モノ言わぬ人々(2)

モノ言わぬ人々は、なぜ言葉で語らないのか。

それは言葉がとても不完全だということを知っているから。
言葉が持っている意味は人によって違う。誤解が生じる。そして、どちらかが、あるいはお互いが傷つく。

モノ言わぬ人々は、以心伝心、テレパシーで他人の心を読み取れる。だから、自分の言葉でもし相手が傷ついてしまうと、その刹那、罪悪感を感じ、もう会話を続けられなくなる。なんとかその場を収束する為に、自らが悪役を引き受けることになる。罪のない罪を認めてしまえば、それ以上誰も傷つかなくなる。その場をとりつくろったり、みえすいた嘘を言ってしまう。それは「そうするのが最善だ」という感覚がある。選択することができず、ただそうするしかない。もの言わぬ人々はそうやって生きている。

人の心は読めても、自分の心を読んでくれる人がほとんどいない。だから、とても孤独だ。

でも、もうすぐ…彼らの時代がやってくる。もうすぐ…(でも、それは何年、何十年、いや、もっと先なのかもしれないが…)

モノ言わぬ人々

ここ最近、とても増えた相談ごとというのが、「相手の考えていることがわからない」というもの。
この場合の相談者は女性。逆はほとんどない。

女性が、パートナーである男性(夫婦であったり、恋人であったり、恋人未満だったり関係性は様々)の考えが理解できなくて、どうすれば関係性が改善するのかとご相談にみえる。こういう場合の対応はたったひとつ。黙々と、男性側の考えていることを説明する。

長年の修行と経験の積み重ねの成果で、モノ言わぬ人達の内面になにがあるか、手にとるようにわかる。ただ、感情や価値観だけならまだしも…。こうと決め、けして人には見せないと定め持ったものがある。そこを説明して、受け止められる女性もいれば、そんなはずはないと否定してしまう方もあり…関係性がそこからどう発展するのかしないのか。実に様々。

ただ、ふと思うのだ。

そういう男性は以前からたくさんいたはず。なぜ最近、こういう相談が増えたのだろうか?

推測するに、女性側の意識が変わってきたのではないだろうか。言葉のない言葉を読みとり、感じ取ってあげたい。そこまでして歩み寄り、支えていきたいと考える女性が現れるようになった。そういうことだろう。

モノ言わぬ男性たちにとっては良い流れ。だが、モノ言わぬ男性の心に、どう歩み寄ればよいのか。試行錯誤がはじまった女性にしてみれば、苦難の時代のはじまりなのか? あるいは、心と心が言葉を超越して絆を深められる、波動の時代になったのか。

私達の未来の子孫は、もはや言葉を超越し、波動で会話する時代になるのだろう。それができるようになる人、いつまでもできない人で、住まう国家や地域を選ぶことになっていくのかもしれない。さて、日本はどちらにすすむのか。