サロンの様子を写した写真をあまり載せていない気がするので、先日セミナー準備中に撮ったスナップを。
南向きだし、公園がよく見えるので、日差しがたくさん。風とおしもばっちりです。
広いわりに、個人セッションや数名のセミナーしかやりませんので、余裕があります。よいエネルギーで満たしていたいので、こんなものかな、と思っています。
距離感が心配な方もいそうなので、この記事を書いているのですが。サロンにくるとおのずと心配は消えてしまいますよ。
春になると、先達と修行と称した山菜採りにいったことを思い出します。
先生はやまほどタケノコを採ってくる。もはや仙人としか思えなような早業だったなあと懐かしむことがあります。
あれからもう長い歳月が過ぎましたが、いまだ先達の残した宿題で解けない難問がありました。
それは「雲を消す」ことでした。
タケノコの下処理をしながら不意に
「あの雲、消せるか?」と。
もちろん「いや、そんなこと、できません(それにやり方、教わってませんけど)」と即答。
当時の自分は雲を消すという発想そのものが驚きだったし、まして、消してみろと言われることも驚き。
ただ、なんでもお見通しの人だったので、意味のないことは言わない。
師はおそらく私ならできるはず、と思ったのでしょう。
しかしながら、不肖なあなたの弟子は、いまだに習得できずにいました。
が、先日、不意にわかったのです。雲を消す方法が。
25年もかかってしまいましたが。
あらためて空の上の恩師に感謝しました。
雲を消すこつは、心のあり方にあるのです。
この世界にあるものは、すべて意味があって存在しています。
意味あるものを消そうとしてはいけない。
あるがまま、なすがまま、の境地に至った時、
おのずと闇は消え、雲は晴れ、そこに広大無限の光が満ちた世界があります。
私は雲を消すことにとらわれていました。
が、今は、消すのではなく、
いずれ消えるのだ、ということがわかります。
そういう心の目で世界をみますと、
泥(カオス)のなかに光が見えてくるのです。
雲(闇)は消えるのを待つ。それだけでよいのです。
(あなたはこんな日がくるのをとっくにご存知だったのでしょうね。と、心のなかで呼びかけてみるのでした。)
私が空をとべるなら、
いますぐあなたのそばにいき、その悩める心の闇を解き放ってあげられるのに
私が風になれるのなら
あなたの願いをききとどけて、神々に伝えてあげられるのに
神様は私に天使の羽を与えてはくださらなかった
私が神様から授かったもの
それはあなたを思う心ひとつ
私にはあなたの苦しみがわかる
私一人を犠牲にすることが許されるなら、
あなたの闇をすべて引き受けてあげられるのに
いまの私はたくさんの人の為に生きなければならない
けれど、私は今こそ、光の羽がほしい
その羽をまとい、あなたのもとに、いますぐかけつけ、こう伝えたい
大丈夫
わたしが守るから
あなたのことも、あなたの大切な人たちも、必ず守りとおすから
どうか安心して日々を過ごしなさい
明日は必ずやってくる
そして、青空があなたの上にどこまでも広がる未来は必ずある
だからあきらめず、へこたれず、今日を生きていこう
今を生き抜けば、明日が一日、近づいてくる
素晴らしい未来はあるのだから
だから希望をけして見失わずに生きていこう
わたしがずっとそばにいるから
あなたは大丈夫