Macは足元にころがっているのもあわせると、ざっと7台ぐらいある。ここ何年も新機種を買っていないのに(笑)。iPhoneは最新機種だが2年ぶりに買い換えたので、いつも最新を持っているわけじゃない。iPadは最新のを買ったのにすぐにリニューアルして型落ちしたので気持ちも落ちたり…。自分の人生はAppleと共にあった、といっても過言ではないほどApple黎明期からずっとMacにはまっている。仕事柄、その他のパソコンも使うのだが、使っていてストレスがないし、結果的に時間を浪費しないで済むからAppleを使う。それに音楽をやるにはやはりAppleの環境のほうがはるかに都合がいい。昔は高価でとても手がでなかったシンセサイザーの音色がiPhoneで簡単に出せる時代。書籍も電子化され、手のひらのなかに無限の蔵書を持ち歩ける。ソーシャルネット経由で古い友人から新しい友人まで、いつでも皆とつながっていられる。仕事もこなせる。こんな便利はものを、もう手放せるわけがない、ないのだが…。
もし、電力が使えなくなったらどうなるのか。地震で携帯の電波もインターネットの回線もつながらなくなったらどうなるのか。地震が日本でなく、グーグルやAppleのデータセンターを襲ったら同じことだ。検索もできず、Appもダウンロードできなくなったらどうなるのか。
便利になる反面、それが失われた時の反動がいかほどのものか恐ろしすぎて想像もできない。
いまや精神の広がりはスマホやPCなど、インターネットを経由して拡散している。そのなかで個々が栄養となるものをみつけ、吸い取りながら生きている。インターネットは麻薬のようなものだ。すべての人が中毒になる可能性もある。禁断症状がどれほどのものか誰も確認したことがないわけだけれど、大変なものに違いないことは明らかだ。
だが、この世に無駄なものはひとつもない。だからネットを通して世界とつながり、精神が豊かに開花し、発展成長を遂げる可能性が高い。ここまで科学技術が進化したものを止めることは誰にもできない。エネルギーをどう工面していくのか、自然の猛威といかに調和し得るのか。人類は新たな局面にたたされている。
個人的にはネットの善悪の議論なんかにとらわれるより、個々がそれぞれの精神を鍛え、依存症にならないようにしていくべきじゃないのかな、と思っている。
いつも自分にこういいきかせている。明日、MacもiPhoneもインターネットも奪われたらどうするか…。筆と紙を常備して、手紙を書きまくるね。子ども時代、雑誌の最後の欄に載っていた文通希望欄のアドレスに手紙を書いたことがある。遠くの見ず知らずの人と手紙のやりとりをするって、不思議なほど新鮮だった。今、スマホを通してあれほどのドキドキやわくわくを体験し得るのか、かなり疑問だ。まだまだスマホやネットの世界は黎明期。もっと魅力的な使い方が発明されるようになるだろう。
もし、子どもにスマホやPCを使わせることで不安になっている親御さんがいるなら、それらを使わせることのリスクよりも、それらが使えなくなった時に精神のバランスを崩すリスクについて考えてほしい。
手書きで手紙を書けない子供たちは文通もできないだろう。図書館で本を借りることもできなかったり、コーチャンフォーをさまよって面白い本に出会う体験ができなければ、紙の本の魅力を認識することはできないだろう。
時代の流れは止めることはできない。ネット社会はまだよちよち歩きだ。その魅力は開花するレベルではなく、やっとタネが蒔かれて双葉が開いたレベル。ということは、これからは麻薬的な魅力にはまる人が増大するに違いない。もっともっと便利になり、面白くなっていく。同時に、情報格差がひろがる。もちろんエネルギーの問題もリアルになる。レアメタルの奪い合いで国家間の緊張も高まるかもしれない。
一方で、手で書くこと、手で紙の質感を感じながらイマジネーションの世界にひたることの素晴らしさを学ぶ機会も増やさなければならない。そうしなければ、子供たちの感性は「電源喪失」と共に、破壊されてしまうのだから…。ネット社会の発展は諸刃の剣かもしれない。
子どもの頃、毛糸のきれはしで、あやりとをして延々と遊んでいられたのは、夢か幻か?