良いこと悪いことは一対

物事には必ず「光」と「闇」の両方の要素があります。

私たちは良いこと(光)ばかり追い求め、悪いこと(闇)を嫌悪する傾向があります。
結果的に良いことをさほど享受できず、悪いことにとらわれすぎるようです。

悪いことの比重が多いと、ついてないとか不運だと嘆きます。

実際、明るく元気な人の周りにはやはりたくさん良いことがやってきやすいものです。

そうはいっても人間、常に明るく元気でいる、というのもなかなか酷なもの。

内面は疲れたり、不安になったりするのが当たり前なのですから。

表面的な明るさを保って、周囲の人には感謝されるかもしれませんが、自らの内面がどんより沈んでいては、最終的には帳尻が合わない人生で終わってしまうかもしれません。

長い目で見た時に、どういう生き方が魂にとっては意義のあるものなのか、という視点で考えておきましょう。

目先の良い悪いにはとらわれすぎないことが肝要です。

一見、悪いこと(闇)に見えても、その反対側に必ず良いこと(光)が隠されているものなのです。

闇はいつか必ず光に反転します。

一方で、光もまた闇の性質を持っています。

両方で一対なのです。偏った見方をしていると、どうしても闇に対する恐れが消えてなくなりません。

良いことも悪いことも同時に存在するし、どちらも必ずやってきます。それがこの世の条理というものです。

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文月十六日の雑記:満月の戯言

時々、戯言を書きます。
が、単なる私の哲学的な思考だったり、雑多な想念の吐き出しているものにすぎません。
読み飛ばしていただいて結構です。

特にカテゴリーが「ポエム」になっているジャンルは、単なる空想、妄想の産物ですからね。

個人ブログだからご了承ください。

暑いようなそうでもないような、微妙な天気が続く夏です。
引き続き熱中症には気をつけましょう。
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無という怖れ

国家権力と断絶し、人生のすべてをかけても人の命を守ろうとする行動をとる人がいる。その情熱は「何かを信じているから」ではないだろうか。

いったい何を信じれば、そこまで強い行動がとれるのか。

私たちの信じる力はどこからくるのか。

私はいつも私に問いかけている。

私に力がないのはなぜなのか。

なぜ私はこんなにも無力なのか。

なぜこの世には間違った行いがはびこり、弱い者や守られるべき者が犠牲にならねばならないのか。

誤りが正されるために神の裁きがあるのなら、それは今すぐに行われるべきではないのか。

私は神に、宇宙に問いかけています。

こんなにも世の中、疑問だらけの時代はありません。

こんな時流の中でどこに信じるものを見出せばいいのでしょう。

命にかえてもいいと思えるほどの熱い生き方を可能にしてくれる機会があるのなら、それはどうすれば得られるのでしょう。

無力な私は、問いかけることしかできません。

それしかできません。答えのない問いかけです。

それがこの先、一生、続くのかもしれません。

人生は踏み絵のようだと思います。

隠れキリシタンの疑いをかけられた者は、聖母の絵を踏まねば処刑されます。

が、信仰を絶ち、絵を踏めば解放されます。

自分の魂より大切なものを踏みつけることができようはずもない。

できるはずのないものを強制するのが権力です。

しかし、権力は実は無力です。

形だけ踏んでも、心を折っても、魂が死んでしまっても、

それでも神の愛は消えないからです。

しかし、それを証明することができないのです。

証明できないものを伝えることはできません。

故に私は無でしかありません。

あなたたちは愛されているのに、それを伝えたくてもかなわないのです。

だから、私は問いかけ続けるしかありません。

なぜ、皆、盲目なのですか。

私には見えるのに、なぜ他の者には見えないのですか。

一体、私は何のためにこの世に遣わされたのですか。

その意味があるのなら、私に役目があるのなら、それを果たすべきは今ではないのですか。

今でないのならその時はくるのですか。

答えはありません。

このまま、無のまま終わる人生なのかもしれません。

時流は刻々と動いている

時流は刻々と動いている

つまり地球全体のエネルギーが変化している、ということを皆さんはお感じになっているでしょうか。

目線をできるだけ自分や自分の周囲にむけてみることで、より理解しやすくなります。
ただし気をつけていただきたいのは情報過多はストレスになります。
頭と心を休ませることを優先しましょう。

その上で今までと違うものの見方、考え方を身につける方が違和感なく新しい時代を感じられるようになります。

その先を知りたい、という方は知らない方がいいかもしれません。

時流が動いても自分は自分、あるがままに生きていくだけ。
そういう姿勢がまずは大事ですから。

知ることでほとんどの場合、ストレスを溜め、消化不良になり、嫌悪感が増すだけという残念な結果になりがち。

知識を身に付け、理解を深めることも時に大事ですが、今は全体が動いているのですから、各自の人生の根幹も揺れ動くということ。であるならば本当に必要な取り組みは何なのか。そこをしっかり見極めることが非常に大切なポイントになります。

単に知ることだけで満足しているようでは、時流に乗ることにつながりません。

誰しもよりベターな人生を選択できる時代ともいえます。日常の生活の一つ一つを見直すところから始めるのが無難なところです。そういう点では情報の断捨離が一番、おすすめかもしれません。