人にはいろいろな役割があるなぁ。
それは魂がもともと持っていて、人生は魂が個性を発揮する為の舞台ともいえる。
その人にふさわしい姿形があり、出来事が用意され、いよいよ本番。
セリフはすべてアドリブだ(が、多くの人は、自分の得意なセリフがあるのでそれを繰り返す傾向が強い)。
だが、シナリオに描かれていない登場人物が現れたり、出来事が起きたりする。
それはたいてい、強い権力がもたらす。会社だったり、社会だったり、なんらかの紛争だったり。
対立や戦いはことごとく消耗につながり、人生は浪費されていく。
人生の浪費を望む人はなく、それは天上界でも同じ。
ご先祖様も、守護霊様も、皆、自分達が応援している人々の人生が浪費すれば共に疲れ果てていく。
そんな時は空も厚い雲で覆われてしまい、地上でさまざまな災害が増えていく。
人間は元来愚かだが、あまり愚かになり過ぎないように、自然が警告を発しているかのように思える。
そんな時代だ。
それでも、財産を守り、地位を守り、権力を保とうとすると、どこかで折れてしまうかもしれない。
もし建物や土地や財産を奪われても、また作り、育てればいい。でも、守ろうとすると、最悪すべてを一瞬で失ってしまうかもしれない。
これからの時代は女子供が主役なんだと思う。これから大人になる男性達の役割は、母親を支え、兄弟姉妹や仲間を支えること、そして次の世代を産み増やし育てていくことだろう。
そうすると、いったいどこに父親は存在しうるのか? いままでの男性性のエネルギーをどこに向ければいいのか。
僕はそれを創造性にむけて解き放つべきだと思う。学者はもっと研究して成果をあげればいい。手に職のある人はそれをもっと磨き、評価を得ればいい。そうやってスペシャリストとなり稼ぎを得ればいい。あるいは女性や子供を守り、育て、応援するシステムの中に身をおくのもいい。今は高齢化社会だから、女性たちの負担を軽くしなければ子供が育てられない。福祉の仕組みをもっと充実させて、子育てをみんなで支援していく仕組みづくりが急務だ。教育もしっかり作り変えなければいけない。新しい時代になり、生まれてくる魂は皆、完全な平等主義者だ。父性を求めないから、最初から若い子達は、自分達には上も下もないと思っている。それが当たり前で当然で、それ意外の関係性には違和感を持つ。だが、大人は上から目線で与え、守り、感謝することを要求する。それに対して彼らはけして心を開かない。自分達とは違う異質な存在を怖れ、遠ざけてしまう。だから、新しい世代の若者達との間にたって、潤滑油となる役割の人達の育成が急務なのだ。それぞれの個性が際立ってきて、どうしても埋めようもない世代のギャップがある。その見えないギャップにもっとも早く気づいてきたのがアーティスト達だった。それが教育者でないことはとても残念。次にセラピストの人達だ。そういう立場の人達は社会的な権威をまったく持たない。だから、若い世代も受け入れる。だが、学校は組織がある。医療の世界も、精神医学の世界も、福祉の世界も権威主義だ。民間のNPOですら権威主義にはひれ伏している。それでは若者たちの行き場所は誰もつくれないことになる。
こんなに問題があきらかになっていて、誰もどうしたらいいか答えをはっきりもたない空気が蔓延していて、自分にはなにができるのかできないのかもわからないという声なき声であふれている。
それが今という時代なのだろう。
でもアートはそのすべてを超越して光をもたらす。本当のアートは元来、自由に時代や社会を超越したバイブレーションで満ちている。これからもっと様々なジャンルのアーティストが注目されるだろう。人々はもっと身近に彼らの作品を求めるようになる。子供たちはそれが大好きだ。そして彼らも自然にアートを表現しはじめるようになる。自由に歌い、自由に踊り、自由に詩を語る。私達はその自由な環境をつくる義務がある。この時代に生かされているのなら、それが大人である私達の責務だ。とても急がれる大事な仕事だ。