新しい一年のはじまりです。
大地からの言葉にならないメッセージを、私の体を通してあらわれるものを命をかけて現してみました。
あなたの命のささえになれば幸いです。
新しい一年のはじまりです。
大地からの言葉にならないメッセージを、私の体を通してあらわれるものを命をかけて現してみました。
あなたの命のささえになれば幸いです。
今は誰しもが闇の中を手探りで進んでいる時代です。
辛く苦しい思いをしているのはけしてあなただけではありません。
地球上のどこかで、本当に暗い闇の底に突き落とされ神様でさえ救いの手を差し伸べられない、そんな絶望のどん底に突き落とされる人がいます。
一方であなたは命は守られていて日々の暮らしもそれなりに過ごせていることでしょう。
それなのに辛い苦しいのは、心が不安定になっているから。心のあり方が定まらないでいるからかもしれません。
現実に何かが起きてしまったわけではないのに、とても苦しい。
それは心の中にある悪いものが動き出し、這い出してきているから。
だとすればどうすればいいのでしょう。
元々悪いものがあったのだから、それが出ていってくれるなら幸いと思いましょう。
そしてそれらがあなたの中からすっかり去っていくのを待つのです。
一時、辛い苦しいからといってそれから逃れようと一時の安らぎを求めたところで、またぶり返してしまうかもしれません。
少しの間の辛抱をすれば、そのあとは楽になるのです。
元々あなたの中にあった悪いもの、とは多くの場合は孤独感です。それから罪悪感。これらがたくさんある人はとても苦しくなっているかもしれません。
人は誰しも孤独です。そして罪深いものです。
それらがうごめいている、とするなら元々内なる闇なのだから向き合っていくほかありません。
上手に受け止め、やり過ごすのはなかなか大変なことです。こんな時こそ、孤立しないようにしなければいけません。
一人でいない方がいい。それがこれからの時代の大切な過ごし方になるでしょう。
今日、辛い苦しい誰かのために。
自分を貫くほど自分は強くない。どちらかといえば流されやすいほうだ。そういう方は比較多いんじゃないでしょうか。私もどちらかというとそういうタイプです。
流されない為には、強くなろうとするのが普通ですよね。ほかの方法はないんでしょうか?
私はあると思います。
それは、自らその流れに乗ることです。自分の意思でその流れに乗っていけば、流されることにはならないし、かえって人生が加速していくと思います。
屁理屈のように聞こえるでしょうけれど。私は実践しようと思っているし、日々工夫をしています。少しずつ生きやすくなっているをの感じます。
私がいう皆さんの人生のガイドとは激流を上手に下るノウハウの伝達ともいえるかもしれません。
これまでは、多くの人に「人生は山登りのようなものだ」とお伝えしてきました。それぞれ目指す山があって頂に向かって登っていくのが人生。道に迷わないようにガイドが必要なんだと。ですが、これからは私たちの人生は川下りに変わっていくでしょう。それも穏やかな川ではなく、激流のようだったり、鉄砲水が突然襲ってきたりするような荒ぶる川です。これからの時代というのはそれを丸木イカダで下るようなものです。バランスの取り方や危険の回避方法は、経験者でも難しくなるでしょう。
なんとか流れに乗ることができれば、きっといつか凪のような穏やかな時期もくるはずです。
毎日、非常に残念で悲しい映像が世界中を巡っています。この時期、心を痛めない人はいないのではないだろうか。無実の人々が絶望のどん底に追いやられ、希望のない明日に放り込まれる現実を、受け止めきれない人の方がずっと多いことだろう。こんなむごい映像を見せられて、心が傷つかない人はいないことでしょう。
こんな時代だからこそ、本当に価値のある生き方を見つけるべきかもしれません。ぼんやり生きている感じ、何をしても手につかない感じは、もしかすると本当の自分らしさを探しにでる旅の準備を魂が始めた兆しでしょう。
その旅のガイドが必要でしたら私をお訪ねください。
物事には必ず「光」と「闇」の両方の要素があります。
私たちは良いこと(光)ばかり追い求め、悪いこと(闇)を嫌悪する傾向があります。
結果的に良いことをさほど享受できず、悪いことにとらわれすぎるようです。
悪いことの比重が多いと、ついてないとか不運だと嘆きます。
実際、明るく元気な人の周りにはやはりたくさん良いことがやってきやすいものです。
そうはいっても人間、常に明るく元気でいる、というのもなかなか酷なもの。
内面は疲れたり、不安になったりするのが当たり前なのですから。
表面的な明るさを保って、周囲の人には感謝されるかもしれませんが、自らの内面がどんより沈んでいては、最終的には帳尻が合わない人生で終わってしまうかもしれません。
長い目で見た時に、どういう生き方が魂にとっては意義のあるものなのか、という視点で考えておきましょう。
目先の良い悪いにはとらわれすぎないことが肝要です。
一見、悪いこと(闇)に見えても、その反対側に必ず良いこと(光)が隠されているものなのです。
闇はいつか必ず光に反転します。
一方で、光もまた闇の性質を持っています。
両方で一対なのです。偏った見方をしていると、どうしても闇に対する恐れが消えてなくなりません。
良いことも悪いことも同時に存在するし、どちらも必ずやってきます。それがこの世の条理というものです。
時流は刻々と動いている
つまり地球全体のエネルギーが変化している、ということを皆さんはお感じになっているでしょうか。
目線をできるだけ自分や自分の周囲にむけてみることで、より理解しやすくなります。
ただし気をつけていただきたいのは情報過多はストレスになります。
頭と心を休ませることを優先しましょう。
その上で今までと違うものの見方、考え方を身につける方が違和感なく新しい時代を感じられるようになります。
その先を知りたい、という方は知らない方がいいかもしれません。
時流が動いても自分は自分、あるがままに生きていくだけ。
