいなのだ。

小林多喜二

小樽のプロレタリア作家・小林多喜二のハガキが新たに発見され、公開されはじめたのだそうだ。ハガキだから当然、私信なのである。書いた人も、受け取った人も、その遺族もほとんどが亡くなっているからもう時効なのだろう。だが私信なんてものは、当事者同士が生きている間、公開されるべきものではない。

私も生身の人間なので私信のつもりでお渡ししたものが流出なんてしたら辛い。この年になってもまだ予想もしない出来事に翻弄されることもある。

さて、なんとか切り替えて今日も仕事にとりくみましょうか。。。

※小林多喜二はなぜか中学生のときにはまった。あんなに一生懸命に多喜二を追いかけたのに、なぜか小説そのものはあまり印象に残らなかった。まだ心が十分に受け止められる内容ではなかったのだろう。30年以上の歳月を経て読み返し、やっと自分の中で多喜二探求は一区切りついたばかりだ。