一年が早いと思うこともあれば、長かったと思うこともある。
昨年は春先に母が倒れた。午前6時に母から緊急コールを受けた時はさすがに慌てた。同時に父の認知症が進み、対応に四苦八苦。その上、父はコロナに感染して隔離入院となった。
コロナだからどうしようもないのだけれど、私たちは父が隔離病棟に入院したことで、腹が決まった。
面談もできず連絡を取る術もなく2週間、一人で隔離されている父には申し訳なかったが、私達は平安な時を過ごすことができた。
父は退院後、ますます認知症が加速していった。ついに私たちは限界がきたことを悟り、父を永続的に入所させることにした。入所にあたり一番、大変だったのは父の生活用品を取り揃えることだった。それ以外のことについては、結局家族がすべきことは限られていた。相談できる人に相談し、行くべきところに行き、書くべき書類にサインをする。ほぼこれだけだ。何かを判断する必要もあまりなかった。ただ委ねていればよかった。とても困ったこともあったり、先が見えなくなった瞬間もあった。それでも同じことを繰り返すのみ。ただひたすら委ねていく。
最終的に(そこに至るまで色々あった、まさしく色々だ)父が入所して約、半年が経過した、今のところ暴れることもないし、寝込むこともない。細かいことはあるのだが、穏やかな日々である。
父が実家で母と暮らしていた時、父の認知症がどんどん悪化していく中で、母は何度も「一緒に死んでしまいたい」とこぼすようになった。母の記憶力がどんどん落ちていき、耳も遠くなっていく。父が入所していらい、少しずつ記憶力も、耳の調子も回復して、今では全く心配なくなった。というより一人暮らしをのんびり満喫しているようにすら見える。
私が子供の頃、、母は揚げ物を作ることがなかった。忙しい人だったので母が作る料理は実に質素だった。私は時々、中華料理が食べたくなって炒飯や青椒肉絲ーを勝手に作って食べたりしていた。それなのに、最近、実家に出向くと「揚げ物」惣菜が買い置きしてあったりする。
一番、意外だったのは「ブルーマウンテン」があったことだ。
我が家はコーヒー党は一人もいなかったが、受験生だった私たちのためにネスカフェの大瓶が常備されていたぐらいだ。だが、昨年、実家を訪問した時にブルーマウンテンの粉が買い置きされていた。
父がいた頃は、父のために母が買い置きしてあったようだが。父が入所した後でもそれがある、ということは母の好みはブルーマウンテンなのかもしれない。前回、帰省の際に一緒にスーパーに買い物に行った。母はコーヒーのコーナーに行くと迷わず「ブルーマウンテン」を手に取り無造作に買い物カゴに入れた。
もしかしたら若い頃にどこかで飲んだことがあったのかもしれないし、名前だけ知っていたのかも。あるいはスーパーで売っているコーヒーの中で一番、高いものを選んだだけなのかもしれない。本当のところはわからない。が、母は、ブルーマウンテンと、キットカットの緑茶味が好みだということを初めて知った。
なんだ、そうだったのか。母にも「好み」というものがあったのだな。考えてみれば当然だ、人間だもの。
何にも欲しいものがない、やりたいこともない、ただ私たちのために働いて、苦労して、老いていった人。私の中で母は本当に苦労人だった。が、そんな母の中にも「好み」と言うものがあったと言うことを初めて知って、心から安堵した。これで少しは人生を取り戻してもらいたい。
施設に預けてしまった父には申し訳ない気がするが。認知症が進んで日付もわからなくなった父にとって今の暮らしが、苦痛なのか?そうでもないのか、知る術もない。が、施設に会いに行くと、自宅にいる時にまして饒舌になったのはどういうわけなのだろう。薬のせいなのか、施設の人たちの良い意味での影響なのか。どちらにしても自宅にいた時より元気になったのは私たちにとっては大きな救いになっている。それで良かったのだと思えるから。
ランディさんの「サンカーラ」を読んで、ある程度のイメージは持てていたかもしれない。が、実際に老いと介護に直面すると、ひたすら委ねることの実践は、大変であった。
まだ最後の日まで、委ねる実践は続きそうだ。