そういう姿勢がまずは大事ですから。
知ることでほとんどの場合、ストレスを溜め、消化不良になり、嫌悪感が増すだけという残念な結果になりがち。
知識を身に付け、理解を深めることも時に大事ですが、今は全体が動いているのですから、各自の人生の根幹も揺れ動くということ。であるならば本当に必要な取り組みは何なのか。そこをしっかり見極めることが非常に大切なポイントになります。
単に知ることだけで満足しているようでは、時流に乗ることにつながりません。
誰しもよりベターな人生を選択できる時代ともいえます。日常の生活の一つ一つを見直すところから始めるのが無難なところです。そういう点では情報の断捨離が一番、おすすめかもしれません。
これは単なるポエムです。
ーーー
私はある出来事で寿命を迎えることになった。
その間際に神様から「あと3日生きてよい」と自由な時間を与えられた。
ただし、私の延命には条件があった。それは「本当にやりたいことだけをやる」ことだった。
結局、私は「自分が本当にしたいことがわからなかった」ので、あと3日生きることを辞退した。
その代わり神様が与えてくださった3日間を、1時間ずつ72人の人に分けてあげてほしいとお願いすることにした。
私はもう十分生きたから、あと1時間の命があれば、大切な人にお別れを伝えることができる人たちに分けてあげてほしいと願ったのです。
神様は笑顔で「よろしい」と受け入れて下さった。
死に目に会えなかった人、最後意識のないまま亡くなっていく人、世界中のそんな人たちが、最後にあと1時間、お互いを理解しあったり感謝しあったりする時間を過ごすために私の命を分けてあげたかった。
私は今、天国にいて、私の残してきた最後の1時間を受け取ってくださった人たちと出会うことができた。
ある人はアフガン人だった。ある人は中国人だった。コロナで失職して絶望のあまり自死をしようとした人。難民生活で餓死していく人。ガンや難病で闘病の末に昏睡状態だった人。
皆、最後の瞬間、奇跡的に意識が戻って家族に別れを伝えることができたと喜んでくれた。
私は今、神様の素敵なプレゼントに本当に感謝している。
そして私の最後の命を1時間ずつ受け取ってくれた72人と、天国で穏やかに過ごしています。
これは単なるポエムです。 (深読みしすぎる方には、あまりお勧めしません。)
では、どうぞ・・・
ーーー
あなたと神様との約束。
私はある時、不意な出来事で寿命を迎えることになった。いよいよという直前に、神様とこんな約束をした。
ーあと3日生きられるようにしてあげます。3日間、自由に生きなさい。ただし「本当に自分がやりたいことだけ」をするように。
あと3日、自由なんだ。何をしてもいいんだ。
ぼんやりしてもいい、大切な人たちと過ごしてもいい。ショッピングしたり、ピクニックにいったり、手紙を書いたり、できるだけたくさんのことをしよう。
でも、ふと思った。
本当に自分がしたいことは、「本当の自分にしかわからない」ということに。今、自分がしたいと思ったことは、実は誰かのしていることをみて、うらやましかったり、憧れているだけなんじゃないか。本を読んだり、映画をみて主人公に傾倒しすぎているんじゃないか。だとしたら、自分は何をしたくて生まれてきたんだろうか。それがわからないままじゃ、納得のいく3日間を過ごせないじゃないか。
結局、自分のしたいことが思い浮かばなくなってしまった。でも「本当に自分がやりたいこと」を見つけないと、最後の3日を生きられない。
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私はとうとう、自分のしたいことを見つけることはできなかった。
しかし、私は一つの選択をした。神様は納得して私の選択を受け入れてくれた。
自分でも、どうしてそうしようと思ったのか思い出せない。
が、天国にかえってきた今、自分の選んだ最後の生き方をまんざらでもないと思っている。
これは単なるポエムです。 (深読みしすぎる方には、あまりお勧めしません。)
では、どうぞ・・・
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道(みち)
道はさほど、荒れてはいないようだ
それでもゆっくり、怖れながら一歩ずつ進んでいく
耳をそばだて、気配をうかがいながら、そっとそっと一歩ずつ
集中しすぎて、消耗して、一瞬、気がゆるむ
そして案の定、足を滑らせてしまう
手をついた
その瞬間に痛みがはしる
よりによって。
こんなところで。
こんなときに。
手当ての術が何もない時に限って、ケガをするものだ
やむを得ず、ここまできた道を急ぎ足で戻る
あんなにゆっくり、慎重に歩んできた道なのに
痛みのあまり、焦りを忘れ、足元もろくに見ないで、
駆け出している自分がいる。
これは単なるポエムです。
(深読みしすぎる方には、あまりお勧めしません。)
では、どうぞ・・・
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空(そら)
今は空を見上げていたほうがいい
あなたの心は、あなたの頭上の空と同じ表情になっている
気づかないうちにあなたの頭上の空は、
重く、暗く、沈んだ色になっているかもしれない
そして、あなたのみている空は、
さらに重く、暗く、沈んだ色になりそうだから
だから、今はほんの束の間、現実を忘れて
空を見る余裕を持つようにするのがいいかもしれない
空はあなたの「思い」を投影するスクリーンのようなもの
あなたが自分の心を見ているのだ、と意識することで
空とあなたの心がしっかりと、つながっているのがわかります
でも、空を見ることをしなければ、あなたの心は
どこにも繋がっていない不安に襲われるかもしれません
今は空を見つめ、心を見つめ、
自分の姿を理解してあげる時を過ごすようにしたほうがいいかもしれません。
わけはいつかきっとわかります。
今はそのほうがいいかもしれません。